第十二章 脳筋令嬢と乳兄弟をめぐる悲喜こもごも そのいち
本日投稿1話目です。
このカフェで働き始めて、そろそろ四か月が経とうとしていました。給仕の仕事にも大分慣れて、最近ではお忍びの貴族が来店した時の担当は私に、と言われることも増えてきました。こんなところで男爵令嬢としての教育が生かせるとは思わなかったですが、自分に任せてもらえる仕事があるというのは、とても嬉しいものですね。
リード君は、あのティールームのことがあってから、以前は二人きりの時にしか口にしてなかった誤解を招きそうな発言を、仕事中でも構わず言う様になってきました。非常に、困っています。特に、女性従業員と女性客の身の程知らずなとでもいうような視線が、とてつもなく痛く、突き刺さります。
リード君と私はそんなんじゃないのにと、リード君が私のことなんて特別に思うはずがない、みんなが疑うような仲には絶対にならないということをどう言えばうまく伝えられるのか、最近すごく悩んでいます。
だって、私は誰とも深く関わるつもりはない、関われるわけがないということの説明を転生者だと明かさずに説明できる自信がなかったからなのです。
「——お嬢。もしかして、やっぱりお嬢か」
「へっ……?」
「その御令嬢らしくない、間の抜けた返事の仕方、絶対にメイお嬢だ」
注文のコーヒーをテーブルに置くと、懐かしい呼び名で呼ばれました。
そう声を掛けてきた、いまコーヒーを給仕したお客様は、黒髪と金の瞳をした快活そうな青年でした。私の乳母シアと同じ髪と目の色、そしてその頭には、ピンと立った狼の耳。
私のことを『メイ』と呼ぶのは、シアと私の乳兄弟の……、
「……まさか、あなたガイ?」
「そうだよ! このカフェで働いている眼鏡のブサ…貴族令嬢の噂を聞いて、母さんが絶対にメイお嬢様だって言い張るから見に来たんだけど、その髪と瞳の色じゃなかったら、全然分からなかったぜ!」
「シアが……? ああ、やだ、懐かしいわ。みんな無事だったのね?」
「ああ、旦那様のおかげだよ。街道の規制が厳しくなる前に俺たち家族をこっちに逃がしてくれたから」
「そうなの、お父様が……」
「うん。旦那様にはいつかこの恩を返したいって、父さんも母さんもいつも言っているぜ」
「恩なんて。あなたたちは家族も同然だもの、お父様は当たり前のことをしただけだと思っているはずよ」
「お嬢……」
ガイは感極まって席から立ち上がり、私の手を握ろうとした……途端、ガイの伸ばした手はパシリとはたかれて、その前に背の高い給仕が立ちはだかりました。
「誰だお前?」
はたかれた手をさすりながら、ガイは不機嫌に目の前の人物に問い掛けました。
「それは、こっちの台詞だ。うちの店員に……シャーリーに何をするつもりだった」
常になく冷たい口調のリード君に、私は驚きが隠せませんでした。
私をガイから離すように、私を自分の背中に隠して、じりじりとテーブルから後退しています。
「リード君、このひとは知り合いなのです。危ない人じゃないですよ」
「シャーリーの手に触れようとしたのです。十分に危険人物です!」
「はぁ? お嬢、コイツ一体お嬢のなんなの?」
え? なにと言われても、なんなんでしょう。同僚……でしょうか……?
私が黙っていると、「僕は……。っ……」となにか苛立ったような、悔しそうなリード君の声が聞こえました。
「あなたたち、そういうのはどこか他でやってちょうだい」
モニカの注意で、自分たちが周りの注目を集めていたことにやっと気が付きました。
「すみません! リード君、ほらどいて。ガイ、あと三十分くらいで私休憩に入るから、あとでね。ちょっと待っててね」
ガイに早口で言った後、私は項垂れているリード君の手を引いて、バックヤードまで急いで連れて行きました。
バックヤードにはモニカもやってきて、仁王立ちでリード君に向き合いました。リード君はひどくばつが悪そうな顔で私とモニカから視線を逸らせています。
「ふん。自分が恥ずかしいことをしたのは分かっているようね。リードは今日あがるまで食材倉庫の片付けと掃除をしていなさい」
モニカは私に視線を向けました。
「あの狼さんは、知り合いなの?」
「はい。私の乳兄弟で、政変の時にアルバート領に移住したので、十五年ぶりに会ったんです」
「そういうことね。いいわ、シャーリーはもう休憩に入ってもいいから、行きなさい」
リード君は跳ねるように頭を起こすと、何かを訴えるように私を見ました。
「で、でも……」
リード君は一体どうしたのでしょう。このままガイのところへ行っても大丈夫でしょうか。
「いいから。その乳兄弟の狼さんとゆっくり話してきなさい」
モニカがひどく優しく言うのに背中を押されて、リード君のことは心配でしたがモニカに任せることにしました。
「リード君、あの……」 ————ガイは乳兄弟だから安心して?
ハッとしました。
こんな、自惚れが強い女みたいな台詞、まさか言うつもりだった? 私ったら!
ふるりと頭を振りました。そんな考えを頭から振り払うように。
「モニカ、ありがとうございます。じゃあ、休憩に行ってきます」
リードはフロアへ繋がる扉から出て行くシャーリーの後姿を見えなくなるまで未練がましく見続けた。
それを見ていたモニカが大きくため息をついた。
「リード、私は男爵様と店長と、おそらくあなたも何か思惑があってシャーリーを監視しているのを知っています」
リードはモニカの真意を探るように黙ってみつめていた。
「店長が理由こそ教えてくれなかったけれど、あなたたちがこの店にくる前に、監視対象の人物を雇うことは教えてくれました。それがシャーリーだってこともね」
「じゃあ、どうしてあの男のところへ一人で行かせたんですか」
人当たりの良いリードが、いままでモニカが聞いたこともない地を這う様な低く唸るような声で言った。リードが怒りと嫉妬を抑えようと努力しているのが伝わってきた。
リードは最初からシャーリーを監視対象とは見ていないことをモニカは分かっていた。そして当初こそ監視という任務と自分の感情の乖離に悩んでいたが、最近では任務などそっちのけになっていたことも。
それなのに、当のシャーリーがそんなリードの気持ちに全く気付いていないのだ。いや、気付いているかもしれないが、本人がわざと目を逸らしているのか。シャーリーは、やはりなにか訳アリなのだろう、とモニカは思っていた。
だから、今日のリードの態度は褒められたものではないが、モニカの同情と憐みは誘った。
「私はこの三か月シャーリーを見ていたけど、彼女くらい裏表のない人間は初めてみたわ。確かに隠していることはあるかもしれないけれど、彼女の言っていることに嘘偽りがあったことは一度もない。それだけでも私がシャーリーを信じるには十分なんだけれど……」
モニカはシャーリーが向かったフロアの方へふと顔を向けて、ふっと笑みを浮かべた。リードは眉間にシワを寄せて、モニカの言葉が続くのを待った。
「今日、あの狼さんを乳兄弟だって、なんのてらいもなく言ったシャーリーの目を見て、やっぱりこの子は信じられる子だって確信した。獣人が乳兄弟だと、家族同然だと普通に言える、何の偏見も持っていないどこまでも心根が真っ直ぐで正直な子だってね」
「……なんで、そこまで……」
「だって、私は獣人の家系の生まれだから。このとおり外見は人間と一緒だけど能力は獣人並みで、共感能力が高いの。だから、獣人と聞いた人間の蔑みや嫌悪の表情は見飽きるくらい見ているし、目を見ればその感情はすぐに分かるわ。でも、今日のシャーリーにはそんな感情はひとつも浮かんでいなかった。それどころか、懐かしさや愛情がすごく伝わってきたもの。だからリードもあんな行動とっちゃたんだよね?」
顔を歪ませて、ふいと横を向いたリードに、そんな感情目を見なくたって丸わかりだわ、と思ったがモニカは黙っていた。
「男爵様とリードがシャーリーのなにを疑っているのかは知らないけど、私はシャーリーがアルバート男爵家に害をなす考えなど持っていないと判断しました。だから行かせました。あなたもそろそろ決断しないと、そんな中途半端な態度ではシャーリーは手に入らないわよ」
ありがとうございました。




