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母の心配と説教と


 ルエラはネスビット侯爵家の玄関をくぐって、領地から出てきたことを後悔した。


 領地から馬車と転移魔法を使って移動してきたので、移動時間は半日程度。移動中、ユリシーズとハリエットと暢気な会話をしていて、あっという間に王都の屋敷にたどり着いた。領地に向かう時には苦痛だった移動も、今回は少し疲れを感じるだけだった。


 だけど、待ち構えていたネスビット侯爵夫人である母ラモーナの顔を見た瞬間、楽しい雰囲気は霧散し、三人は押し黙った。


「おかえりなさい。思っていたよりもとても元気そうで嬉しいわ」


 にこにこと満面の笑みを浮かべて出迎えているのに、ゾクゾクとした寒気を感じた。ルエラはなるべく母の隣に落ちている物体を見ないようにして、ぎこちなく笑みを浮かべた。


「お母さま、ご心配かけました。まだ自分で歩くのは難しいですけど、こうして外に出たいと思うほどには回復しました」

「ほほほほ、それは良かったわ」

「ルエラ、おかえり。待っていたよ」


 床に落ちた物から、かすれた声が聞こえる。絞り出した声に反応したのはユリシーズだ。


「……ネスビット侯爵。随分と大変なことになっているが、治療をした方がいいのではないだろうか?」

「不要ですわ。これは夫婦の語り合いの結果なの」


 ネスビット侯爵が何かを話す前に、ラモーナが断った。ユリシーズがやや引きつったような顔をした。


「しかし」

「もし」


 ラモーナがターゲットをルエラに変えた。まっすぐに見つめられて、ルエラがたじろぐ。


「ルエラがきちんと断りを入れていたのなら、十数年ぶりの本気の対話をする必要はなかったかもしれないわ」

「え、わたしが原因!?」

「まあ、もしかしたらルエラはわたしが怒るなんて思っていなかったのかしら? それはそれで問題だわ」


 可愛らしく頬に手を当て、首をかしげる。だが、その目は怒りに満ちており、声は非常に低い。ルエラは気持ちを高ぶらせている母に返事ができなかった。


「奥様、お怒りはわかりますが、そろそろ居間へ移動を。ここで話すようなことでもありませんゆえ」


 絶妙なタイミングで、家令がそっと口を挟んだ。ラモーナは逡巡した後、頷いた。


「そうね。ちゃんと話し合いましょうね、ルエラ」


 二度目の、領地に籠っていればよかったという後悔が頭の中を駆け巡った。



 一か月と少し、その程度しか留守にしていないのに、王都の屋敷はとても懐かしいような気分になる。毒を盛られる前も領地と王都を行ったり来たりしていたが、これほど懐かしいという感情を持ったことはない。


 不思議な気持ちを抱きながら、ユリシーズに手伝ってもらって車椅子から長椅子に移動した。腰を下ろすと、ハリエットがルエラのドレスの裾を整える。


 その間に、ラモーナは隣にボロボロのネスビット侯爵を座らせ、家令にお茶を用意するように指示をした。彼が一度部屋を出た後、すぐに使用人頭のマーリンがワゴンを押して入ってきた。マーリンはハリエットの母親で、ルエラは小さい時からお世話になっている。


 いつものお茶の香りがして、ルエラはマーリンに笑顔を向けた。


「とてもいい香りだわ。マーリンの淹れたお茶をまた飲めるなんて、嬉しい」

「ふふ、ありがとうございます。お嬢さま」


 マーリンは手早く全員のお茶を淹れ、菓子をテーブルに置く。菓子もルエラが大好きなクッキーだ。きっとルエラが戻ってくることを知って、ラモーナが用意させたのだろう。


 怒っているのも、きっと。


 ルエラは視線を手元に落とした。


 こうして生きているのはラモーナが必死に治療してくれたから。あれがなければ、すぐにでも儚くなっていただろう。

 それに、王都にいるのが辛いと言えば、まだ動けない体なのに領地に行くことを許してくれた。ユリシーズが領地にいたのはたまたまだけど、きっと治療をお願いした。元々ユリシーズの契約は魔術の研究だ。


 母が少しでも回復するようにと手を尽くしてくれていたにもかかわらず、少し体が動くようになって、元に戻った気分になっていた。まだ自分の足で立つこともできないのに。


 王妃の招待を受けたから王都に戻ると連絡を貰ったラモーナはどれほど驚愕したことか。


「……ごめんなさい。すごく心配かけて」

「そのごめんなさい、がわたしの気持ちの半分も理解しているといいのだけど」

「私もすまない。いくら王妃から脅されたからとはいえ、安易にルエラに送ってしまって」


 ネスビット侯爵も申し訳なさそうに体を小さくする。父娘は深々と頭を下げて母に謝った。


「あなた、今なんて?」


 ところが、沈下したはずの怒りが再びラモーナの面に現れた。ネスビット侯爵は思わず後ろに体をずらす。


「だから、お前に確認する前にルエラに送ったことを、だな」

「違う、その前」

「前? 脅されて?」

「そう、それ、初めて聞いたのだけど。あなた、わたしに何か隠していることがあるのかしら?」


 ネスビット侯爵の顔色が真っ青を通り越して、真っ白になった。体が震えているのはきっと見間違いだ。ルエラはあえて見ないふりをした。ゆっくりとお茶を飲み、クッキーに手を伸ばす。

 ユリシーズは無視できなかったようで、隣に座るルエラに小声で聞いてきた。


「これは仲裁すべきなのか?」

「放置するのが正しいわ。わたしには止められないし、夫婦の対話だから邪魔をすると飛び火しそう」

「まあ、そうだな」


 ユリシーズも仲裁には入りたくないようで、頷いた。


「お嬢さま、そろそろお部屋へお戻りを」


 そんな中、家令が声をかけてきた。驚いて目を瞬けば、家令は小さく頷いた。


「数日前からずっとこの調子なのです。しかも奥様は今、王宮の立ち入りを禁止されています」

「え、禁止!?」

「はい。どうやら陛下に抗議に行って部屋を一つ、潰したようです」


 あまりの事実に眩暈がした。


「どういうこと? それに部屋を潰したって……」

「奥様がお嬢さまに断りにくい招待状を送ったことに激怒なさいまして。魔力が抑えられなかったとのことです」

「それで、この状態なのか」


 茫然とするルエラの横で、ユリシーズは納得したと頷いた。


「それって、我が家は大丈夫なの?」

「今回は王妃様の暴挙ということで、不問とされています。ただし、これ以上部屋を壊されては困るということで、立ち入り禁止だそうです」


 ルエラは自分が迂闊に受けたせいだと心の底から理解した。


「ルエラ」


 家令に促されて、自室に向かおうとしたところ。

 ラモーナが声をかけてきた。


 顔を上げて母を見れば、左手で父の胸倉をつかみ、右手は拳だった。ほんのりと、魔力が乗っているのは力を補強するためだろう。ラモーナも女性なので、ネスビット侯爵を殴り飛ばせるほどの力は本来はない。


「色々と言いたいことはあるけれども、一つだけ。ちゃんと状況を確認してから動きなさい。今回はわたしが暴れたから、王妃との茶会はなくなったわ」

「そんな簡単に?」


 てっきりお見合いを勧められると思っていたので、あっさりとなくなったことに驚いた。ラモーナはため息をついた。


「王妃はわたしへの嫌がらせで送ってきただけよ。だから気にすることはないわ。それにしても、体調も整わないうちに王妃と会おうだなんて、何がそんなに心配だったの?」

「王妃派の貴族との縁談を断りたいと思っていて」

「縁談?」


 母の厳しい声音に、ルエラは体を震わせた。ラモーナは夫の首を絞めるようにきつく胸元を引っ張った。ネスビット侯爵は真っ青になって、その手を緩めようとバタバタしている。


「どういうことなの? まさかわたしに隠れて、ルエラにお見合いをさせようとしているの!?」

「違う! そんな話、まったくない!」

「じゃあ、どうしてルエラは新しい縁談の心配をしているのよ」


 ルエラは慌てて、仲裁に入った。


「お母さま、まだ具体的にお話は頂いていません。わたしが勝手に想像して、先に断りを入れておこうと思っただけでっ!」

「……本当に?」

「本当です!」


 ルエラが必死に頷けば、じろりとネスビット侯爵を睨んだ。


「あなた、信じてもいいのね? わたしに隠し事はないわね?」

「も、もちろんだ。でも、普通に考えれば、ルエラの心配はその通りで」


 それはラモーナもわかっていたのだろう。首を締めあげていた手が緩んだ。ネスビット侯爵の顔色がほんのわずかだけよくなった。


「ルエラ」

「はい」


 神妙に頷いた。ラモーナは姿勢よく座り直すと、まっすぐに娘を見た。


「家のことなど考えずに、好きな人と結婚しなさい。十分に役割を果たしたのだから、もう一度家のために婚約しろとは言わないわ。あなたもそれでいいわね?」

「もちろんだとも。陛下にも新しい縁談はいらないと断っておく」


 きりっと真面目な顔をしてネスビット侯爵は請け負った。ラモーナはもう一度、娘に目を向ける。


「家のことも派閥のことも心配しなくて大丈夫。外向きのことはお父さまとローレンスに任せておきなさい。それから、グウィン殿下とその友人たちには近寄らないように。余計なことしかしない人たちだから、わざわざ付き合うことはないわ」

「わかりました」

「よろしい。疲れたでしょうから、ゆっくりと休んでちょうだい」


 母からの注意が終わった。覚悟していたよりも短く終わって、ほっとする。

 部屋を出た後、何やら壊れるような激しい音とネスビット侯爵の呻き声が聞こえてきたのは、気にしないことにした。

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