そのに
「え? シア、やめちゃうの?」
「はい、メイお嬢様。来月には家族みんなで村に戻ります」
「で、でも再来週のマルツフレイの花まつりはいっしょに行けるよね?」
「はい……」
シアは少しうるんだ瞳でこくりと頷いてくれました。
彼女は、私の乳母をしてくれていたひとです。郊外の村から、御主人と共にウォルター男爵家の使用人として働きに来ていました。私が生まれるのと、彼女の子供が生まれるのとがほとんど同じだったので、三年程私の乳母をして、その後は私の世話係兼メイドとしていてくれたのですが、来月生まれ故郷の村に一家で戻ることになったのだそう。
私にとっては育ての親も同然の人です。寂しいですが、仕方のないことですね。
『マルツフレイの花まつり』は、いにしえの聖女を讃える春のお祭りです。皇都中を花で飾り、露店や市が大通りや広場に立ち並び、大変な賑わいを見せるので、毎年シアと一緒に行くのを楽しみにしていたのですが、シアと一緒に出掛けるのも再来週のお祭りが最後かと思うと、少し複雑な気持ちになりました。
「今度の七歳のお誕生日はシアにお祝いしてもらえないのね……」
「……メイお嬢様、お手紙を送らせていただいても?」
私をメイという愛称で呼ぶ、ただ一人のひとのその優しく囁く声に甘えるように、ぎゅっと抱き着いた。
「うん……」
「お祭り、楽しみですね」
「うん。かならず行こうね……」
花まつり当日は、ともすればシアとの別れを控えて暗くなりがちな気分を上げてくれるような、花のおまつりに相応しい晴れやかな天気でした。
今日は、心に引っ掛かることは忘れて楽しみますよ!
とか思ってはいたのですが。
「シア、ほら、あそこの骨董市に寄りたいの!」
「そんなに急がなくても、市は逃げませんよ。メイお嬢様」
苦笑いするシアの手をぐいぐいと引いて、お目当ての骨董市へ向かいました。市は逃げなくとも、掘り出し物は早い者勝ちなのですよ。
よくよく考えたら、来年のおまつりにはシアのように付き添ってくれる使用人がいるとは限りません。今年のうちに、手に入れられるものは買っておかなくては、とわりと切実に思ったわけです。
なので、せっかくのおまつりの美しい飾り付けを見ることもなく、美味しそうな露店のお菓子にも見向きもせず、市へまっしぐらに向かった私なのでした。
骨董市といっても、いわゆるアンティークのものだけ売っているというワケではありません。普通の商店が出店もしていますし、バザーやフリマのように、不用品を安く売っているという店もあるのです。
私は、剣のお手入れ用品や拘束魔法を解除する魔法陣、ランプ代わりの魔石、火や水を出せる魔石など、冒険者にとって必需品なものを買い漁りました。
「お嬢ちゃん、冒険者のお父さんにでも頼まれたのかい? ずいぶんいろいろ買うねぇ」
ある店の店主にそう言われて、はたと気が付きました。来年がないかもって気持ちでうっかり夢中になっていましたが、これって、六歳児が買ってるのスゴクおかしくない?
ギギギ……、と錆び付いた音がするような動作で、後ろに控えているシアの方へ恐る恐る振り返りました。
にっこり、と笑うシアがいました。もしかして、何か勘付いているのでしょうか……。
「メイ様、あちらに法具を扱うお店もありましたよ?」
私のそんな動揺に気付いているのかいないのか、シアは少し離れたところにある露店を指さしました。
「わ、わぁー。ホントだぁー。面白そうー。見に行こー」
思わず棒読みになりましたが、シアが知らない振りをしてくれているのなら、気にするのはやめましょう。
シアが教えてくれた法具のお店は確かに興味深い品物が沢山置いてありました。
そこのランプは使いやすそう、遠見鏡もあれば便利かも……などといろいろ手に取ってみていると、その露店の店主と隣の露店の店主が難しい顔をして話しているのが聞こえてきました。
「なぁ、来年はまつりがなくなるかもしれないって本当かね」
「ああ。なんでも近いうちに街道の出入りを厳しく制限するって話だぜ」
「嘘だろ……。そんなことされたら商売あがったりだぜ……。まいったな」
「実際、今回のまつりだってどうなるかって噂だったろ。その証拠に、警邏兵の人数が尋常じゃない……」
「そうだな……。これも……、……まどう……、こ…てい…………」
「ああ……、………しょ…かん……、て…せい…しゃ…………」
「しっ! こんな……話じゃ……、……」
むむっ。ひそひそ声が小さくなりすぎて、よく聞こえません。何か召喚とか転生者とか聞こえたような気がするのですが……。
「ん? お嬢ちゃん、その法具気に入ったのかい? 実はその法具、売ってもすぐ戻ってくるいわくつきなんだよ~。お嬢ちゃんさえ良かったら、百ネイで売っちゃうよ」
じっと聞き耳頭巾を立てている様子が、手に持っている法具を気に入っているように見えたみたいです。でも、売っても戻ってくるって、なんですか、呪いの法具ですか……。
「いやいや~、どうもその眼鏡、認識阻害の陣が書き込んであるみたいなんだけど、それ以外にちょっと問題ある現象がおこるみたいでね。売れてもすぐに返品されちゃうんだよ~」
ははは、とさっきまでの深刻そうな顔はすっかり影をひそめ、からりと笑っている店主さん。いいのですか、そんなぶっちゃけた話をしてしまって。どうも何もわかってない子供とみて、いわくつきの品を押し付ける気満々のようですね。
しかしこの眼鏡、見かけは立派な魔石もついていて、貴族がつけていてもおかしくないデザインの高級そうな眼鏡です。それが百ネイ……、菓子パン一個買えるくらいのお値段とは、かなりの破格です。むしろタダ同然です。
「買います」即決しました。
「まいど~。返品はきかないからね~」
ちょっと、本当に変な呪いとかついていませんよね? でも、認識阻害の眼鏡なんて、偶然にもすごくいいものが手に入りました!
「他に、見たいところはございますか?」
眼鏡を買ってから、シアにそう声を掛けられましたが、露店の店主たちの会話がふと気に掛かって、改めて周りを見渡しました。
確かに武装した兵士が例年より多くうろついています。それに、よく見れば観光客もいつもより少ない気がします。旅装の人をあまり見かけないのです。その他にも、何か……違和感があります。はて……?
「あ……! 獣人の姿が……」
シアが焦ったように私の手を引き、市から急いで連れ出しました。
「メイお嬢様、人のいるところでは口をお慎み下さい」
シアが私に囁きました。な、なになに? 私、何かマズいことを言ってしまったのでしょうか?
はっ。警邏兵の一人が私たちをじっとみていることに気が付きました。
「シア、私、あのお菓子が食べたいです~」
「は、はいはい。お嬢様、どれにしますか」
精一杯無邪気を装って、「ぜんぶ~」などと答えました。
「もう、お嬢様ったら。今日だけですよ」
そう言って、シアは揚げ菓子全種類を買ってくれました。わお。
「じゃあ、あっちのお菓子も……」
調子に乗ってさらにおねだりしたのですが、その間に警邏兵はどこかへ行ってしまいました。シアもそれを目の端で見ていたのか、「もう駄目です」ぴしゃりと言われてしまいました。警邏兵さん、もう少し見ていてくれても良かったのに!
屋敷に戻ってから、シアに問いただしました。一体、いま何が起こっているのかを。
「皇帝の気がふれている、と噂になっています」
どーいうこと? 確か、現皇帝って、転生者で即位してから何十年も統治している賢帝じゃなかったですか?
「確かに、そう言われる時期もありましたが、気の病を患っておられる皇帝を側近たちが意のままに操り、皇帝の権限である治水権を笠に、横領と賄賂が横行しているとのことです」
「おーりょーとわいろ……」
「ああ、申し訳ございません。六歳のお嬢様には少し難しかったですね……」
「……う、うん……?」
いやいや難しいというより、中身すでに何歳か不明な私でも、ちょっと別世界過ぎてついていけませんの。
「でも、皇宮の中の汚職はこの際関係ありません」
んんん。関係ないのですか?
「問題なのは、その皇帝の側近たちが、獣人の排斥をしていることなのです。魔力の低い獣人たちは不要、だと」
それで、街中に獣人を見かけなかったのですね。だけど理由の魔力が低いっていうのはおかしいですね。魔力量は種族に関係ないのに。それに排斥って具体的になにしているのかしら。
「皇宮に務めている旦那様からも、早く皇都から逃げた方がよいと言われまして」
「お父様が? それで、シアたちも村へ帰るのね」
シアの息子、私の乳兄弟にあたるガイは狼獣人の先祖返りなのです。最近は人と獣人の混血化が進んで、獣人の見かけで生まれてくる子供は少なかったのですが、ここ数年何故か獣耳と尻尾を持って生まれてくる先祖返りの子が増えているのです。ガイもそのひとりでした。
だけど、お父様がそんな風に言うなんて、よっぽどのことが……?
「ええ。この皇都でも獣人の失踪事件が起こっているらしいのです。それらは、人身売買や誘拐の可能性が高い、と」
「な、なんですって……! でも、シアの生まれ故郷は安全なの? 大丈夫なのっ?」
「……メイお嬢さまにだけは教えます。村には帰りません。故郷も危険らしいので。行先はアルバート男爵領です。そこの領主さまが獣人の保護と難民の受入れをしていると聞きましたので、そちらへ向かうつもりです」
シアは声を潜めて、そういいました。皇宮での獣人排斥と人身売買や誘拐は無関係ではないのでしょう。この屋敷内すら、もしかしてなんらかの危険があるということでしょうか。そこまで切羽詰まった状況なのでしょう。
「わかったのです。シアも気を付けて。手紙もいらない。安全なところに避難できたら、無事なことだけ誰かに言付けてくれればいいのです」
「メイお嬢様……。申し訳ございません」
「何を謝っているのです。これから大変なのはシアたちとガイじゃないですか」
「いいえ。メイお嬢様だって、気を付けてください。皇帝陛下が転生者なのは御存じですよね?」
「? もちろんです」
「お分かりになりませんか? だからこそ、いま転生者が……」
「……シア……」
きっといま世の中では、悪政を敷く皇帝を憎みながらも、転生者を恐れて誰も何も言えない状態なのでしょう。その恐れの感情は、もしかしたら他の転生者にも同様に向けられているのかもしれません。皇帝と同様の悪しき存在なのかもしれないと。なんせ元々魔王よりコワい転生者ですからね!
シアは今にも泣きそうな顔をして、きつく私を抱きしめました。その体は不安の為か震えていました。
「心配なのです。高まり過ぎた恐れを抱く人間は、ピンと張った糸と同じです。その糸はいまやいつ切れてもおかしくない状態です。何かのきっかけでその恐れの矛先がお嬢様に向くかもしれません。こんな時にお傍にいられないなんて……」
思わずびくりと体が震えました。もしかしてやっぱりバレているのでしょうか。
私が身を震わせたことに気が付いたシアが体を離し、不安そうな、それでいてまずいことを言ってしまったとでもいうような戸惑いの表情を浮かべていました。
ごめんなさい、シア。例えあなたでも自分が転生者だと白状する勇気が私にはまだないのです。でも心配は掛けたくありません。私は自分の身は自分で守れるはずです。こんなこともあろうかと今まで隠れて筋トレして、鍛えていましたから!
私は重くなった雰囲気を振り払うように、ことさら明るく言いました。
「ありがとう、シア。でも、私は絶対に大丈夫ですから!
今日、シアのおかげでちょうどイイモノも手に入りましたしね。この眼鏡、認識阻害が付与されているらしいですよ? どうです?」
さっき購入したばかりの眼鏡を早速かけてみました。すると、ほっとしたようにため息をついたシアが私を見て、目を瞠った後なんとも微妙な顔をしました。
「メイお嬢様……。あの、それ、あんまりかけない方がいいかもしれません」
「やっぱり、何か呪いがかかっていますか?!」
「そう、ですね。ある意味呪いに近いです」
「えぇ?」
じっと私を見ていたシアがごくり、と唾を飲み込みました。なんでしょう、認識阻害がききすぎて半透明に見えるとか、ですかね?
「焦らさないで、どうなっているか教えてください!」
「その…………、すごくブ……、えっと、その、ご器量が落ちてみえます」
いま、ブスっていいかけた? 器量が落ちる? 気になってドレッサーにむかいましたが、鏡に映っている自分は、ただ眼鏡が追加されただけで、たぶん…ぶす…には見えません。
「シア、私にはいつもと同じように見えるのだけど。私ってもしかして……、ぶす…だったの……?」
急に不安になってきました。今世の私、ちょっとかわいいかもなんてひそかに思っていたので、自惚れていた自分がとても恥ずかしいです。
「いいえ! メイお嬢様はとても可愛らしいですよ! ただ、その眼鏡をかけると、なんというか、つぶれたカエルみたいなお顔に見えるのです!」
シアが目をゴシゴシ擦りながら首をひねっています。
えぇ~? つぶれたカエル……? どんな顔それ。どうして私にはそう見えないのでしょう。法具に詳しい方なら分かるのでしょうか。でも、それが何度も返品された理由なのでしょう。呪いじゃなくて、よかった~。
それにしてもこの眼鏡、余計に利用価値が上がりましたよ! 認識阻害がかかっている上に、私の素顔がわからなくなるなんて、都合が良すぎるのです!
「まぁ。素晴らしい品物じゃないですか~」
「メイお嬢様ったら……。器量が落ちて喜ぶなんて、メイお嬢様くらいですよ。でも、最後にひとつ忠告させてくださいませ」
キッと顔を引き締めて、両手を腰に当てました。これはシアのお小言の態勢です。ど、どうして?
「さっき抱きしめた時にわかりましたが、筋肉を付け過ぎです! ここまでつけているとは思わなかったのでいままで隠れて鍛錬しているのを黙認していましたが、これからは少し考えてください。メイお嬢様はまだ成長期なのですから、筋肉ばかりつけてはなりません! それと、露出の多い場所、首回りや二の腕にはあまり筋肉をつけてはいけませんよ! 仮にも貴族令嬢なのですから! わかりましたね?!」
「は、はい————」
シアには本当に敵いません。いろいろバレていたうえに、最後にカミナリまで落とされてしまいました……。
この三日後に、シアたち家族はウォルター男爵家を出て行きました。それから一カ月ほど後に無記名の手紙が届き、中には私の誕生日祝いのカードだけが入っていました。きっと、シアたちは無事でいるのでしょう。
私はといえば、あれからずっと眼鏡をかけ続けています。認識阻害が効いているのか、家族からも屋敷の使用人からも、特に不審がられることはありませんでした。姿は視界に入っているのに、私という存在が希薄に感じるのでしょうか。なので、最近使用人に声を掛けるとすごくギョッとされます。影の薄い私がいるのに気が付いていなくて驚かれるのか、それともブスに見えているせいなのかはわかりませんけれどね……。
ありがとうございました。