王妃からの招待状
穏やかな気持ちでいられることが嬉しい。
ルエラは自分の気持ちがすごく軽やかであることが不思議だった。息を吸うのも苦しくなく、今まで無意識に重荷を背負いこんでいたのだろうと思えるほど。
それにバングルをしてから、非常に体調が良かった。まだまだ一人ではできないことが多いが、確実に痺れが弱くなっている。ほんの少しだけでも、治ってきていると実感できることがルエラの気持ちを前向きにした。
「お嬢さま、どうぞ」
ハリエットがカップをテーブルの上に置いた。ルエラのお気に入りの工房が作ったカップから立ち上る甘やかな香り。初めてのお茶に、ルエラはハリエットへ目を向けた。
「これ、葡萄?」
「はい。最近、隣国で流行りの飲み方だそうです。ポットに少し潰した果物と茶葉を入れて、お湯を注いでいます」
「とてもいい香り。美味しそう」
慎重にカップを持ちあげた。一口飲めば、葡萄の甘さと爽やかさが口の中に広がる。ほんのりとした甘さがあって、とても飲みやすい。
思わず笑みを浮かべると、ハリエットも嬉しそうに笑みを見せた。穏やかな時間を過ごしていれば、家令がサロンへとやってきた。
「お嬢さま、お手紙が届いております」
「手紙?」
「はい。旦那様から自由に決めていいと伝言がありました」
何やら不穏な様子に、ルエラは手紙を手に取るのを躊躇った。お盆に載せられた手紙をじっと観察する。美しい文字ではあるけど見覚えがない。
「このまま返しては駄目かしら?」
「一度は目を通していただきたく」
ルエラはため息をついて、手紙を手に取った。ペーパーナイフで封を切って、取り出した。
ふわりと広がる、爽やかな花の香り、表書きと違わぬ流麗な文字。
そこにはルエラの体調を労わる言葉と、動けるようになったのなら是非お茶に誘いたいという優しい言葉が連なっていた。
二度、三度、読んで、サインの文字を何度も確認して。
とうとう諦めて、手紙をテーブルの上に置いた。側に控えている家令に念のため聞いた。
「これ、断れないわよね?」
「旦那様が頑張るらしいです」
「わたしが起き上がれるのを知っているから、送ってきたのよね」
ルエラの様子は領地にいるから外に伝わることはない。それでも王妃が知っているということは、恐らくグウィンが何か口走ったのだろう。もしくは乗せられて、しゃべってしまったのか。ジェイニーの可能性もある。
「はあ、気が重いわ」
「それほどまで気がすすまないのなら、旦那様に頑張ってもらってもいいのでは?」
ハリエットは強く勧めるが、それが通用するのは二、三度だ。いつかは招待を受けなければいけない。今の状態で受けた方がいいのか、それとも、もう少しよくなってからの方がいいのか。どちらも、メリットとデメリットがあって、悩ましい。
「また何か問題ができたのか?」
ぐるぐると唸っていれば、いつの間にかユリシーズがサロンにいた。
「ユリシーズ様」
「治療の時間なのだが。もし都合が悪ければ、時間をずらそう」
そう言われて、時計を確認すれば確かに約束の時間になっている。
「いいえ、大丈夫よ。今すぐ結論が出るわけではないから」
「結論?」
「ええ。王妃様から、非公式のお茶会に来てほしいと招待を受けたの」
王妃と言われても、ユリシーズにはピンとこないようだ。ルエラはため息交じりに説明した。
「王妃様は第二王子のお母さまでね、ネスビット侯爵家とは少し距離があったの」
「そうなのか。てっきり、現王妃の息子が第一王子で、第二王子が側室の子かと思っていた」
「陛下と前王妃様の恋の話は有名なのだけど、知らない?」
この国に住んでいれば一度は聞いたことがあるラブストーリーだから、ユリシーズも聞いたことがあるはずだと思っていた。だけど、彼は首を左右に振った。
「聞いたことがあるかもしれないが、覚えていないな」
「人様の恋愛事には興味なさそうですものね。グウィン殿下のお母さまは他国の王女殿下だったの。丁度婚約者を亡くされた陛下が外遊先で見初めてね。恋に落ちる瞬間という言葉ができるほど、とてもロマンチックな出会いだったそうよ」
ルエラの生まれる前の話であったが、この国では非常に人気のある話だ。小説や演劇などで、二人の出会いから困難を乗り越え、愛を育み、結婚するところまでが広く知れ渡っていた。人気のある二人だったため、前王妃が出産のあと寝込みがちになり、数年後に亡くなった時には国中が悲しみに包まれたという。
「それほどまで愛し合っていたのに、第二王子は二つ年下だよな?」
「前王妃様は産後の肥立ちがよくなくて。議会が側室として今の王妃様を推したのよ。王妃様は名門の公爵家のご令嬢だったの」
「なるほど?」
何かに気が付いたのか、ユリシーズが難しい顔になった。貴族社会を知っているならば、気が付いてしまう色々な思惑。いくら囲われているとはいえ、気が付かないグウィンたちがおかしいのだ。
「陛下がグウィン殿下に過保護になってしまったのは、前王妃様の面影が強いのもあるけど、今の王妃派から守るためでもあったのよ。幼い時は常に暗殺に怯えていたわ」
だからこそ、考えられる最高の環境を与えようとした。
王宮が危険だと判断した後は、ネスビット侯爵家で生活させ、ルエラと仲良くしている様子から婚約者に据え。王太子としての後ろ盾も用意した。
「そんな相性の悪い相手がなんでまた招待状を?」
「今回、第二王子が王太子に内定したことで、こちらとも交流を図ろうということだと思うのだけど。目的はわたしの縁談でしょうね」
グウィンが普通に王太子に選ばれず、公爵位を貰っての臣籍降下ならばこんな誘いは来なかっただろう。お互いに牽制し合いながら、国を運営していったはずだ。
でも現実は、グウィンのやらかしで第一王子派の貴族たちはそのまま宙に浮いた。大きな派閥を取り込むのなら、縁組をするのが一番手っ取り早い。
わかっていたことだけども、それは少し先の未来の出来事で、今まで見ないようにしてきた。
「縁談が嫌なのか?」
「今は考えたくないわね」
「それなら、俺と婚約するか?」
思わぬ言葉が出てきて、ぎょっとした。信じられない思いで、彼を見つめればユリシーズは肩をすくめる。
「縁談を持ち込めないようにするには、すでに婚約者がいた方が断りやすいだろう?」
「そんな理由で婚約しないわ」
ルエラのことを案じて言ってくれているのはわかる。でも、都合ばかりの婚約はもうこりごりだ。
「それは残念だ。ルエラ嬢となら結婚してもいいと思ったんだ」
「そう思ってもらえるのは嬉しいけど……」
守ってもらうばかりではどうもならない。
ルエラは自分の手を握りしめた。まだまだ力は入らないけれども、前のように嘆くほどではない。
「俺としては、まだ無理をしてほしくはない。良くなっていると言っても、劇的に変化しているわけではない」
「無理はしないわ。でも、動けないからと放っておくと、大変なことになりそう」
「侯爵夫妻に任せてはおけないのか?」
「……お母さまと王妃様、相性が悪いのよ。拗れて悪い方向に行きそう」
ルエラは短く息を吐くと、覚悟を決める。
「王都に戻るわ」
「わかった。では俺もついていこう」
「ええ?」
「治療師がいないと困るだろう? 従者の真似事ぐらいはできる」
従者と聞いて、一体どんな立場でついてくるつもりなのか、不安になる。その思いが顔に出ていたのか、ユリシーズが笑った。
「心配いらない。庶子だが、公爵家で育っているんだ。マナーだって人並みにできるし、嫌味を言うのは実は得意だ」
自信満々のユリシーズに、不安しかなかった。
 




