断罪の後の絶望
胸糞注意。
魔力を搾り出される痛みで、頭がどうにかなりそうだ。
グウィンは耐えがたい痛みに耐えながら、ただただ時間が過ぎるのを待った。王族の血筋故に、魔力は決して少なくはないのだが、この魔道具は足りない足りないと、毎日魔力を吸い上げる。唯一の救いは、一日のうち、六時間と時間が限られていることだろう。
窓から見える穏やかな日常が、自分のこの苦しみと引き換えだと思うと、嬉しさよりも憎しみしか湧かない。
「お疲れさまでした。今日の業務はこれで終わりです」
ふいに痛みがなくなった。何とか目を開ければ、そこにはデリックの姿がある。彼は国から出る前と変わらない態度だ。
「……もう嫌だ。国に帰る」
辛くて、苦しくて。そんなことを言えば、デリックは笑みを深めた。
「何を言っているんです? このラフジア国の王太子が国を捨てるようなことを言ってはいけません」
「これがラフジア国の王太子の仕事だと!? ふざけるな!」
「ふざけてなど。ラフジア国は王族の血筋しか扱えない魔道具で支えられている国です。当然、魔力維持は王族の仕事です」
毎日繰り返される会話に、グウィンは苛立った。
「お前が余計なことを唆さなければ! これならば幽閉されていた方がましだった」
議会で国外追放を求めた時の父王の顔を思い浮かべ、涙が出そうになる。
父王は知っていたのだ。
この国での王族の役割を。この国の王女であった母が逃げてきた理由を。
ラフジア国に行ってはいけない理由をはっきりと教えてくれたらよかったのに。そうであれば、こんな選択はしなかった。
体の辛さが、気持ちの余裕のなさが、恨み辛みとなって心の中に蓄積されていく。デリックの、人のよさそうな笑顔が憎くて仕方がない。あれほど頼りになると思っていた男はグウィンにとって、この苦痛をもたらした元凶だった。
「そうですねぇ。国王は随分と甘い幽閉をするつもりでいらしたのは確かです。もしかしたら、数年我慢していたら、ジョセリン殿下の即位と合わせて、恩赦が出たかもしれませんね」
他人事のように、華やかではないがそれなりに幸せでいられる未来があったことを示唆され、グウィンは怒りでどうにかなってしまいそうだった。自分の意志で体が動かないことを呪い、デリックを激しく睨みつける。憎悪の目を向けられても、デリックは気にすることなく微笑んだ。
「これでも私は感謝しているのですよ。グウィン様がラフジアを選んでくださったおかげで、この国は豊かさを徐々に取り戻しつつある。今の女王よりもはるかに強い力を持っていることを誇ってください」
「誇れだと!?」
「そうです、これは本当に素晴らしいことです。それに、グウィン様の怒りを向ける先は私ではないはずです。そもそもグウィン様の母君、セイディ様がこの国を捨てたことが衰退の原因なのですから」
セイディのしでかしたことだと言われても、そうなのかと頷くことなどできない。グウィンにとって母の祖国はそれこそ遠い国のおとぎ話のような曖昧なものであったし、デリックが誘導しなければ行ってみたいと思うことすらない国だった。
グウィンは何度目かの後悔をした。
どうしてルエラを大切にしなかったのか。
心からグウィンの行く先を心配してくれていたのは父王の他にルエラだけなのだから。彼女は真面目で、小言が鬱陶しかった。でも、それはグウィンのためを思ってのことで。
今さら冷静に考えたところで、すべてが手遅れ。
己の愚かさに、泣きたいけれども涙すらも出ない。
「どうして僕はルエラを邪険にしたんだ。一番僕のことを考えてくれていたのは彼女だったのに」
「今さらですね。全て決めたのはグウィン様でしょうに。さあ、移動しましょう。明日のためにもゆっくりお休みください」
痛みはなくなっているが、体全体が痺れているグウィンは一人では歩けない。そのことも、ルエラが歩けずに不自由していたことに結びついてしまう。
どうしてあんなことをしたんだ。
自由にならない体、常に感じる痺れ。世話をしてくれる人がいるから大丈夫だなんて、思うことはできない。
この国に来て半年。毎日、後悔ばかり。重くなる気持ちを振り払うように、ジェイニーの顔を思い浮かべる。ジェイニーの笑顔を思い出すだけで、気持ちが前向きになって、ほんの少しだけ楽になる。
そこまで思って、ここしばらく彼女に会っていないことに気が付いた。グウィンは自分のことでいっぱいいっぱいで、ジェイニーのことまで頭が回らなかった。
「そういえば、ジェイニーはどこにいるんだ? 最近会っていない」
「治療中です」
「は? 治療?」
予想外の言葉に、グウィンは目を見張った。デリックは何でもないことのように、頷く。
「ええ。夜の砂漠には沢山の魔物がいると教えてあったのですが。夜に出かけたようでして」
「怪我をしたのか!」
「無事ですよ。ただ発見が遅かったので、キズは残ってしまいますが」
「どうして僕に報告が来ない!」
大声を出せば、デリックは肩を竦めた。
「ジェイニーがグウィン様に絶対に会いたくないと言うので」
「どういうことだ?」
「砂漠の魔物の毒を頭からかぶったのです。命に別状はないとはいえ、女性には辛い状況でしょう」
想像できたジェイニーの怪我の具合に、グウィンは茫然とした。
◆
夜、寝静まって、動けるようになってから。音を立てずに、ジェイニーの部屋に入った。窓から月明かりが差し込み、寝台で横になっているふくらみが見て取れた。気が付かれないように、ゆっくりと近づく。
横になっているジェイニーの顔には包帯がぐるぐるにまかれ、目の部分に隙間があった。瞼が爛れているのが月あかりでも見て取れた。
「ジェイニー」
そっと彼女の名前を呼んだ。声が聞こえたのか、彼女の目がゆっくりと持ち上がる。その目が濁っていて、視力も失われつつあるのだと理解した。
「グウィン様?」
「ああ」
「来てほしくなかったのに」
「うん、そうだね。でも会いたかった」
「グウィン様を置いて逃げるつもりじゃなかったのよ、ただ、わたしはここの生活が辛くて」
グウィンのおまけとしてついてきたジェイニーはこの国の人間にとって歓迎する者ではなかった。グウィンは国外追放の時に断種を受けていて、彼女が王族の子供を産むことはないからだ。
どんな風に伝わったかわからないが、グウィンの国外追放の原因はジェイニーのせいだとされ、次代を望めないことの絶望をジェイニーにぶつけた。流石の前向きなジェイニーも味方のいない状態で毎日の虐めに心がくじけてしまった。危険だと言われていた夜の砂漠に飛び出してしまうほど。
「ごめん。僕が考えなしだったんだ」
項垂れて呟けば、ジェイニーの目から涙が次から次へと溢れてきた。
「痛いの、辛いの、どうしようもないの、死にたいの」
「ごめん」
ジェイニーのすすり泣きに、グウィンは強く拳を握りしめた。
彼女が眠りについたころ。
部屋に人の気配を感じた。デリックでも監視しているのだろうと、うんざりした気分で視線を巡らせれば、思わぬ人を見つけた。
「叔母上?」
そこにはこの国の女王、そしてグウィンの母セイディの妹がいた。彼女もまた、セイディの犠牲者だ。彼女がこの国から逃げ出した後、国に仕える者たちによって魔力を強制的に捧げさせられてきた。
何度も逃げ出したのだろう、彼女の足はすでに不自由で、こうして一人で動いているところを見たのは初めてだ。年も、セイディよりもはるかに若いはずなのに、やせ細り、老婆のような姿だ。
「どうだ、この国は」
しゃがれた声には艶がない。初めてこの国に来た時、女王はグウィンに大して興味を示さなかった。ただ、ほんのわずかだけ、憐れみの色があったような気がする。
何と答えていいのかわからず、グウィンは黙って女王を見つめた。女王は喉の奥でくつくつと笑う。
「最低な国だろう。いつまでも過去に囚われ、衰退を止めようと、現状を保とうと足掻いている。初代もこんな風になるとは思っていなかっただろうよ」
女王はゆっくりと動き、グウィンのすぐ側で立ち止まる。シワとシミだらけの手が伸びてきた。グウィンの頭を撫で、そのまま頬を包み込む。
弱い力だったが、振り払うことはしなかった。もたれかかるようにして、グウィンの顔を覗きこむ。
「ああ、本当に姉さまにそっくり。それなのに、姉さまのような魔力を持たないなんて、お前はかわいそうな子だ。せめて同じだけの魔力があれば、これほど苦しくはなかっただろうに」
わたくしと一緒だ、と女王は笑う。
「……母上はどうしてこの国を捨てたんですか」
この国に来て知ったことだが、グウィンの母は初代女王であった魔女と同じ魔力を持っていたそうだ。さらなる国の発展の予感に、全国民が歓喜した。
それなのに、立太子する直前に失踪。
初めは誘拐されたのではないかと思われていたが、良く調べれば側仕えの夫婦も一緒に消えている。自分の意志で国を捨てたことを知り、国民の愛は憎悪に切り替わった。そして、行き場のない憎しみの感情はすべて妹である目の前の女王が受けることになる。
「さあ、何故だろうな。姉さまはよく外の世界に行きたいとは言っていたが。理由なんて今はもうわかりはしないよ。わかったとしても、許すつもりもない」
「自分のためだけだと思いますか?」
「昔から何でも手に入れていた姉さまだったからね、その可能性はあるだろう。わたくしはいつだって嫌な役目だけを押し付けられてきた。でも、一つだけ感謝している」
「感謝?」
考えてもいなかった言葉が転がってきて、グウィンは眉を寄せた。
「そうだよ。姉さまはね、魔道具のコアを抜き取ったんだ。どんなに優秀な魔術師でもできないことだよ。そう思うと、やはり姉さまは初代の生まれ変わりなのかしらねぇ。やることが中途半端で、わたくしにはいつだって苦痛しかもたらさないけど」
魔道具のコアを、と言われてもグウィンには魔術について素養がないのでさっぱりだ。理解できずに戸惑っていれば、女王はグウィンの耳に口元を寄せた。
「一人だけでは無理でも、わたくしたちの力を合わせて最大限に流せば壊せる」
「え?」
よくわからなくて、瞬いた。女王は嬉しそうに頷いた。
「そう。魔道具が正常に機能しなくなったのは、姉さまがコアを抜いたから。わたくし一人では壊れる限界まで魔力を注げないから、中途半端に動いているだけだ」
「魔道具が壊れたらどうなるんだ?」
「この国は一瞬にして崩壊する。この国は魔道具がなければ、ただの砂漠だ」
それは甘美な囁きだった。
女王の姿は遠くない未来のグウィンだ。女王は二十年以上、ただ一人、この責め苦を味わってきた。
「お前に何十年もこの苦痛が我慢できる?」
静かな問いに、グウィンの覚悟が決まった。そして、寝台に横たわるジェイニーを見た。ジェイニーの目は開いていて、こちらの会話を聞いていたことがわかる。
「グウィン様」
「ジェイニーは先に逝っていて」
言葉を正しく理解したのか、彼女は瞬いた。
グウィンは肌身離さず持っていた秘毒をすべて水に溶かした。それをジェイニーに飲ませる。彼女は躊躇うことなく飲み込んだ。
グウィンはジェイニーを柔らかく抱きしめる。
呼吸が聞こえるたびに、楽しかった時が思い浮かんだ。
彼女の呼吸が穏やかに途切れるまでそうしていた。
◆
女王と、示し合わせて最大限の力を出した。魔道具があり得ないほどに振動し、狂ったような音を響かせる。
痛みのあまりに気が遠くなりそうなほど魔力を吸い上げられるが、グウィンは手を離そうとは思わなかった。誰かがグウィンを引き離そうとするが、魔道具の力が渦巻いていて誰も立っていられない。
転倒して動けないデリックを見た。彼の驚愕した顔に笑いがこみ上げてきた。目が合った瞬間、彼にはグウィンがこの状況を引き起こしていることに気が付いたのだろう。
「グウィン様!? 何故!」
「何故? お前はバカなのか。この苦痛を終わりにするには、こうするしかないからだ」
いつも余裕の顔をしていたデリックがわかりやすく絶望を見せた。
その顔を見るだけで、気分が高揚した。
早く壊れてしまえ。
全身が千切れてしまいそうなほどの激痛が、永遠に続くと思われた。
不意に全身の痛みを感じなくなった。魔力の吸い上げが終わる。力なくグウィンはその場に倒れ込んだ。
あれほど唸り声をあげていた魔道具がぴたりと止まり。
痛いぐらいの静寂の後、足元が突然崩れた。
魔道具の停止と共に、城が、街が、大きく開いた穴の中に呑まれた。
グウィンは自分が落ちていく感覚に、ほっとした。
これでこの国から解放される。
力を抜き、引きずられるまま地の中に落ちて。
その先にいるはずのジェイニーの姿を探した。
Fin.




