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婚約者の希望

 お茶の良い香りがサロンに広がった。

 すっきりとした柑橘系の香りは、張り詰めがちな気持ちを穏やかにしてくれる。特に二カ月後に行われる王太子の指名を巡って、周囲もどことなくぴりぴりしていた。

 当然、第一王子の婚約者であるルエラも普段と同じように過ごしているつもりでいても、知らないうちに緊張していたようだ。気が付かれない程度に息をつく。


 ようやく力を抜いたルエラに対し、向かいの席に座るグウィン第一王子はゆったりとした様子だ。金髪に碧眼、くっきりとした美しい王家の色を持つグウィンはどちらかというと優しい顔立ちで、亡くなった前王妃の面影が強い。こうして機嫌のよいところを見るのはとても久しぶりだ。


 いつもならルエラと一緒にいることすら気に入らないとばかりに、つまらなそうな顔をしているのだが。珍しいこともあると心の中で呟いた。


「とてもいい香りですわ。どこのお茶かしら?」

「最近人気のお茶だよ。君が柑橘系の香りが好きだから、取り寄せてみたんだ」

「まあ、嬉しい」


 普段は最小限の交流しかない婚約者にそんなことを言われれば、自然と笑みが浮かぶ。幼い頃、まだ二人の仲が良かった頃に戻ったようで、ルエラは素直に喜んだ。


 最近は考え方の違いからか、すれ違ってしまって、話し合おうにも嚙み合わないことが多くなった。でも婚約者になる前、十歳になるまではとても仲良しだったのだ。


 幼かったころの過去を懐かしく思い出す。

 結婚まであと少し。王太子が選出された後ならば、今のように忙しく走り回ることも少なくなる。そうしたら、昔のように歩み寄れるだろうか。


「飲んでみて」

「ええ、いただきます」


 勧められて、カップに口をつけた。香りと同じく、上品で爽やかな味わいだ。


「美味しい」

「それはよかった。市井ではとても人気で、なかなか手に入らないそうだ。ジェイニーが朝早くから店に寄ってくれたんだ」


 ルエラを気遣ってくれることが嬉しいと思うよりも、ジェイニーの名前が出たことで気持ちが曇った。

 ジェイニーはグウィンの側近の一人ロニー・フレーザーの妹。紹介されたのは一年ほど前だ。

 側近の妹ということで、最初の頃はあまり気にならなかったが、ここ半年ほどで二人の距離はかなり親しいものになっている。その適切ではない距離に、噂好きな人であふれる社交界では面白おかしく囁かれていた。


「そうでしたの。それほど人気なのですね」

「気に入ったのなら、残りの茶葉を持って帰るといい。ジェイニーも許してくれるだろう」


 ルエラの心がざわついたことなど気が付くことなく、グウィンはジェイニーの名前を再び口にする。どうしよう、とルエラは考え込んだ。令嬢と適正な距離を保つようにと注意した方がいいとは思うのだが、グウィンが素直に聞くとは思えない。逆に、ルエラが注意することで頑なになる可能性すらある。


 こういうことは、自分で気が付いてほしいのに。

 そんな不満な気持ちを心の底に押し込めて、ルエラは話題を変えた。


「それで、お話とはなんでしょうか?」

「あと二か月で異母弟が成人するだろう?」

「ええ、そうですわね。ようやくですわ」


 王位を継げるのは国王の直系の血筋のみ。そして、長子継承ではないこの国では、より相応しい人物を国王にする。そのため、常に第一王子と第二王子は比較されて育てられてきた。第一王子は二十歳、第二王子は十八歳。


 第二王子が成人するタイミングで王太子が決定される。


「王太子になったら、もっと自由がなくなると思うんだ」

「自由、ですか?」


 突然飛んだ話題に、ルエラは首を傾げた。王太子指名についての話をしていたはずなのに、自由がなくなるとはどういうことなのだろうか。


 彼が言いたいことが上手く汲み取れず、目の前にいるグウィンを見つめた。


「今でさえ、覚えることや仕事が多くてうんざりしている。でも、それでも僕は第一王子であるし、自分の立場は弁えているつもりだ」

「……」


 この話の向かう先はどこなのだろうと内心疑問に思いつつも、静かに耳を傾けた。


「だからほんの少しの間だけ自由が欲しい」


 自由が欲しいと言われても、という思いがよぎる。グウィンはにこにこと笑いながら続ける。


「ただ何も言わずに協力してほしい」

「協力……」

「難しいことじゃない。一か月ほど、城に来るのをやめてほしいんだ」


 ありえない。

 あと残り二か月しかないのに、その一か月を城に来ないなんて。王子妃教育もあるし、社交も今が山場だ。ここからが勝負だというのに。


「無理ですわ」

「どうして? もうすでに君は十分に働いているだろう? 結果はわかっている」

「確かにこのまま大きな失敗をせずに過ごせば、グウィン様が指名されるとは思います。ですが」

「だったらいいじゃないか」


 どう言ったら理解してもらえるのだろう。


 ルエラは小さく唇を噛んだ。

 グウィンが確実に王太子に選ばれるのなら多少手を抜いても構わないが、状況はぐらぐらしている。将来の国王としての資質は現王妃の息子である第二王子の方が高く評価されている。


 ただグウィンが決定的な欠点がないこととルエラの家の後ろ盾があるから、第二王子派は簡単にグウィンを除けることができない。その程度の理由しかないのだから、今、ルエラが彼の婚約者としての行動をやめてしまったら、付け込まれてしまう。


 それを説明しようとして、異変に気が付いた。声を出そうとすると喉が焼けつくように痛む。


「ちょっと薬を混ぜさせてもらった。ルエラは真面目だから、はいそうですかと聞き入れてもらえないと思ったからね」


 信じられない思いで彼を見つめれば、罪悪感などない顔で笑っていた。

 王子妃として薬物に慣れることは婚約が決まった時から始まっていた。だから、大抵の薬は効かない。これほどの症状が出る毒物だとすると。


 背筋がすっと寒くなった。


 ルエラの不安を読み取ったのか、彼は天気の話でもしているかのような軽さで説明する。


「心配しなくても、大丈夫。命には別状ないように調合しているから。一か月ぐらいで回復するようにしてある」


 何を言っているのか。

 ルエラは抗議しようにも声が出ず、体が震え始めていた。意識が保てない、自分でもそう感じた時に。


「あら、少し早かったかしら?」


 この状態を不思議に思わない、明るい声が聞こえてきた。ジェイニーがここに現れたことで、何となく事態を察した。他に誰がいるのだろうと落ちそうになる意識を保とうとするが、目はもう開けていられない。ぐったりとテーブルの上に体を預けて、とにかく声だけでも拾う。


「もうそろそろ意識を失うはずだよ。侍医は呼んである?」

「ああ、死なれたら困るからな」

「そうだね」


 どうやらグウィンの側近たちはこの事態になることを知っているようだ。他にも色々と話している声がしたが、意味のある言葉として捉えることはできなかった。


 わかるのは、自分が一番信頼していた人に毒を盛られたという事実。


 絶対に許さない。


 ルエラの意識は闇に沈んだ。

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