拾った魔術師
一定のペースで、料理が口の中に消えていく。沢山並んでいた皿はすでに半分以上、空だ。
自分で動けない魔術師を見た料理長は大量に食事を用意した。彼がこのような状態になることはそこそこの頻度であるらしく、屋敷の使用人たちは皆、慣れているようだ。
ルエラはひたすら食事をする魔術師を遠慮なく観察した。
背が高く、細い。
癖のある黒髪は洗いっぱなしなのか艶がなく、顔は窶れて目の下にはうっすらとクマができている。きちんと手入れをすれば整っているのだろうが、そういうことは一切しそうにない。
一心不乱に食べている姿がとても新鮮。
そもそも男性がこんなにも勢いよく食べるなんて知らなかった。家族と一緒に食事をすることもあるが、父も兄も食べるよりもお酒の方をどんどん飲んでいくタイプで、食べている姿をあまり見たことがない。婚約者だった王子と食事をすることもあったが、どちらかと言えば接待のため、大量には食べない。
「……美味しいですか?」
「ああ」
「足りないようでしたら、もう少し用意しましょうか?」
「いや、これ以上は結構だ」
最後のお皿を平らげると、彼は上品に口元を拭った。それを合図に、使用人がテーブルの上を片付けて、お茶を用意した。カップを持ち上げ、優雅にお茶を楽しんでいる。契約した魔術師だと聞いたが、所作を見ている限り、貴族の出だろう。染みついたマナーは無意識のうちに出るものだ。
「助かった。あのまま死ぬかと……ありがとう」
「うちと契約している魔術師と聞いたけど、どうして道に落ちていたの?」
「ん、ああ。ちょっと実験してヘマをした」
実験、と聞いて首を傾げる。どのような契約をしているのか、わからないが、実験などあるのだろうか。
「実験はネスビット侯爵夫人に頼まれたものだ。難解な術式で、成功率が二割だ」
「え、お母さま、そんな大変なものをお願いしているの?」
「それが俺の仕事だ。今回、やらかしてみて理解した気がする。次こそは、こんな失敗はしない」
自信満々に言っているのだから、何かを掴んだのだろう。そのうちよくわからない遠吠えをしそう。
そんな失礼な感想を持ちつつ、黙ってお茶を飲んだ。
「ところで、名前を聞いてもいいだろうか」
「ああ、そうね。忘れていたわ。わたし、ネスビット侯爵家長女のルエラよ。よろしくね」
「ルエラ嬢か。俺はユリシーズ・バーネットだ」
「バーネット?」
その名前を持つ家を知っている。驚きに目を見開けば、ユリシーズは肩を竦めた。
「察しの通り、隣国の公爵家の出身だ」
「ちょっと待って。どうしてそんな方が我が家に?」
「実験に失敗して死にかけた時に、ネスビット侯爵夫人に拾われた」
「拾われたって……別に我が家と契約しなくてもよかったのでは?」
ルエラの疑問に、ユリシーズは首を左右に振った。
「契約にしたのは、侯爵夫人の配慮だ。この国に隠れているには、魔術師として雇われている方が都合がいい」
「ま、あ」
断片的な情報ではあったが、何となくユリシーズの立ち位置を理解する。言葉にしていいのか、わからなくて首をかしげた。
「当たり障りのない説明をすれば、俺は庶子で、異母兄がいる。そして、俺の方が魔術師としての資質がある」
「察しました。それ以上は言わなくていいわ」
面倒な立場だと遠回しに伝えられて、頭を抱えた。ラモーナが何を考えて、ユリシーズを家に入れたのかはわからない。ただ必要以上は聞かないことにした。
ここにいるのはネスビット侯爵家に雇われた魔術師。
それでいい。
「……お母さま、無茶を言うのでしょう?」
「そうだな。気分で色々言ってくる。だが、それもまた新鮮だ」
満足げに笑うユリシーズに、ルエラは笑ってしまった。
「ところで」
静かにお茶を飲んでいれば、ユリシーズが話を変えた。
「何かしら?」
「俺は侯爵夫人から治療を頼まれているのだが、ルエラ嬢のことだろうか?」
ルエラは驚いたように目を丸くした。真剣な様子でユリシーズはルエラをじっと見つめる。その目は熱がこもった異性の目というよりも、研究対象を見つけて観察するような目だ。なんだか落ち着かなくて、ほんの少しだけ身じろぎした。
「お母さまがお願いしたのなら、わたしのことだと思うわ」
「俺は正式には治癒師ではないが、治癒魔法は得意なんだ。少なくとも侯爵夫人よりも上だ」
はっきりと言い切るユリシーズにルエラは笑ってしまった。
「ふふ、確かにあまり得意じゃないと毎日言っていたわ」
「そうだろう。侯爵夫人はとても優秀な魔術師だと思う。だけど、彼女は雑だ。治癒魔法が使えるかもしれないが、繊細さはない」
「お母さまが聞いたら、怒りそうだわ」
くすくすと笑っているルエラに、ユリシーズは言いにくそうに切り出した。
「毒を飲まされたとは聞いているが、まだ症状を聞いていないのだが……」
「手足がしびれて上手く動かないの。一人では立てないけど、食事は何とかできるようになったところよ」
「手足の痺れか。熱は?」
「熱は今はほとんど出ないわね」
ユリシーズは腕を組み、何やら考え込む。その真剣な表情に、ルエラはぼんやりと見とれた。
「少し調べたい。手を乗せてもらってもいいだろうか」
「もちろんよ」
ざわつく気持ちを落ち着かせ、差し出された彼の手にそっと両手を乗せた。強くない力で握られて、同時に手のひらから温かな魔力が流れ込んでくる。
よく知らない人の魔力を受けるのが初めてで、その違いに体が揺れた。気分が悪かったり、気持ちが悪いわけではない。ただ、ただ、直接神経を触られたような、変な気持ちになる。
「力を追って」
「どうやるの?」
「……俺の魔力はわかるか?」
「何とか」
小さく頷くと、彼はしっかりと手を握り直した。
「もう少し強く流すから、それを追いかけてくれ」
よくわからないながらも、手のひらからの熱を意識しながらそのまま流れに意識を向ける。
どのくらいそうしていたのかわからないが、短くない時間が経った頃。
ふっと、彼の魔力を感じなくなった。目を開ければ、目の前にいる男の顔が見える。男の目には苛立ちが燻っていた。
「随分、質の悪い毒を飲まされたようだ。あちらこちらに魔力の塊ができて詰まっている。それが体の中に傷を作り、炎症を起こしている」
「そんなこともわかるの?」
「魔力操作で辿っていけばわかる」
でもそれは、並みの魔術師ではできないことではないだろうか。
「魔力の塊がなくなれば治る?」
「ああ」
「本当に?」
疑わしくて、不安に揺れる目を向ける。彼はそんな彼女に安心させるような笑みを浮かべた。
「信じられない気持ちはわかるが、この症状は治療したことがある」
毒を盛られてから、一番希望の持てる言葉だった。