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第十九章 脳筋令嬢の婚約者 そのいち

本日投稿1話目です

 マイラ鉱山の坑道から転移魔法陣を使ってアシェラの宿舎に一瞬で転移すると、出た場所を見てシャーリーが「あ、ここ」と声を上げた。


「転移の座標を宿舎の入り口すぐの物置に設定してあるのです」


「もしかして、リード君と初めて宿舎で会った時、転移を使った?」


 はい、と頷くリードに反応して、「やっぱりね。あの時、急に気配がしてびっくりしたのです」と無邪気にはしゃぐシャーリーに、彼女は本当に疑うことを知らないと、愛しさしか湧いてこない。彼女と偶然の出会いを装うために、リードがタイミングを計って転移したなどとは全く思い付きもしないのだろう。

 そういうことが出来るのも、この街のいたる場所に潜んでいるルキア侯爵家直属の細作のおかげだが、その存在も彼女の知るところではない。


「シャーリー、少し僕の部屋でお茶でも飲んでいきませんか。いろいろ話したいこともありますし……」


 シャーリーは、顔を急激に真っ赤にして、右に左に困ったように視線を動かしたが、小さくコクリと頷いた。こういう物慣れない仕草や表情に、いつもリードの胸はぎゅっと鷲掴みされたように、苦しくなる。

 部屋に(いざな)い、「どうぞ座ってて」とベッドしか座るところがないことが分かっていてそう声を掛けると、シャーリーは焦ったようにきょろきょろと周りを見渡し、ひどく戸惑った落ち着かない様子で、ベッドにちょこんと少しだけおしりをつけて腰を下ろした。

 お茶を淹れながら、そんな様子を覗き見て、リードは内心ほくそ笑む。

 小さなテーブルをベッドの前に移動してきて、淹れたお茶を置くと、シャーリーが何かに気付いたように笑みを浮かべた。きっと、リードがこの前プレゼントしたハーブティーだとわかったのだろう。

 ベッドに腰かけるシャーリーに密着するほどの距離でリードが腰を下ろすと、シャーリーが慌てて移動しようと腰を浮かせたので、すかさず腰を掴んで引き寄せた。


「ちょ……、リード君、近いです…よ。離してください……」


 真っ赤になって俯くシャーリーを見ると、抑えるのを苦労するほどの恋情が湧いてくる。


(絶対に離すものか……。やっと、十年越しにようやく手に入れたのだから……)





 リードリーク・アロウがシャーリー=メイ・ウォルターと出会ったのは十年前の政変前夜、サスキア全土がとてつもなく荒れていた時期であった。

 アロウ子爵家の次男として生まれたリードリークは、ずっと一族中の困惑を受けて育ってきた。

 なぜなら、アロウ子爵家はルキア侯爵家直属の主に諜報活動を受け持っていた家であり、アロウ家の人間は、その仕事によく適合したような皆良くも悪くも目立たない平凡な顔立ちばかりなのに、なぜかリードリークだけが際立って美しい容貌で生まれたからだ。

 幼い頃から、アロウ家のものは諜報と情報収集によって影ながらルキア侯爵家にお仕えするのだと教え込まれていながら、リードリークはその美しい容姿の為に何をしても目立ってしまい、うまく事をこなせない。

 兄姉たちには、いつも馬鹿にされ、落ちこぼれだ、出来損ないだと揶揄される。

 せっかくの美貌を持って生まれたが、アロウ家で育ったリードリークにとってそれは価値のない全く無意味なものであったし、むしろ、大きな枷だと思っていた。一族のものもリードリークをどう扱えばいいのか、それとも家業からは切り離した方がいいのか、と考えあぐねていた。

 大人たちはリードリークの顔を見ると、その美貌を驚愕して眺め、誉めそやす一方で、アロウ一族には不似合いだ、仕事には使えない子供だ、とリードリークのことを影では否定する。こんな不条理な思いばかりしたおかげで、齢九歳にしてリードリークは人の言葉の裏ばかりを読み取ろうとする、かなりひねた子供に育っていた。


 世の中は皇帝の悪政や奸臣の横行によってひどく荒れている、そんなご時世のせいか諜報を旨とするアロウ家は一族総出で忙しく立ち回っていた。おかげで落ちこぼれで出来損ないのリードリークにも、ちょっとした仕事につくことを命令された。


 ————皇都の幼年学校に入学し、ランダール侯爵家の娘とその取り巻きの力関係、噂話等、なんでもよいので事細かに聞いて、報告すること————


 貴族が通う幼年学校にはだいたい十二歳で入学するのに、自分はまだ九歳である。絶対に平民だと思われる。しかも、偽名がジャン・リックなんて、この命令はやっぱり平民を装って果たせと言っているのだと、苛立ちしか感じなかった。なんで、貴族ばかり通う幼年学校に入学させるのにわざわざ……と。

 だが、入学してみてその理由はすぐに分かった。

 とにかく注目されるのはいつものことなので気にも留めなかったが、いつもと違っていたのは、平民が相手だと貴族は遠慮会釈のないことを話す、ということだった。

 平民としての自分には、相手の悪口も噂も、親が家でこんなことを言っている、あんなことをしている……、黙っていればなんでも勝手にしゃべる。

 そして学校という場所は、大人の社会の写し鏡のようなものである。

 すなわち、貴族ばかりのこの幼年学校では皇宮での親の立場が、そのまま子供の立場と同じになる。大人の世界では巧妙に隠されたパワーバランスが、この子供の世界では如実に現われることもある……。

 こういうことであったのかと、リードリークは納得した。したが、その立場が不快であることには変わりがない。おまけに一番情報を得なければならない相手・ランダール侯爵令嬢が、一番お近づきになりたくない相手であった。そのうえ、どういう訳か彼女に妙に気に入られてしまい、始終付きまとわれていた。

 たまには何処かで一人になりたい……と、リードリークはランダール侯爵令嬢と取り巻きたちがクラスメイトと争っている間隙を縫って教室を抜け出し、あまり人気のない魔導練習場の周りを囲む林の中へ入った。誰かが通りかかることもあるかもしれないと、木に登り枝のまたに腰かけて、(やっと落ち着いた……)とぼんやりしていた。

 ただ惜しむらくは急に思い立ったため、昼飯を用意できなかったことだ。その日は寝坊して朝飯も食べ損ねていたので、とても腹が減っていた……。リードリークがぎゅうぎゅう鳴る腹を宥めかねていると、下の方から「へっ?」と間抜けな声が聞こえた。

 見ると、可哀そうなくらい不細工な令嬢がリードリークを見て、驚いた顔を向けていた。せっかく一人になれたのに……と苛ついて、すぐに木から飛び降りて、ここから立ち去ろうとした。


「ジャン・リック君! よかったら、このクッキー一緒に食べませんか?」


 背中にそんな声が掛かったが、見知らぬ人間から食べ物などもらえるかと「結構です」と即答した。しかし、腹の虫はリードリークを裏切って、盛大に鳴り続けた。恥ずかしくて思わず顔に体中の血液が上がってくる思いがした。


「ほら、毒も媚薬も入っていませんよ! もしかして食堂に行きたくなくて、昼食を食べていないのではないですか?」


 その令嬢はリードリークの目の前でわざわざ毒見までして、クッキーを差し出した。それはリードリークの現在置かれている状況もよく分かっての申し出で、何の裏もなく親切で言っているのが伝わって、めずらしくリードリークの心に響いた。それを無下に断った自分が大人げなかったと少し恥ずかしくなり、俯いた。

 令嬢がクッキーを渡そうとしてか一歩踏み出した時、木の根っこに足を取られて転びそうになったのを、急いで支えようとしたが、思っていた以上に令嬢が重くて一緒に転んでしまった。しかも「おもっ」などと失礼なことまで言って。

 それなのに令嬢は全く気にせず、逆に「お詫びに、クッキー貰っていただけませんか?」とにっこりと笑みを浮かべてクッキーの入った袋を差し出してきたのだ。

 でも、その目はクッキーに釘付けで、きっとそれが好物なのだろうとすぐに予測できる表情……。貰っていいのだろうか、と恐る恐る手を出したリードリークが袋を受け取ると、さっきまでのクッキーへの執着などなかったかのように、満面の笑顔で喜びを表した。


(なんだろう……。こんなに人のことで喜ぶヤツ初めて会った……)


 シャーリーと初めて会った時のリードリークは、好感よりも変なヤツに会ったという怪訝な気持ちの方が大きかったのだった。


 この後、二人で木の下に横並びに座り、リードリークはクッキーをいただいた。すごくおいしいナッツクッキーだった。見知らぬ令嬢、いや聞いたらクラスメイトだったシャーリー嬢は、お腹を空かせていたリードリークに気を遣ってか、自分が差し出したクッキーには全く手を付けなかった。尋ねたら、やっぱり大好物だと言っていたのに。

 リードリークには、シャーリーの言うこと全てが新鮮であった。彼女は誰に対しても身分など関係なく平等で、思いやり深い。

 リードリークのクラスでの扱いに憤ったり、クラスメイトだから友達だと言ったり、いきなり“シャーリー”と愛称で呼べと言ったり。そんなこと言われたのが初めてで驚きすぎて、でも胸がくすぐったくて嬉しくて、思わず照れてしまったほどだった。




 それから二人は、昼休みをこの林の中で共に過ごすことが当たり前になっていた。

 シャーリーが差し入れてくれるものは、安心して食べられる。彼女はリードリークになんの含みも持っていない。こんなに裏のない人間に、リードリークは初めて出会ったと思う。ただただ、リードリークがおいしそうに食べれば、満面の笑みで喜んでくれる。その顔を見るのがリードリークは大好きだった。最初に可哀そうなくらい不細工だなんて思ったが、いまではとても愛嬌のある眼鏡顔にみえる。いや、むしろ可愛いかもしれない、などと思っていた。

 眼鏡と言えば、シャーリーの眼鏡は認識阻害をおこす法具だということをリードリークは早々に見抜いていた。どうしてそんなものを付けているのか気にはなったが、自分と一緒で訳アリなのだろうと敢えて聞かないでいた。

 その法具をつけているせいで、シャーリーはクラスメイトにその場にいてもいないような扱いを受けていて、リードリークと同様に彼女はいろいろな噂話を知っていた。

 だからリードリークは折にふれて、シャーリーにクラスの出来事や人間関係などを質問した。リードリークと違うのは、シャーリーの目線はいつも優しいということだ。シャーリーは、「——様、こんなことがあったらしいですよ。大丈夫でしょうか」「——嬢、こんなこと言われていたのです。気に病まないといいですね~」といつも人の心配ばかりしていた。

 その気づかいは、リードリークにも同様に向けられていた。

 どうしてか、シャーリーはリードリークが平民を装っている貴族であるということを見破っているようだった。シャーリーのリードリークに対する態度は、貴族のクラスメイトを相手にしている時と変わらず丁寧であるし、貴族のマナーも知っているでしょ?という態度で接していた。

 リードリークはシャーリーが「あなた本当は貴族ですよね」と聞いてきたら、正直に答えるつもりでいるぐらい、シャーリーに心を開きはじめていた。

 それは、自分の顔が大嫌いであると告白し、家長である父に、「今の任務が終わったら、ルキア侯爵家次男アルディス様の従僕になるように」と言われて、とうとう自分はアロウ家から放逐されるのだと落ち込んだことを、詳細は伏せつつもシャーリーに思わず愚痴ってしまう程に。

 リードリークの泣き言を聞いたシャーリーは、言葉を尽くしてリードリークを肯定してくれた。偽りのない素の心のままに。だから、リードリークはシャーリーの言葉なら何でも素直に信じられた。

 そして、ある日シャーリーはリードリークにひとつの天啓を与えてくれたのだ。


 即ち、『リードリークが目立たないで生きるのは無理。その顔を生かせ』、と。


 シャーリー以外の人間に言われたら“アロウ家の人間として不適格”だというのか、と反発しかなかったはずなのに、シャーリーに言われれば「そんな考えもあったのか」とすとんと胸に落ちた。

 リードリークは、シャーリーと一緒に居ると、自分の心を鎧うことなく素直になれる心地よさに全身で浸っていた。そして、そんな日々はまだまだ続くと思っていた。



 数日後、魔導練習場でリードリークがランダール侯爵令嬢に拉致されそうになったのをシャーリーが桁違いの身体強化魔法を使ってリードリークを助ける、という事態がおこった。

 シャーリーは、リードリークの目の前で魔法を蹴り飛ばし、威圧だけで護衛騎士を撃退した。その威圧といったら、後ろにいたリードリークすら、上級魔獣を目の前にしたような恐怖感で足が震えるほどであった。こんな戦闘力をどうしてただの貴族の令嬢が持っているのだ?

 その時に、もしかしてシャーリーは『転生者』かもしれないと、ふとリードリークの頭にそんな考えが過ぎった。

『転生者』だから、異世界人だから、戦闘力だけではなく、自由で平等な思想と、人と違う視野を持っているのだろうか、と一層シャーリーに対する興味が深まる思いだった。

 だが、それを確かめる時間は残されていなかった。

 それを確認しようと思った矢先に、政変がおこった為急ぎルキア侯爵領に戻るようにと“メール”で連絡が入ったのだ。侯爵領へ帰れば、もうこの学校に戻ってくることはない。

 このまま別れたら絶対後悔すると思い、シャーリーを送るといって無理に一緒に乗ってもらい、その馬車のなかで、リードリークは自分の胸に整理しきれずわだかまっている気持ちを、なんとか言葉にしようと必死で考え込んだ。

 そしてシャーリーとの別れの直前、それははっきりと胸に浮かび上がった。


「いずれあなたを僕のものにします」


 リードリークの答えは至極単純なものであった。

 ただ、シャーリーが欲しい、ずっとそばにいて欲しい。それだけだ。

 自分の言葉にシャーリーが戸惑っているのは分かっていたが、このくらい言っておかないと、鈍いシャーリーはリードリークのことなどすぐに忘れてしまうと思ったのだ。



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