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ゆっくりとした時間


「いい天気ね。風が気持ちがいいわ」


 今日は領地の森の中にある花畑に来ていた。この花畑は、領民たちが足を踏み入れない場所にあった。薔薇のような華やかな花ではなく、可愛らしい小花たちが太陽の光を受けて、元気いっぱいに咲いている。きっと名前もないような草花。それでもルエラは今まで見た手入れの行き届いた庭園の花よりも美しく感じた。


 侍女のハリエットが持ってきた荷物を広げ、軽食を用意している。ルエラは何もせずに、花畑に広げられた敷物の上に座り、ぼんやりとしていた。


 結局、ルエラはゆっくりと治療をしていくことにした。最短の治療方法は選ばなかった。ユリシーズが言っていたことは誇張でも何でもなく、本当に死んだ方がましな痛みだった。


 体が引き裂かれるような痛み、そしてメリメリと何かが体の中を通っていく感覚。

 とてもじゃないが耐えられない。


 一番小さな塊であれほどの痛みがあるのだ、一番大きな塊を動かしたら一体どんな痛みが襲ってくるのか。想像しただけでも、体が震えてしまう。


「ユリシーズ様は多才でいらっしゃいますね」


 ハリエットの言葉に、彼を見る。


 ユリシーズはルエラのいる場所から少し離れた場所にいる。持ってきた折り畳み式の椅子に腰を下ろし、スケッチブックを広げていた。魔法鞄には様々な画材が入っていたらしく、色を付けるための絵具を取り出した。そして手早く準備をすると、ルエラに説明することなく絵を描き始めたわけだ。


「どんな絵を描くのかしらね」

「きっと素晴らしいに違いありません」


 そんな会話を暢気にしていれば、ユリシーズが会心の笑みを浮かべ筆をおいた。


「よし、完成だ」

「描き終わったの?」

「ああ! 今日はとても出来がいい」


 自信満々に胸を張り、スケッチブックを掲げた。目の前に広げられたスケッチブックに、口元が引きつる。


 目の前にある花畑は、黄色やオレンジ、白といった可愛らしい色合いの花。雲一つない、空は抜けるように青い。


 それなのに、スケッチブックには実際の花を見たのかと思えるほど濁った色で塗られていた。空も色が強すぎて、暗く感じる。そしてなによりもその中心にいる白いぼんやりとした人物。顔かたちははっきりとしていない、ともすれば幽霊のようにも見える()()


「…………これって、わたし?」

「そうだとも。流石に顔を描くのはまずいと思ったのだが、これだけぼんやりしていれば大丈夫だろう?」


 そういう問題じゃない。


 そう言いたいが、はっきりと告げるのを躊躇った。治療の間しか接点はないが、そのわずかな時間でも彼があまり表情を動かす人ではないことはすぐに分かった。貴族特有の感情を隠すということではなくて、単純に周囲にあまり興味がない。逆に興味のあることに対してなら、彼の表情はとても雄弁に心内を語ってくれる。


 その彼が満面の笑みを浮かべているのだ。彼にとって素晴らしい出来だったに違いない。


 そう思っていいところを少しでも見つけようと、じっくりとスケッチブックを見つめた。


 ダメだ。どこにも褒める要素がない。


 瑞々しい花は枯れているように見えるし、晴れ渡っているはずの空は曇天だ。そして何よりもルエラと言われている人物像がホラーである。


「ごめんなさい。わたしには良さがわからないわ」

「む?」

「わたしの目に映っている色と若干違うように見える。それにこの白いドレスを着た女性が自分だとは思えないわ」


 やんわりとした表現で正直に伝えてみれば、ユリシーズはなるほどと頷いた。


「それはルエラ嬢の気持ちがまだ曇っているからだ」


 絶対に違う。


「心の傷が美しいものを美しいように見せないのだろう」

「いえ、でも。絵以外はきちんと美しく見えています」

「自分の記憶で美しく見えるように加工されているのだと思う」


 そういうことがあるのだろうか、と真剣に悩んだ。否定するにも難しく、受け入れることもできず。

 ルエラは曖昧に微笑むしかなかった。


「花が美しく見えるように、ちょっとした魔法を見せようか」


 そう言って、ユリシーズはぱちんと指を鳴らした。風がさっと吹き抜け、花びらを舞い上げる。その花びらは一つ一つ光に包まれており、緩やかな風によって空を泳いだ。


「綺麗だわ」


 目の前に広がる光景がとても優しい。いつもどこか締め付けられていた気持ちが、ふっと軽くなる。


「これは風魔法と生活魔法の応用だ。何の役にも立たないが、人の気持ちを慰めてくれる」

「わたしにもできるかしら?」


 風魔法と生活魔法ぐらいならば、ルエラも操ることができた。魔法を使った仕事をするつもりがなかったから基本しか学んでいないが、こんなにも美しい光景を作れるのなら使ってみたいと思う。


「すべての花びらに魔法をかけるのは練習しないとできないが」


 ユリシーズは屈んで足元にある花を一輪、手折った。手折った花をルエラに差し出す。


「一輪だけであれば、簡単にできる」

「一輪しかできないの?」

「はは、俺を誰だと思っている。上位魔術師と同じことがすぐにできると思われても困る」


 どこかの悪童のような言い方に、ルエラは笑いがこみ上げてきた。


「ユリシーズ様はわたしよりも年上でしょう? 大人げないと思わないの?」

「大人げなくて結構」

「でも、わたしだったら、すぐにできてしまうかもしれないわ」

「大した自信だな」


 長年、王子の婚約者として色々と頑張ってきたのだ。魔法については門外漢であるかもしれないが、短時間でコツを掴む能力は高いと自負している。その上、母も兄も魔術師という家系。ポテンシャルはあるはず。


「風魔法を下から上に流して」


 そう呟き、ごく弱い風魔法を花畑に送った。すでに地面に落ちていた花びらがさっと上に運ばれる。


「それから、生活魔法? 光をともせばいいのかしら」


 一つ一つに光を纏わせることは確かに難しかった。でも、花びら全体を光でくるむことは何とかなりそうだ。


「惜しいな。でも何度か練習すればすぐにできてしまいそうだ」

「うふふふ。もっと褒めてもいいのよ?」


 嬉しくて、にこにこしながらもっと褒めろと強請ってみる。ユリシーズはぽかんとした顔になったが、大きな手でルエラの頭を掴んでぐりぐりと揺らした。子供にするように遠慮がない。


「きゃあ! 頭を触るなんてレディに対して失礼だわ」

「いいじゃないか。子供を褒める時は頭を撫でるものだろう?」

「わたしは子供じゃないのよ」

「だが、自慢げにしている態度は子供そのものだ」


 そうかもしれないけど、とぷりぷりと怒りながら顔を背けた。怒っていることを見せるように、乱れてしまった髪を指で整える。


 だけど、心の中は不思議と楽しい気持ちでいっぱいだった。

 こんな風に誰かと笑ったりふざけたりしたことなど、幼い頃にしかない。他愛ないことで喜んだり、怒ったりしたのは一体いつだったろう。


 記憶をたどっていると、影が落ちた。驚いて顔をあげれば、近い位置にユリシーズが立っている。いつの間に、と思う間もなく彼の手が伸びた。


「花びらがついている」


 彼は許可を取ることもなく、彼女の髪に絡みついている花びらを丁寧に落とした。ぱらぱらと落ちていく花びらが美しくて、息が止まりそうだ。先ほどの子供扱いとは違い、思わず息を凝らす。


「……ユリシーズ様はきっと女たらしだわ」

「どうしてそうなる」


 説明できなくて、口を閉ざした。自分でも何を言っているのかわからない。これでは彼を意識していると言っているようなものだと気が付いた。


「女性は面倒でしかない」

「面倒になるほど、付き合ったことがあるの?」

「違う、付きまといだ。どこから見ているのか、気が付くと近くにいる。しかも周囲には自分たちが相思相愛だと吹聴して。いくら正しても理解しないところなど、恐怖でしかない」


 庶子であっても後ろ盾の身分が高く、顔が良い。その上、能力も破格。案外、跡取りでないこともプラスの要因になる。確かに夢見る令嬢は多そうだ。


「女性が苦手なのに、わたしの治療を引き受けてくれたのね」

「正直な話、生理的に無理だったら断るつもりだった」

「生理的に無理なんて、あるの?」

「ある」


 力強く断言された。その真面目な顔がおかしくて、思わず声を上げて笑ってしまった。


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