牢に繋がれた令嬢
気が付けば、牢獄に入っていた。連れていかれたのは、地下室だったはずだが、いつの間にか牢獄に移されていた。
牢獄は薄暗く、床も剥き出しの石で絨毯はない。簡易的な硬いベッドと小さなテーブルがあるだけ。扉には当然鉄格子がつけられている。
その部屋で気が付いたジェイニーは呆然とした。現実味がなく、自分が悪い夢でも見ているのではないかと、思うほど。
夢ならばいつか覚めるだろうと、楽観的に構えていたが、いつまで経っても夢は覚めることなく、お腹が空いてくる。これが現実だと理解した後、ジェイニーは絶叫した。
「うるさい! 静かにしろ!!」
ジェイニーの叫び声に、牢番が怒鳴った。ジェイニーは折角ここまで来た牢番を逃すまいと、鉄格子に縋りつく。
「ねえ! 何故、私がこんなところに入れられているの!?」
「はあ? 罪を犯したからだろうが。お前は騎士が連れてきて、入れていったんだ」
「わたしは子爵家の娘よ! もっと上等な牢にしなさいよ!」
貴族が入る牢は簡素であっても、それなりに整っていると聞いていた。だからこそ、この牢はありえない。そう訴えてみれば、牢番はたじろいた。
「お、おう?」
「それから、わたしは罪を犯していない! 嵌められたのよ。だからさっさと出しなさい!」
ようやく本題を思い出して、ジェイニーは自分の無実を訴えた。家を飛びだした理由だとか、歩こうとしたが城までが遠くて途中で足を痛めたとか。最後になってようやく、親しくしていたデリックに嵌められて、第二王子の護衛騎士に捕らえられたこととか。
とにかく、何も考えずに話した。牢番は最初はまともに相手にしなかったが、ジェイニーの話に破綻がないことに気が付いた。
とはいえ牢番の役割は、牢の番人。
犯罪者となった人間の潔白のために動くことはない。
「それを俺に言われても困るんだが」
「なんて意気地がないの! だったら、グウィン様――第一王子にわたしが間違ってここに捕らえられていると伝えてちょうだい!」
必死に訴えれば、牢番は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あのな、第一王子なんて偉い人に俺が接触できるわけないだろう。少し物を考えて言ってくれ」
「……それもそうね。じゃあ、どうしたらいいというの? わたしを助けてくれる人は誰なのよ」
「知るかよ。それよりも、もう気が済んだだろう? 静かにしていてくれ。他にも囚人がいるんだから」
牢番はとにかく静かにしてもらいたいだけだった。大抵の囚人は一通り話を聞くと、それなりに大人しくなる。その経験から、ジェイニーの話を聞いてやったのだが。
「あなた、サイテーね!!!!」
ジェイニーはそう大声で叫んだ。牢番はいまだかつてない経験に、目を見開いて固まった。
「は?」
「か弱い淑女が困っているのよ! 自分の力を最大限尽くすのが当然でしょう!? とにかく、死ぬほど考えてグウィン様にジェイニーを助けるように訴えなさい!!!」
前代未聞の要求に、牢番は頭を抱えた。
◆
すぐに助けが来るだろうと考えていたが、一晩経ってもやってくるのは見回りの牢番だけ。
鉄格子の嵌った小さな窓から差し込む陽の光が夜の気配を纏い始めると、流石に不安になってきた。
ジェイニーは硬いベッドに座り、右の親指の爪をガリガリと齧った。
「どうしてこんなことになっているのよ。わたしはグウィン様の妻になるのよ?」
確かに王太子にはなれなかったかもしれない。でもよく考えてみれば、グウィンに甘い国王が不幸になるような処罰を下すとは思えない。王太子、未来の国王と比較すれば見劣りするかもしれないが、一代限りであっても、それなりの爵位と領地を貰えるだろう。
悪意まみれの陰口を叩かれたとしても、十分裕福な生活は送れる。きっとそれは、子爵家よりもずっと上位の暮らしだ。
「やっぱり、あの女の所に乗り込んでいったのが悪かったのかしら」
捕らえられるようなことはしていないが、目障りだから嵌められたと考えれば一番可能性があるのはルエラだ。侯爵家の力を使って、罪を捏造したに違いない。その捏造された罪をデリックは信じてしまったのだ。
「本当に嫌な女ね。だから、嫌われるのよ」
あの取り澄ました女の顔を思い浮かべ、嘲った。だが、やり過ぎたとも思っていた。こうして実力行使されてしまえば、ジェイニーには対抗する術がない。今まではグウィンの側にいられたから、いくらでも力を借りることはできた。感情的に家を飛び出さずに馬車が戻ってくるのを待ってから、グウィンの所へ駆け込めばよかった。
そうすれば罪に問われるのはネスビット侯爵家で、この立場にいるのはあの女だった。
「食事だ」
がんと鉄格子を叩かれたと思えば、食事が鉄格子の下の隙間からトレイごと押し込まれた。
トレイには、硬そうなパンと、野菜が薄く浮いている水のようなスープ。
ジェイニーは朝と変わらぬ貧しい食事に、目を吊り上げた。朝はお腹が空いていたから我慢して食べたが、人間が食べるようなものじゃない。
「なんなの、これ! 改善しろと言ったでしょう!?」
噛みつかれた牢番は表情を変えなかった。初日に盛大にジェイニーに怒鳴られていたが、二日目にして平常心を手に入れていた。
「食べ終わったら、食器を外に出しておくように。明日の朝、空の食器と次の食事を入れ替える」
「ちょっと待ちなさい。わたしは一体いつになったら」
話し終わる前に牢番はいなくなった。話も聞いてもらえなくなって、ジェイニーは食事のトレイを蹴った。トレイの上にあったボウルが鉄格子に当たり、スープが零れる。パンも隙間から転がって、部屋の外に出てしまった。
「もう、早くここから出してよ。グウィン様、お兄さま……」
つい弱気な言葉が漏れる。気持ちが弱くなったら、ぐうっとお腹が空腹を訴えた。あんなパンを食べたいわけじゃない。でも、次の食事までは何も与えられない。
仕方がなく、本当に仕方がなく、ジェイニーは鉄格子の隙間から、外に手を出した。転がったパンを取ろうと頑張るが、あと少しというところで、手が届かない。鉄格子に体をめり込ませるようにして、指先が触れた。そのままこちらに転がそうとしたが。
パンは指先に弾かれてしまった。届かない距離に、茫然とする。ジワリと涙が込み上げてきて、涙が一粒転がると次から次へと溢れた。
「早く、ここから出して。誰でもいいから」
グスグスと泣いた。
心細くて、何かに縋りたくて、耳に飾ってあるピアスに触れる。これは街歩きをしたときにグウィンから贈られたものだ。つけてほしいとお願いすると、照れながらもジェイニーの耳につけてくれた。
グウィンがジェイニーのことを思いながら選んでくれたことが嬉しかった。それにルエラには適当にデリックに選ばせていたことも、愛されていると実感させた。
ジェイニーはあの時の嬉しさを思い出しながら、耳にある宝石を優しく指でなぞる。グウィンがしてくれたように。
「そうよ、負けない!」
身分差のある恋愛は障害が多いもの。
超えられた先の幸せを見つめ、ジェイニーは決意を新たにした。涙を拭うと、ジェイニーは再び声を張り上げた。
「ちょっと、そこにいるんでしょう!? 食べられる食事を持ってきなさい! ねえねえ、聞いているの!?」
とりあえず空腹を満たすために、まともな食事を要求した。
◆
牢獄の管理人から届いた報告書を読んで、ジョセリンはこめかみを揉んだ。
ジョセリンの管轄外ではあったが、ジェイニーには滞りなく刑を受けてもらわなければならないため、報告してもらうことになっていた。罪人の報告書など、普通ならその日の様子が簡単に書かれている程度のものである。ところが、ジェイニーについての報告書は違った。
まず、枚数が多すぎる。報告書にしては多いので数枚だけ読めばいいと思っていたが、ついつい全部目を通してしまった。
「あの令嬢、どういう思考をしているんだ」
そう言いたくなるほど、ひどい内容だった。文章から滲みだすのは、管理人と牢番からの、どうにかしてくれという悲鳴のような訴えだ。ジョセリンの呟きを聞いた側近が顔を上げる。
「グウィン殿下の処遇とは別に、こちらの案件はさっさと処理してしまった方がいいのでは?」
「ああ、そういう手もあったな」
「証拠はすべてそろっていますし、禁制品売買をしていた商会長からも証言を得ています。簡易的な裁判でよいと思います」
これ以上にない証人と証拠。禁制品の売買は死罪か強制労働だ。この国ではよほどのことがない限り、貴族の死罪はありえないのだが、もしかしたら今回は見せしめで死罪の判断が出るかもしれなかった。
「フレーザー子爵も馬鹿ですね。自分の娘が将来の国王の寵姫になるだなんて言いまわるから」
「だから、ああいう質の悪い商会に目をつけられるんだ。元々フレーザー子爵は商売なんてやっていなかっただろう?」
「どこにでもいますよ、思わぬ幸運に舞い上がってしまうような貴族は。特に今回は権力もついてくる予定だった」
フレーザー子爵を隠れ蓑に、貴族たちに禁制品を売り捌いていたのは、他国でも問題を大きく引き起こしている商会だった。捕まりそうになるところで、他国を撤退してきた。そしてこの国に流れてきて、フレーザー子爵のことを知ったようだ。言葉巧みにおだて、将来の国王の寵姫という触れ込みで商会を立て直していったようだ。
「しかしな、フレーザー子爵は気が弱い。おだてられても、怖くて手を出しそうにないと思うんだが」
「ああ、それはきっとグウィン殿下の配下が何か唆したのでしょう。私が彼のポジションにいるなら、同じことをします」
「……自分の主の醜聞になると思うんだが」
「そこの認識が間違っています。彼はいずれフレーザー子爵令嬢を切り捨てるつもりだったはずです。そうでなければ、あんな商会が近寄ってきたときに忠告しますよ」
そう言われて、デリックはジェイニーのことをよく思っていなかったなと思い出した。
ジョセリンは大きくため息をついた。
「母上の派閥にはこういう頭の弱い貴族がいないことを願っているよ」
「心配いりません。こちらできっちりと管理していますから」
「頼りにしている」
一番早い日程でフレーザー子爵家の審理を行うように指示を書き込み、本来の仕事に戻った。




