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14/24

あの日からすべてが変わった


「どうしてネスビット侯爵領に行ったんだ!」


 グウィンと一緒にルエラの療養している領地から帰ってくると、玄関フロアで待ち構えていた父親にジェイニーは突き飛ばされた。バランスを崩し、床に尻もちをつく。いつも優しい父親からの暴力的な仕打ちに、ただただ信じられない思いで、父親を見上げた。激怒した父親からジェイニーを隠すように、ロニーが慌てて間に入る。


「父上、どうしてジェイニーを責めるんですか?」

「どうしてだと?! お前たちは自分がどんな立場だかわかっているのかっ!」

「どんな、って」


 フレーザー子爵が何に怒っているのか見当がつかず、口籠る。


「そもそもグウィン殿下は謹慎中のはずだ。連れ出すなんて、一体どうやって……」

「簡単でしたよ? デリックが用意してくれて」

「デリック……ベグリー伯爵家の」

「そうです。彼が手配してくれて、転移魔法陣も使えましたし、警備も初めは強気に拒否していましたけど、デリックの用意した王家の紋を見せたら通してもらえました」


 フレーザー子爵は難しい顔になった。黙った父親を見て少し冷静になったのだろうと、ロニーは言葉を重ねた。


「デリックは頭がいいんですよ。今回のことだけじゃない。いつもグウィン殿下の願いを叶えていて。彼がいなかったら、ジェイニーだってグウィン殿下と心を通じ合わせることだってできなかった」


 そう説明すれば、フレーザー子爵は突然、ロニーに殴りかかった。あまりに突然だったので、避けずにそのまま受け止めた。止められたフレーザー子爵は怒りで顔を真っ赤にする。


「受け止めるな!」

「そんな無茶な。それよりも父上も少し冷静になってください。何を怒っているのかさっぱりわかりません」


 フレーザー子爵はがっくりと肩を落とした。


「うちは捨て駒にされたんだ」

「は?」

「議会で婚約白紙と王太子決定が一か月以上も前にされているのに、自由に動けたのがその証拠だ」

「どういうことです?」


 父親の嘆きがわからず、首をひねる。


「普通なら拘束されるような事案だ。それなのに、お前たちも自由に出入りしている。それと貴族からの批判がないことが異常事態だ」

「言われてみれば……」


 貴族は揚げ足取りが仕事のようなものだ。婚約白紙が認められるほどのことをしたにもかかわらず、ロニーは城で貴族たちに何か言われたことがない。いつもと変わらず、鍛錬すら一緒にしている。


 嫌な汗が背中を伝った。


「へ、陛下が貴族たちを抑えてくれているのではないのですか? グウィン殿下の離宮に行くのも、監視が沢山いるので、かなり大変ですから、きっと」

「はは、はははは。そうか、そんな中、好き勝手動けたのか。我が家は終わったな」


 虚ろな目になったフレーザー子爵にロニーは戸惑った。フレーザー子爵の考えが全くわからない。


「あなた、ちょっとした失敗ぐらいで、そんなに怒らなくても。ジェイニーはグウィン殿下の寵愛があるのだから、今は大変でも何とかなりますよ」


 落ち着いたところを見はからって、フレーザー夫人が悲観する夫を励ますように声をかけた。


「何を言っているんだ?」

「あら、だって。ルエラ様がジェイニーに嫌がらせをしているだけでしょう? ジェイニーも愛する人を思って、やり過ぎてしまったのかもしれないけど、時間が経てば」


 明るく話す妻に、子爵は真っ青になった。


「お前、今、どんな噂が流れているのか、知らないのか? ジェイニーが何と言われているかも?」

「最近、どこからもお茶会のお誘いがなくて」


 子爵は唸り声をあげて、頭を抱えた。


「ジェイニーはグウィン殿下を地に引きずり下ろした毒婦と言われているんだ。今日、会合に出た時にこっそりと教えられた。我が家に噂が耳に入らないようにされていたんだ。お茶会に招待されないのも、お前に噂を聞かせないためだろう」

「毒婦?」


 言われたことが理解できなくて、子爵夫人はぽかんとした。ジェイニーもあまりの言われ方に、悲鳴を上げた。


「わたし、そんな女じゃないわ!」

「事実かどうかなんて、関係ない。グウィン殿下は婚約者に毒を盛った。それを唆したのがジェイニーだと」

「唆しただなんて、酷い。ただルエラ様を寝込ませるにはどうしたらいいかと相談されたから、毒がいいという話になって……」


 あまりの言われ方に、悲しくなって涙が出てくる。


「は? ジェイニー、本当に……毒を勧めたのか?」

「わたしが言い出したわけではないはずだわ」


 確認するようにロニーに目を向けた。ロニーは眉間にしわを寄せる。


「いや、確かに自由時間が欲しいという話をしていたが、毒という言葉が出たのはジェイニーからだったような」

「え? うそ?! そんなはずは」

「でも、グウィン殿下はルエラ嬢を説得するにはどうしたらいいか、と悩んでいたから、最初から毒を使うつもりはなかったはず」


 ジェイニーは驚きにただただ目を見開いた。


「では、噂ではなく事実ということか?」


 フレーザー子爵は魂が抜けたように呆けた。貴族の噂は相手を引きずり落とすためのものが多く、真実でないことの方が多い。ジェイニーの酷い噂もそういう類のもので、第二王子陣営が捏造して流したものだと思っていた。それなのに。


「何もかも足りないジェイニーを側室にしたいと欲をかいたせいか」


 泣くことも笑うこともできずに、フレーザー子爵は項垂れた。


「旦那様、呆けている場合ではありません。今すぐ決断しませんと。できる限り一族への影響範囲を軽くする必要があります」

「ああ、そうだ。確かに呆けている場合ではない。父上と弟に今すぐ連絡を」


 家令の言葉に我に返ったフレーザー子爵は慌てて執務室へと行ってしまった。残されたジェイニーと夫人、ロニーは無言で子爵を見送る。


「どういうことかしら?」

「わかりませんが、我が家が良くない状況になっているのはわかります」


 ロニーは情報量が多すぎて頭が混乱していたが、自分たちが想像以上に不味いことになったのは父親の態度から実感していた。


「わたしも確認するから、二人とも大人しく部屋にいて頂戴。ジェイニーも悪い噂が消えるまで大人しくね」

「お母さま、わたし、グウィン様に助けを求めてきます」

「勝手に動くのは、どうかしら?」

「グウィン様が噂を否定してくれたら、すぐに収まります」

「……そうね、それがいいのかもしれないわね」


 子爵夫人とジェイニーのやり取りに、ロニーは慌てた。


「今、グウィン殿下に会いに行くのは駄目だ。父上の指示を待った方がいい」

「嫌よ! お父さまを待っていたら閉じ込められてしまうかもしれないじゃない。グウィン様は助けてくれるはずよ」

「ジェイニー!」


 引き留めようとするロニーに強く反発して、ジェイニーは屋敷を飛び出した。



 ジェイニーは自分の置かれている立場が全く理解できなかった。


 王太子候補のグウィンと兄であるロニーを通して知り合い、徐々にその距離を詰めていった。グウィンにはすでに婚約者がいたけれども、別に気にならなかった。


 ジェイニーは子爵家の娘であったけれども、一人娘ということと母親の方針もあって、最低限のマナー程度しか学んでいなかった。勉強は嫌いだし、貴族の回りくどい言い方も好きになれない。両親がそれでいい、それでもいいと言ってくれる人と結婚すればいいといつも言っていたので、ジェイニーも特に慌てることもなく過ごしてきた。


 結婚相手を探して参加した夜会で見かけたのがグウィンだ。素敵な人だなと思っていたら、ロニーが護衛として側に上がることになった。縁があると思った。

 ジェイニーは兄を説得して、紹介してもらって。

 次第にグウィンがジェイニーを見てくれるようになって、可愛いと言ってくれて。


 初めは心配していた両親も、ジェイニーを大切にするグウィンの態度を見て応援してくれるようになった。それに、グウィンとのつながりができて、子爵家も商売がうまくいくようになったのも、両親が許してくれた一因だ。


 初めは彼の隣で王妃になるのもいいかと考えたけれども、王妃になるための勉強は自分には無理だと知った。

 だったら、唯一の側室になろうと貴族社会のことをわかっていますと言った顔で、一歩下がった位置に立つことにした。表向きは控えめにしていたが、ルエラにはきっちりとわかってもらうつもりで二人きりの時、グウィンと三人でいるときは強気な態度を取った。


 対外的な役割はルエラ、そしてグウィンの心を癒すのは自分だと。

 グウィンもそれでいいと許してくれたので、ルエラに対しては常に横柄に振る舞い続けた。身分も教養も容姿もすべてが上のルエラを、女として見下ろせるのはとても快感だった。愛されていないのだから、役に立つ仕事だけをすればいいとすら思った。


「とにかく、グウィン様に会わないと」


 そう呟き、ひたすら歩いた。何も持たずに出たものだから、辻馬車にも乗れず、歩くしかなかった。歩きなれていない上に、柔らかい部屋履きなので、足がずきずきと痛みだす。そのうち靴が壊れた。


「もう!」


 壊れた靴をはぎ取ると、道端に投げ捨てる。裸足で歩いてみたが、砂利が足の裏に食い込んで痛い。それでも頑張ってみたが、靴を脱ぎ捨てたところから、いくらも行かない場所にしゃがみこんだ。


「はあ、やっぱり馬車が戻ってきてから飛び出せばよかった」


 恨めしそうに少し先に見える城を睨んだ。馬車だと大した距離ではないのに、こうして歩いているととてつもなく遠い場所のように思える。屋敷に戻ることも、グウィンのいる城に向かうこともできずにぼんやりしていれば、馬車の音が聞こえた。


 声を掛けようかとも思ったが、自分がひどい格好をしているのを見て諦める。こんな得体の知れない女を乗せてくれるような貴族などいない。あきらめの境地で顔を上げれば、馬車が止まった。


「ジェイニー、こんなところで何をしている?」


 窓から顔をのぞかせたのは、デリックだった。


「デリック! お願い、馬車に乗せて!」

「ここまでどうやって来たんだ?」


 デリックは眉を顰める。ジェイニーはとにかく必死に訴えた。


「ちょっと家で喧嘩しちゃって、飛び出してきたの。それでグウィン様に会いたくて」

「ああ、なるほど。じゃあ、乗るといいよ」


 ようやく納得したのか、馬車の扉が開いた。ジェイニーは御者の手を借りずに馬車に乗り込む。デリックの向かいの席に腰を下ろして、満面の笑みを浮かべた。


「本当にデリックと会えてよかった。どうしたらいいのか、途方に暮れていたの」

「そうか」

「聞いてよ、お父さまったらね、この間抜け出してルエラ様に会いに行ったことをすごく怒っていて。信じられないことに突き飛ばされたのよ」


 ジェイニーは自分の身に降りかかった理不尽を、デリックにぶちまける。デリックは興味深そうに聞いていた。


「本当にどうしてこんなことになってしまったのかしら? わたしが毒婦だなんて酷い噂も立てられているし」

「噂じゃなくて真実だろう?」

「何を言っているの? 真実じゃないわよ」


 あまりにも冷たい言い方に、ジェイニーは初めて目の前に座るデリックを見た。彼はいつもどこか冷めた様子を見せていたが、これほどまで突き放すような空気は纏っていなかった。もしかしたら、彼も間違った噂を信じて逆恨みしているのかもしれない。そのことに思い至って、慌てて言い訳を始める。


「デリックだってわかるでしょう? わたしのほうがルエラ様よりも愛されているのよ。それにグウィン様はわたしとの子供に王位を継がせたいと思っていたし。だから、なんとなく毒の話が出た時に止めなかったの。確かにわたしだって下心があったことは認めるわ。毒を飲んだら、子供が産めない体になるかもしれないって。でも、グウィン様のためだったの。ルエラ様に子供ができない原因はグウィン様じゃないか……」


 話の途中で、デリックはジェイニーのすぐ横を蹴った。がつっという鈍い音に、ジェイニーは目を見開いた。


「黙ってろ」

「え、どうしたの? ちょっと変よ?」


 何とか和やかな雰囲気にしようと笑みを浮かべようとしたが、デリックの冷ややかな眼差しに凍り付いた。ジェイニーは初めて二人きりで不安を覚えた。


 いつも一緒にいたから、何も考えずに馬車に乗り込んでしまった。この馬車はどこに行くのだろう。行き先を聞こうにも、聞けるような雰囲気ではなくて。それでも、頑張って声を絞り出した。


「ね、ねえ。わたし、家に帰りたいの。だから」


 デリックは一瞥しただけで、特に返事はしなかった。向きを変えない馬車に、ジェイニーは自分を抱きしめるようにして腕をさすった。


 重苦しい沈黙が続いて。もう耐えられないと思った時、ようやく馬車が止まった。


 居心地の悪い思いをこれ以上したくなくて、さっさとデリックと別れようと決める。馬車の扉が開く前に、デリックを見た。


「送ってくれてありがとう。わたし、急いで」


 最後まで言い終わる前に扉が開き、引きずり出された。強い力で腕を掴まれ、無様にも地面に転がる。


「きゃあ、なんなの?!」


 悲鳴を上げたが、誰も気を遣ってくれない。ジェイニーは恐る恐る辺りを見回した。あとから降りてきたデリックは丁寧にお辞儀をしている。


「どうやって連れてこようかと思っていたけど。デリック、君は優秀だね」

「えっ?」


 ジェイニーは自分のことを話す男を見て、唖然とした。


 この国の、貴族なら誰でも知っている。

 グウィンの異母弟、つまりは第二王子。


 訳がわからなくて、ぼうっとした。


「流石に私の顔は知っているんだ。いつも傍若無人な振る舞いをするから、てっきり知らないかと思っていた」

「これ、どうしますか? ついでに拾ってきましたが」

「そうだね。今から帰すのも面倒だね」


 ジェイニーは二人の良くない会話に顔色を悪くした。デリックを縋るように見上げる。


「ね、ねえ。どういうこと? なんで? わたしはただグウィン様に会えればよかったのよ」

「異母兄上には今すぐ会わせてあげられないなぁ。まあ、時期が来たら? 多分会わせてあげられるよ」


 逃げることもできず、騎士達に引きずられて行った場所はかび臭い地下室だった。

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