兄との会話
ルエラは王都の屋敷に到着した夜、熱を出した。
随分と良くなったと思っていたが、やはり移動は負担だったようで、体は素直に悲鳴を上げた。
どうしようもないほどではなくて、体が動かない程度の、軽いもの。
医師からは疲れによる発熱だと言われているので、朝になって熱が下がった後も部屋で大人しくしているようにと厳命されてしまった。
長椅子に体を預け、ゆっくりとお茶を飲む。
「ベッドで横になるようにと言われなかっただけ、良かったのだけど」
「本でも探してきましょうか?」
「本?」
「そうです。折角王都に戻ってきたのですから、面白そうな新刊を買ってきます」
ハリエットのおススメは、大抵街で流行っている恋愛小説だ。もしくは舞台の原作。
ハリエットは両手を胸の前で握りしめ、うっとりとした顔になる。
「ここ数か月、忙しくて書店めぐりができなかったのです。だから、きっと沢山新刊が出ているはずです」
「確か、ハリエットの好みは恋愛小説よね?」
「ええ! 面白いじゃないですか。どろどろした男女の愛憎劇、それにスパイスで二人の仲をかき回す女性! 困難を乗り越えた先にあるものを見てみたい」
力説を始めたので、ルエラはふんふんと相槌を打った。恋愛小説など大して興味はないのだが、こうして夢中になって説明するのを見るのは嫌いではない。
特にハリエットは感情豊かに手振り身振り物まねを交えながら話すので、とても面白い。読んでもいないのに、読んだ気分になれる。
「お嬢さま、もっと盛り上がってくださいませ」
ひたすら頷かれたのが気に入らなかったのか、ハリエットが唇を尖らせた。ルエラは肩をすくめる。
「そうは言っても。荒波などなく、小さな柵を二人で手を繋いで一緒に飛び越える程度の恋愛でちょうどいいと思っているから」
「まあ、確かに現実ではそうですけど。ですけど、この胸がぎゅうとなる、締め付けられるようなドキドキがいいんじゃないですか」
ハリエットが力説していると、扉がノックされた。二人で扉の方へ顔を向ける。
「誰かしら?」
「確認してきます」
ハリエットはいつもの侍女の顔に戻ると、扉を開けた。
「お嬢さま、ローレンス様がお見舞いにいらしています」
「お兄さま? 通してちょうだい」
許可を出せば、すぐにローレンスは部屋の中に入ってきた。王城に行ってきた後なのか、きっちりと魔術師団の制服を着ている。
「やあ、ルエラ。熱を出したと聞いていたけど、そこまでひどくはなかったようだね」
ローレンスは軽い口調でそう挨拶した。ルエラはローレンスに椅子に座るように勧めた。そして久しぶりに会った兄を見て、目を丸くした。
「お兄さまは随分と草臥れていて……どうしたの?」
「そう思うだろう? ほんと、両親の尻ぬぐい、マジで勘弁してほしい」
とても侯爵家の嫡男とは思えないような口の悪さで、嘆いた。ローレンスは魔物討伐に出ることが多いせいなのか、畏まる必要がなければ口調がすぐに崩れる。両親はその都度注意をしていたのだが、ここ二、三年は諦めてしまっていた。
「お母さま、本当に遠慮なくやったのね」
「現場を見てきたけど、よくもまあ、これを不問にしたなというほど酷かった」
ローレンスがそう言うのだから、本当にひどいのだろう。ルエラは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、元はと言えばわたしが原因みたいで」
「招待状の件は父上が一番悪い」
「そういえば、お父さまは無事なの?」
昨日の別れ際の音を聞いているので、不安になってきた。ローレンスは肩をすくめる。
「大丈夫だろう。父上がちゃんと理解できたら、治癒魔法をかけてもらえるさ。そこまでに至る道が険しそうだけど」
「う……責任を感じる」
ルエラは呻いて頭を抱えた。自分の浅はかさに、ほとほと嫌になる。
「はは。そんなに気にしなくてもいいのに。父上は陛下と近すぎるからね。怒っていながらも、どうしても陛下寄りの行動をとりがちだ。もう少し距離を置けということなんだよ、きっと」
そう言ってから、ローレンスは突然真面目な顔になった。
「あまり聞きたい話ではないかもしれないけど、グウィン殿下たちの話、聞く?」
「教えてくれるなら」
「そのために部屋まで来たんだ。ルエラ自身のことだ、知っておいた方がいい」
そう言って、ローレンスは彼らの状況を教えてくれた。そして議会が決議しようとしている内容にルエラは驚いた。
「幽閉!? 思っていたよりも厳しいのだけども」
「そう? 私としては極寒の辺境への監禁でもよかったぐらいなんだけど」
ルエラがぼんやりと思っていたのは、臣籍降下という名の、王領での軟禁だと思っていた。そして王族としての権利を少しでも残すために、国王と議会の折り合いがつかないのだと。
ところが、話はそんな優しいものではなかった。王族にとって最大の罰が下されそうになっている。それは国王が必死になって議会と交渉するはずだ。
「議会では罪と罰を照らし合わせて調整していくんだ。今回の場合だとネスビット侯爵家が声を上げれば、罰は軽くなる。ところがうちは何も言わない。当然、他の貴族たちも何も言わなくて、結果的に法に従った処罰が下されそうになっている」
うくく、と楽し気にローレンスが笑った。どうやらローレンスにとって、王族への最大の罰は納得のいく内容のようだ。
「そういえば、噂聞いた?」
「噂?」
突然、ローレンスは話題を変えた。何だろうと思いつつ、知らないと首を左右に振る。
「グウィン殿下を唆した毒婦」
「毒婦? まさか、わたし、そう思われているの!?」
ぎょっとして声を上げれば、ローレンスが目を丸くした。
「どうしてそうなるんだ」
「あの人たち、わたしのことを悪く思っていたはずだから。成敗してやったとか思っていそうだわ」
「毒婦と言われているのはジェイニー・フレーザーだ」
ジェイニーの名前が出て、ぽかんとした顔になった。確かに誑かした女という意味では、そういう風に噂されても仕方がないとは思う。だけど、彼女は周囲からは咎められないように気を付けて行動していた。
「どちらかと言えば、前王妃様の再来で真実の愛を貫いたことになる気がするけど」
「真実の愛? なんだそれは」
「陛下と前王妃様の恋愛を下地にした舞台よ。少し前に、また人気になったの。そこの謳い文句で使われていて……何だったかしら?」
思い出せずに、ハリエットに聞いた。ハリエットはすました顔をして、エプロンのポケットから取り出した舞台のチラシを両手に持って二人に見せる。そして、謳い文句を朗読した。
「この真実の愛に君は涙する。幸せは長くは続かない、二人の愛の行方は……! 全大陸が涙したピュアラブストーリー!」
「あー、うん。ハリエット、それ以上はもういいよ。気味が悪くて、全身ぞわぞわする」
「この良さが伝わらなくて、残念です」
「良さねぇ? ルエラはわかるの?」
ルエラは首を左右に振った。
「まったく。きっとわたしには恋愛を理解する感性が備わっていないんだわ」
「はは、私もだ」
「それよりも、ジェイニー嬢の話です。毒婦とはどういうことなの?」
至極真面目な顔で逸れた話題を戻した。ローレンスはその噂を楽し気に話し始めた。
「噂によると、ルエラに毒を盛ることを唆したらしい」
「……ないとは言い難いですけど、どうしてそんな話に? ジェイニー嬢は上手く立ち回っていたと思います。それにその噂、どこから出たのかしら?」
「一番の有力候補は王妃。次に我が家。だから、今一番の話題だ。暇な貴婦人たちの心をぐっと鷲掴みにする刺激的な内容で、どこの茶会でもここだけの話、と囁かれているよ」
真実でなくても、噂は真実のように語られ広がっていく。だから、そのまま鵜呑みにするわけにはいかないのだが。社交界に復帰することがあれば、大変面倒なことになりそうだと嘆息した。
「さて、気鬱な話はここまでだ。久しぶりの王都なんだ。私ももう少ししたら仕事が片付く。ルエラの体調が整ったら、どこかに出かけよう」
「出かける? でも……」
「私が一緒に行く。それに治療師としてユリシーズもいる。転移魔法も使えば、少し遠い場所にも行けるはずだ」
ローレンスとユリシーズがいれば、大抵のことは何とかなりそうだ。
「ありがとう、お兄さま」
「どういたしまして」
気取った様子でローレンスが頭を下げるので、ルエラは笑ってしまった。




