真綿で包むように
監視の目が多くある中、デリックは離宮に入っていった。護衛騎士に会釈をしながら慣れた道を進み、グウィンが過ごしている居間に向かう。
ここの護衛騎士は国王が選出した騎士がほとんどで、デリックが挨拶すれば苦笑される。
今までのことを考えれば、国王はデリックをグウィンから引き離すべきだった。グウィンの行動を止められなかったということもあるし、グウィンが行動できるように準備しているのがデリックだからだ。
だけどしかし、初めての挫折に萎れているグウィンの姿に、国王は冷酷になり切れなかった。王位継承権剥奪と王族からの除籍、この二つの罰で十分だと思っているようだった。
国王はどうしてもグウィンのことになると、王の顔よりも父の顔の方が色濃く出る。それだけ前王妃を愛していたからなのか、デリックにはよくわからなかった。
だがそのおかげで、デリックはグウィンの側にいることができる。その代わりこの離宮には沢山の護衛が配置され、何かを持ち込むことも、外に抜け出すことも、不可能になってしまったが。幸いなことに、あとは穏便に国を出られたらいいだけだ。王妃からの妨害がなければ、いくら議会が渋っても最終的にはグウィンの希望が通るだろうと踏んでいた。
「あと少し」
これからのことを思うと、自然と口元が緩んだ。グウィンをラフジア国の次の王にすると定めてから随分と時間が経った。足枷となっているルエラやネスビット侯爵家を切り離し、目障りなフレーザー兄妹もいなくなった。
グウィンをラフジア国へ連れていく日が待ち遠しい。
砂漠に呑まれ始めたラフジア国も、正しい継承者が王になればきっと元の豊かさを取り戻すだろう。継承の儀式をして国王となってもらうためにも、グウィンをラフジア国に連れて行かなくてはいけない。
生粋のラフジア国の王族の血ではないが、グウィンの母は開祖の女王と同じ容姿をした王女だった。その血を引いているのだから、誰よりも相応しいはずだ。
控えめに扉をノックして、返事を待たずに中に入る。
グウィンは長椅子にだらしなく横になっていた。いつもはきちんと着ているシャツも、ボタンが外れ、裾はズボンから飛び出している。デリックが入ってきたことはわかっているはずなのに、ピクリとも動かない。
「食事をしていないと聞きましたが、嫌いなものでも入っていましたか?」
「……デリック、来たんだ」
「ちゃんと来ますよ。ぼんやりしているグウィン様を誰が面倒見るんです?」
軽口を叩けば、グウィンは力なく笑った。
「誰もいないんじゃないのか? ルエラだって離れていった」
投げやりな呟きに、デリックは目を細めた。笑みが浮かびそうになるのを必死に抑え込む。
「最近、ロニーもジェイニーも会いに来てくれない」
「二人ともしばらくは無理かもしれません。なんでもネスビット侯爵領に行ったことがフレーザー子爵にばれて、閉じ込められているとか」
グウィンは思わぬ情報に、体を起こした。この部屋に来て初めて目が合う。二人の置かれている状況を考えていなかったようで、グウィンは驚きに声を高くした。
「はあ? 何で二人が咎められるんだ! 僕が行くと言ったから、一緒に来てくれただけなのに」
「そうですね。ですが、今は謹慎中でしたので」
そうだった、とグウィンは肩を落とした。冷静に判断できるようになっているようで、彼は自分のしでかしたことに頭を抱えた。
「デリック……何か困ったことがあれば、二人に手を貸してやってくれ」
「もちろんです」
デリックがすぐに頷いたので、グウィンは安心したように顔を上げた。だがすぐに憂いの表情に変わる。今の状況が受け入れがたく、不安が顔いっぱいに広がっていた。
「ルエラ、怒っていた。あんなにも怒っているのを見たのは初めてだ」
「そうですね。やり過ぎましたから」
「……あの時はあれが最善だと思っていた」
後悔が次から次へと湧いてきて、自分のことばかり考えていたと、まとまらない感情を吐き出していく。デリックはその呟きに、ただただ相槌を打った。
「ルエラがいなくて、これから、どうしたらいいのか」
「心配いりません」
「どうしてそう言える? ネスビット侯爵家とのつながりがなくなれば、きっとまた……」
グウィンは恐ろしさに体を震わせた。デリックはよくわからないといったように首をかしげる。
「王太子は第二王子に決まります。今後、グウィン様が害されるようなことはないかと」
「そうかな? 僕は王妃に嫌われているから。母上が死んで、ルエラと出会う前は毎日殺されるのではないかと恐ろしかった。毎日のように食事には毒が入っていて、庭に出れば矢が飛んできた。本当に……僕は両親以外にはいらない存在だった」
だから、庇護者としてネスビット侯爵家が選ばれたのだと、グウィンは説明した。そして、顔色をますます悪くする。
「ああ、何てことだ。こんなにも守ってもらっていたのに。どうして忘れていたのだろう」
「そうでしょうか?」
デリックはグウィンの後悔を否定するように、首を左右に振る。グウィンは不審そうに彼を見つめた。
「ネスビット侯爵家のしたことはグウィン様のためになっていなかった、と私は思います」
デリックはゆっくりと言い聞かせるように、繰り返した。
「今のこの閉じ込められている状況は、ネスビット侯爵家がグウィン様の願いを読み違えたからですよ」
「そんなことはない。僕は第一王子で、王位を継ぐのは義務で。だからネスビット侯爵家が後見になったんだ」
「グウィン様は陛下に愛されています。だから王太子になりたくないと願えば、自由になれたのです。早いうちに、臣籍降下を宣言してもよかった」
グウィンは黙り込んだ。
「もしくは。母君の祖国ならどうでしょう? 母君は小国でありましたけど、王女だったのです」
「……母上は僕に祖国の話をしたことは一度もない」
「ああ、そうなのですか?」
デリックの言葉に、グウィンは何やら考え込んだ。慎重に様子を窺いながら、デリックは続ける。
「とてもいいところでしたよ」
「行ったことがあるのか?」
「ええ。我が家はグウィン様の母君の側仕えの一族です。母君のために、両親は爵位を得て、こちらで仕えることになったのです」
「お前の両親の出身を初めて聞いた。デリックが僕と顔を合わせたのはルエラと婚約した後だったか?」
当時を思い出したのか、グウィンは小さく頷いた。
「私はそれまでラフジア国にいる祖父母の元で暮らしていましたから。祖父母はラフジア国王の側仕えをしています」
「そうなのか?」
「ええ。ですからあちらで後を継ぐものとばかり思っていました。グウィン様に年の近い友人を、ということで両親にこちらに呼ばれたのです」
初めて聞くことばかりなのか、デリックに色々と質問をした。ある程度の質問が終わると、ふと気になったように両親の話が出る。
「そういえば、お前の両親はどうしている? 母上が亡くなってから、城に上がらなくなってしまっただろう?」
「二人とも元気ですよ。王都と領地を行き来しながら、のんびりと暮らしています」
「そのまま側にいてもらいたかったな」
今更のことを呟けば、仕方がないとデリックは笑った。
「ネスビット侯爵家が後見になる条件が、両親の隠居でしたから。それもあって、私を呼びよせたのでしょう」
「そうだったのか。知らなかった」
そのまま懐かしい話をしているうちに、グウィンの顔にも笑みが浮かぶようになった。それを見計らって、テーブルの上に置いてある軽食を手前に引き寄せた。
「さあ、食べてください。体を壊してしまいます」
「その方が喜ぶ人間が多いと思うぞ」
「私が泣きます。それに、居心地が悪いなら、国外に出るのも一つの手です」
先ほどよりも、前向きな様子でデリックを見てくる。
「その……許されるのか?」
「形はもしかしたら国外追放ということになりますが」
国外追放と聞いて、グウィンの表情が歪んだ。
「国外追放って」
「このままいけば、グウィン様は間違いなく幽閉されます」
ルエラからの助けが得られないとわかった時に、幽閉は覚悟した。言葉の持つ冷たさに、グウィンの心が冷える。冷たい牢獄のような幽閉塔の中で、一人年を重ねる。それはどれほどの絶望だろう。
悪い想像をしたグウィンに、デリックが言葉を重ねる。
「ラフジア国は温かな国民性で、母君はとても愛された王女でした。グウィン様はその母君とよく似ています。それに今の国王には跡取りがいないのです。王女の息子であるグウィン様であれば、きっと」
「だが、まったく知らない国だ」
躊躇いながらも、否定はしない。
デリックはグウィンのわずかな気持ちの変化を感じ、さらに後押しをした。
「もし、グウィン様がラフジア国に行くのなら、私も一緒について行きます」
「いいのか? お前は伯爵家の嫡男だろう?」
「そもそもグウィン様のことがなければ祖父母の元で成人する予定でした。両親もラフジア国に帰ることを許してくれるでしょう」
「そうか、それなら」
安心したせいか、小さく欠伸をした。眠そうに目を瞬き、背中を長椅子に預ける。
その様子を見ていたデリックが優しく促した。
「少し休んでは?」
「そうだな、すごく眠くなってきた。デリック」
「なんでしょう?」
「その、ラフジア国へ行けるように父上に話してもらえないか?」
デリックは優しい笑顔を見せると、しっかりと頷いた。
「わかりました。お任せください」
グウィンは安心したように、瞼を閉ざした。




