第三章 脳筋令嬢の昔語り・転生なんて聞いてないんですけど
「……姉ちゃん、莉乃姉ちゃん」
妹の佳乃の泣き声が聞こえました。
「莉乃! 目が覚めたの?」
真っ白い部屋、規則的に鳴る電子音。朦朧とする頭で、病院かな……と思いました。
「莉乃姉ちゃん、わかる? 気が付いた?」
「……か、の……?」
「そうだよ! 佳乃だよ! みんなここにいるよ! 頑張ってよ、莉乃姉ちゃん」
頑張る、何に……? とぼんやりと思いました。ただ佳乃が泣いているのが気になりました。
「……だい、じょう、ぶ……?」
「姉ちゃん! 佳乃のことはいいよ、莉乃姉ちゃん……!」
うん。佳乃、姉ちゃんね、異世界に行ってきたんだよ。そこでね、なんと! 魔王を討伐しちゃたんだよ! スゴイでしょ?
それにね、もっとスゴイことに、見たこともないイケメンにお世話されちゃってたんだよ~! 佳乃が見たら、発狂するんじゃないかってくらいのイケメン!
見せたかったな~
なんか、体が、動かないけど、早く佳乃に、話し、たいよ……
どうしてかな、だんだん、考えるのが……無理に……
私の元の世界での記憶は、ここまでです。
たぶん、私は事故にあって、危篤状態だったのだと思います。
次に目覚めた時には、三歳くらいの幼児になっていました。周りは見知らぬ外国人ばかりで、また召喚されたのかと、目の前にいる人たち——あとで両親だったとわかりました——に、多少混乱もしていて、いろいろと質問しまくりました。
その時の両親は、自分の子供がいきなり流暢にしゃべりだして、しかも言っている内容が勇者のことらしいと気付き、恐れをなして神殿に私を連れて駆け込んだのです。
両親は、神殿で私が勇者の転生だと知ると、「畏れ多くてとても育てられない」と言って私を神殿に置いたまま帰っていきました。
神殿でどんなに敬われようと、どんなに言葉を尽くして言い繕おうと、私が親に捨てられたというのは事実で、それは私の心を打ちのめしました。
その後は、神殿で神官としての修行をしながら暮らしていくことになりました。その日々は寝食に困ることはなかったけれど、決して幸せとはいえず、心はずっと落ち込んだままでした。
落ち込んだ中で思い出すのは、元の世界であんな別れ方をした家族でした。謝りたかったし、懐かしかった。時々ひどく会いたくなって、何度も泣きました。そして異世界に転生するなんて聞いていない、と何度も喚きました。
神殿での生活は、勇者の転生者ということでとても優遇されていましたが、捨てられた憤りや寂しさを神官たちにぶつけていました。そうなるとみんな私を畏れて、あまり近づいてくることはなくなりました。
正直、この頃のことはあまり覚えていないのです。例えようのない孤独感に苛まれながらも、でも皆の視線が痛くて耐えられず、引き籠っていることが多かった。
引き籠っている間、私の支えになったのは、リドさんの『また逢いましょう』という言葉でした。いつかリドさんも転生して、私を迎えに来てここから連れ出してくれる……、そう思って必死に孤独に耐えて生活をしていました。
そんな状況が変わったのは、私が十八歳の時。隣の王国、シャルハーリ国の砂漠のダンジョンに魔王が顕現したとわかってから。
神殿で『転生者』と認定されていた私には、魔王が顕現してすぐに討伐隊参加の要請が届きました。
今度は、すごく嫌でした。絶対に行きたくないと思いました。
だって、もう今の私にとってこの世界は現実で、大怪我をしたらすごく痛いし、下手したら死んでしまう。それに魔獣だって生き物なのです。生き物を殺すのは嫌でした。そして、なにより——私をサポートしてくれたリドさんが、傍にいないのです。
でもそんな私の気持ちなど忖度してくれるわけもなく、王家から直接きた要請に神殿も逆らえず、私はシャルハーリ国の魔王討伐隊に(強制)参加することになったのです。
召集された魔王討伐隊の中でも、私はひとりでした。討伐隊中に私は『転生者』として知れ渡っていて、やはり遠巻きにされていました。
そんななか、討伐隊の制服を着た見知らぬおじさんが近づいてきて軽~いカンジで声を掛けられました。
「よお。あんた『転生者』なんだってな~。日本での名前教えてくれよ」
びっくりしました。しばらく声が出ませんでした。
「あれれ? もしかして他の転生者に会ったの、はじめて?」
こくこくと赤べこのように頷きました。他にもいっぱいいるの? そうなの?
「そうかー。それは今まで辛かっただろうなぁ~。俺はタクミだ。よろしくな?」
「リノ、リノです! よろしくお願いします!」
リノリノかぁ? なんて笑われて、私も一緒に大笑いしました。笑ったのが久しぶり過ぎて、ちょっと顔が引きつりました。
引きつった笑顔を見たタクミさんが少し痛ましそうに眉を顰めたのは気付かないフリをしました。
「リノは初めての転生なのか? だったらこれからいろいろと教えることがあるなぁ。リノも分からないことがあれば、何でも聞けよ?」
タクミさんは、にっこりと私を安心させるように笑顔を向けて言いました。
私は、転生してから初めて私の辛さを分かって、親身になってくれる人に出会えて、肩からふっと力が抜けるような思いがしたのです。
この後の討伐の遠征中、タクミさんからは話す機会があれば、勇者のこと、転生者のこと、この世界のこと、本当にいろいろと教えてもらいました。
まずは勇者のこと。経験済みのことだから大方は分かるとおもうが、と前置きが入りました。でも、私にはほとんど知らないことばかりでした。
このサスキアは、地理的には“スキモノ”とほぼ同じで、ゲームと同じ様に大きな川を国境として五つの王国が存在する。王国内には、大きなダンジョンがそれぞれひとつずつあって、時々何かのきっかけでダンジョンに魔王が顕現する。そして魔王が顕現すると、神殿で勇者を異世界から召喚して、魔王討伐にいってもらう。そういうことが、何百年も昔から繰り返されているのだという。
神殿で勇者が召喚されるのは、最初の勇者を召喚したのがシャイリーンという、どこの国にも属していないサスキアの中心付近にある土地の神殿に仕えていた神官だったから。
シャイリーンは、五つの王国が自国の領土にしようと、常に争っている水源の地。いまもどこかの王国同士が争っているので、ずっと以前はシャイリーンの神殿で行われていた『勇者召喚の儀』もいつしか魔王が顕現した国の神殿が執り行うことになったという。
そして今回は、シャルハーリの神殿で『勇者召喚の儀』が行われたが、今後は国家事業となる話が浮上しているという。神殿の腐敗と専横、政治への介入が激しくなってきた為、王家と貴族が「国家の存亡の危機を神殿だけにまかせるのはどうか」と意見していて、だんだんと儀式を王家が取り仕切る流れになっているらしい。
「なんだか、ゲームと違って生々しいカンジですね」
「そりゃそうだろ。ゲームと同じ名前ってだけで、この世界は現実なんだから。金に汚い奴もいれば、権力を欲しがるイヤらしい奴もいっぱいいる。元の世界と一緒さ」
そうだよね。今思い返すとリドさんは私にそういうところを見せないように気を付けてくれていたように思います。私が夢だと思っていたのを訂正しないで、不安になるようなことは全く言わなかった。すごく大事に扱っていてくれていたのが、転生してからわかるなんて。
「だからな、国家事業になった時に召喚される勇者は苦労するだろうなーと思うのよ」
「どういうことですか?」
「今までは、神殿が冒険者から憑依体を募っていたわけ。憑依体には、英雄と呼ばれる名誉と莫大な慰労金が出るから、リスクはあっても志願する冒険者は結構いる。あ、冒険者ってわかる?」
「ゲームと一緒なら、ダンジョンを攻略する戦士とか魔法使いのことですよね」
「まぁ、大体一緒なんだけど、この世界では、冒険者ギルドっていう組織がある。そこは冒険者の育成や登録、討伐依頼の受発注の他に魔石の買取もしている。この冒険者ギルドに加入しているものが冒険者と名乗れる。フリーでも駄目なわけじゃないが、加入していた方がいろいろと情報やら伝手やら便利なことが多い。冒険者は、護衛やダンジョン攻略、魔獣の討伐を生業にして、魔獣を狩った時に出る『魔石』を主な収入源にしている。冒険者ギルドは、冒険者が狩ってきた魔石を買い取って、それを魔導塔に売却する仲買人みたいなこともしている」
ちなみに俺も冒険者ギルドには加入している、とタクミさんは言った。急に情報過多でついていくのがやっとです……! ところで、魔導塔ってなに?
「魔導塔っていうのは……えっとここでは魔法使いってのは、魔導師って呼ばれている。で、その中でも優秀な奴らが選抜で研究とかしている場所がシャイリーンにある魔導塔なんだ。冒険者が魔獣を狩って手に入れた『魔石』を冒険者ギルドが買い取り、魔導塔に売却して、魔導塔でそれを流通させている。『魔石』を巡って、この二つの組織は覇権争いをしている。いまのところ、角逐しているって感じかな」
「魔導塔って、魔石を販売しているだけなのに、そんなに力のあるところなんですか?」
「いやいや、魔石だけ売ってるんじゃないぜ。この世界は魔法が誰でも当たり前に使えるだろ? でも使えるのと、使いこなせるのとはまた別だ。魔導塔は、魔石に魔法陣を描き込んで、すぐに魔法として簡単に発動できるようにしてから魔石を販売している。リノだって日常的に使っているだろ? 灯りの魔石とか火を起こす魔石とか水が出る魔石、そういう便利グッズみたいな魔石は全て魔導塔が販売しているやつだ」
ほえぇ~。確かに使っていましたが、知りませんでした。十五年間神殿に籠っていたせいか、スポーンとそういう知識が抜け落ちていますよ! びっくりです!
「リノは、無人島で生活でもしていたのか? ほんとになんにも知らないんだな~」
からかうように言われましたが、確かに神殿での生活は、周りに人はいても無人島生活と大差なかったかもしれません。
「お恥ずかしながら……。神殿では怖がられて、あんまり人と話すことがなくて。こんなにしゃべったのも何年ぶりかです」
そう言うと、タクミさんは「うっ」といって涙ぐんで、私の頭をわしゃわしゃしました。
「ま、まぁ……、話を戻すぞ。国家事業となると、いままで平民出身者の多い冒険者が憑依体に選ばれていたが、恐らく貴族中心に選ばれることになると思う。転生者は、同じ血筋に転生することが多いんだ。血統をしっかり把握している貴族が勇者の憑依体になれば、生まれ変わればすぐに『転生者』だってバレる。俺ら平民出身者みたいに、市井に紛れるなんてことは絶対出来ないし、普通に生活することが難しくなるのが目に見えている。貴族に生まれた転生者がどんな扱いを受けるか想像するだけでゾッとするよ」
転生者だと分かったら、崇め奉られるか、何かの神輿にされるか、それとも畏れて腫物のように扱われて、どこかへ閉じ込められるか、拗らせて魔王以上の暴君になるか。
どれもごめんこうむるカンジですね。
「リノもそれに近い感じの扱いをされていたみたいだからな。わかるだろ?」
こくりと頷きました。元の世界でも、こっちの世界でも、人となにか違う部分があると警戒される。それがいい意味でも、悪い意味でも、みんなと違う扱いをされて排除されるのは一緒。
「転生者は、最初にかならず経験するんだよ……」
タクミさんも経験済みなのでしょう。ふっと皮肉な笑いを浮かべました。
「だから、これから転生して目覚めた時の注意点だ。憶えておけよ。
最初の注意点は、ものごころついた二・三歳頃に訪れる“目覚め”。この時に、転生者は自我が目覚めて全ての記憶を思い出す。その時に、急にしゃべったりするとすぐにバレるから、思い出しても黙っておくこと。いいな?」
ふと、引っ掛かることがありました。
「あの、こっちの世界の人も転生しているんですよね?」
「まぁ、一般的にはこの世界の人間は、死んだら『大いなる意志』の御許に還って、またこの世界に生まれる、を繰り返しているって信じられているし、実際俺ら転生者がいるんだから、転生しているんだろ。それがどうかしたのか?」
「えと、こっちの世界の人には“目覚め”はないの? それともだんだん思い出すの?」
「ん? 何言ってるんだ、リノ。記憶を持ったまま生まれ変わるのは、勇者の転生だけだ。だから『転生者』って言われているんだよ」
「う、そ……。じゃあ、この世界の人は、前世を憶えていない……?」
「ああ、元の世界だって、それが常識だったろ? どうした? リノ、顔が真っ青だぞ!」
だって、リドさんは『また逢いましょう』って言ったんだよ? 思い出さなきゃ、どうやって私に会いにきてくれるの? リドさんはどういうつもりでそんなことを言ったの?
この世界にいればまた逢えるって信じていたから、だから今まで頑張ってきたのに——
堪えきれずに、ぼろぼろと涙が零れました。
「リ、リノ! 急に泣くなんて、腹でも痛いのか? 何があった?」
オロオロするタクミさんには、ふるふると頭を振って返事の代わりにしました。とてもいまは話すことができません。
私は、やっといま、自分の気持ちに気が付いたのです。
どうして、十日ほどしか一緒にいなかったリドさんのことをこんなに思い出すのか。
どうして、『また逢いましょう』なんて曖昧な言葉を支えにこの十五年間を過ごせたのか。
もう、逢えないとわかって自覚するなんて、皮肉すぎます。
私は、リドさんが好きだったのです————私の、初恋だったのです。
あんなに憧れたキラキラの世界なんて、私の初恋にはどこを探してもみつかりません。
初恋を自覚して、同時に失恋なんて、私ったらなんて……間抜けなんでしょう。
ありがとうございました。