第十章 脳筋令嬢、懐かれる?
「ふあぁ! 寝坊です。遅刻ギリギリなのです」
バーン! と扉を開けて、宿舎の部屋を飛び出しました。
昨日いろいろあって疲れていたのでしょうか、ぐっすりと寝過ぎてしまいました。出勤初日から遅刻なんて、あり得ません!
隣の部屋に差し掛かった時に、これまた扉がバーン!と開いて、人が飛び出してきました。
「ふぁっ!」
「わっ!」
お互いぶつからないように急停止した結果、二人で尻もちをつくという結果になりました。そして、なぜか足元にフランスパン……?
「もしかして、このパンくわえてました?」
パンを拾って、横で尻もちをついているお隣さんに渡しました。
「……恥ずかしながら」
こくり、と少し赤くなって頷きました。
いや、ここは食パンだろ! と突っ込みたいのをぐっと我慢しました。
はっ。いやいや、こんなことしている場合ではないのです!
「すみません、お隣さん。私遅刻しそうなので、もう行きますね!」
「あ、僕もです」
ふたり同時に、急いで管理人さんに出入り確認をしてもらい、ダッシュで宿舎を飛び出しました。さすがにこんなことで身体強化は使えませんので、普通に走っていますが、私の全力疾走、強化しなくても相当早いはずなのに、お隣さんぴったり付いてきますよ!
ん? 付いてくる? なんで?
またしても二人同時に、カフェの従業員入り口に到着しました。
「……ま、間に、合った……」
ぜーはー言いながら、バックヤードに入ります。もちろん、お隣さんも一緒でした。あれ? この方もカフェの従業員だったのでしょうか。
お隣さんをみて、ふと気になりました。
「はぁ……、はぁ、あ…の、パンはもしかして、食べたのですか?」
「は、はい、……はぁ、走っている間に……」
全力疾走中にパン食べられるのですか! スゴイな、お隣さん。
気が付けば、目の前に呆れた顔のモニカがいます。
「おはようございます。シャーリー、リード」
「おはようございます!」
「おはようございます」
お隣さんと二人でピシリと背を伸ばし、同時に挨拶を返しました。
お互い、顔を見合わせました。
「いつの間に、仲良くなっていたの?」
モニカが不思議そうに言うのに、私が「いやいや」と手を振りました。
お隣さんも「偶然一緒になっただけです」と真面目な顔で答えています。
「偶然ねぇ……」にやにやしながらモニカが私たちを交互にみました。
「まぁ、いいわ。早く着替えてきなさい。すぐにフロアで朝礼がはじまるわよ」
ギリギリセーフ、ではなく、これはアウトだったでしょうか……。
急いで着替えてフロアに向かうと、すでにお隣さんは着替えてフロアに立っていました。そして注目度が半端ない。女性陣の視線が彼に釘付けです。確かに、ここの制服を纏った彼は凶悪なレベルで恰好いいです。
シンプルな白シャツと黒パンツが彼のスタイルの良さを強調しています。そしてなぜに、こんなに色気がダダ洩れなんでしょうか。別にどこかボタンが外れているとか、着崩しているわけでもないのに、不思議です。それに何と言っても……。
(うん。イイ広背筋だわ……)
彼は結構鍛えている。細身に見えて、しなやかな筋肉がバランスよく付いています。素晴らしい。
コホン、とひとつ咳をして、店長が前に出ました。昨日締められていた首は大丈夫そうですね。良かったです。
「おはようございます。今日は、このカフェに新しく入った二人を紹介します。二人とも、こちらにきてもらえるかな」
呼ばれたので、店長の傍へ移動しました。お隣さんが動くと、女性陣の視線が付いていきます。なんともすごいです。
「じゃあ、リードから自己紹介して」
「リード・アロウです。給仕の仕事は初めてですが、精一杯努めたいと思います。よろしくお願いします」
ほぅ……、と女性陣から一斉にため息がもれました。
え? たいしたこと言っていませんよね? 皆さん大丈夫ですか? 何か魅了の魔法でも使っているのではないかと疑ってしまうレベルです。
「シャーリー=メイ・ウォルターと申します」
ここで、店長とモニカ以外の従業員がハッとしたように、私を見ました。「え? いつの間にいたの?」とひそひそ聞こえます。はい。一回認識してもらえれば、たぶん今後は視界に映ると思うのです。存在感薄くても。
「お聞き及びかと思いますが、私、貴族ではありますがここでは新人の下っ端ですので、どうぞシャーリーとそのままお呼びください。これからご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
びしっと直角でおじぎをしました。
モニカが「また新人兵士みたいになってる……」とぷっと吹き出すのが見えました。
あれれ。なんとなく静かになっているのは気のせいでしょうか。皆さんをみると、なんだか呆気に取られています。おかしいですね。そんなに変なことを言ったつもりはないのですが……。首を捻って、店長をみると、何故か笑いを堪えているようです。どうして?
お隣さん改めリード君を見てみました。ぎょっとしました。彼は私を見下ろして、どういう訳か微笑を浮かべて顔を赤らめているのです。
「あの、リード君? 大丈夫? 熱でもある?」
「……名前……」
リード君はそう言うと、胸を押さえて感極まったように目を伏せました。声にならない悲鳴がフロアに流れました。なに? なんなのですか?
パン!と店長が手を叩き、従業員全員が背筋を伸ばしました。
「はい、ではみんな二人をよろしく頼みますよ。さて、昨日の騒ぎのことですが、男爵様より誰かに聞かれても何も答えないようにと通達が届いています。高位貴族が絡んでいるので、下手なことをいうと困るのは私たちのほうです。私たちは『何もしらない』のです。わかりましたね」
「はい!」と全員が声を揃えて返事をしました。
あんな横暴な真似をされて、とばっちりを食うのは平民と男爵家ですか。まったく高位貴族って奴らは……。あ、でも昨日の少年は高位貴族らしいのに、なかなか好感が持てました。あのセクハラ貴族がイカンのですよね。高位貴族と全てを一緒くたにするのはいけません。反省です。
「では、今日もよろしくおねがいします」
店長がそう言うと、フロアにいた従業員は各自の持ち場に戻って行きました。私とリード君の元には、店長とモニカが来ました。
「二人の教育は、モニカにお願いするから。しばらくの間、モニカについてフロアの仕事を憶えなさい。三人のシフトは、一カ月くらいは同じにしてもらう。では、モニカ頼んだよ」
「はい、店長」
くるっと体を私たちの方へ向けて、モニカはリード君を困ったように見上げました。
「この顔……、客寄せにはなるけど、女性従業員の仕事が滞るんじゃないかしら……」
激しく同意です。
次に、私へ視線を向けて、首を捻りました。
「シャーリーも、なんでこんなにインパクトがあるのに、存在感が薄いのかしら……?」
すみません。それに関しては申し訳ないと思いますがこの眼鏡をとるつもりはないのです。
「なんとなく今までになく苦労しそうだわ……。でもまあ、いいわ。あ、リード、その髪はまとめて頂戴。この髪ゴム使う?」
モニカが差し出した髪ゴムを受け取って、リード君が肩より長い髪を無造作に後ろでまとめて括りました。その揺れる金茶色の髪を見て、何かが記憶をかすりました。
(なんだったっけ……?)
「じゃあ、説明するから二人ともついてきて」
「はいっ!」
モニカに声を掛けられて、それはさっと消え去ってしまったのでした。
それから三週間瞬く間に経ち、リード君のことは杞憂だったとわかりました。
彼の女性の扱いのスキルは凄まじいです。
リード君は、その美貌に引き寄せられる女性全て平等に相手をして、決して自分が特別だとは思わせることがありません。誘いを掛けられても、なんとなくするっというかぬるっというか、うまいことかわしているのです。
彼のアルカイックな微笑みは、リード君は誰のことも本気ではないと、誰に対しても一線をおいて接しているということを感じさせて、踏み込ませないのです。
それはきっと、孤高のトップアイドルとそれを崇める強火担の関係に似ている。でも同担拒否ではない。
「……いや、全然違うか」
「何が、全然違うのですか?」
「ひぇ」
真横にリード君の美しい顔が急に現れて、心臓が飛び出しそうになりました。背の高いリード君は、私と話す時必ず腰を屈めて、顔を近づけます。無駄にどきどきするからやめて欲しいんだけどな~。
「ただの独り言ですよ。お気になさらず~」
えへへ、と誤魔化すと、ちょっと拗ねたような顔をしました。
「急に黙ったかと思ったら、変な独り言を言って……。心配するじゃないですか。何か悩みでもあるなら、言ってください。僕はシャーリーの為ならなんでもしますよ」
「またまたぁ。リード君たら、調子がいいですねぇ。そういうことは、本命の女の子にだけ言わないと、ダメですよ」
なんとなく既視感のある返しですが、これはよく言っておかないと後々リード君が苦労することになりますからね。何故か懐いてくれたのは嬉しいですが、他の女の子にそんなこと言ったら恐ろしいことになりそうです。まったく、私だから誤解しませんけどね!
「だから、言っているんですよ?」
「へっ……?」
神々しい満面の笑みに、思わず持っていた食材の袋を落としそうになりました。
いま、私とリード君は食材倉庫で搬入された食材の整理をしているところです。もちろん二人きりです。
というのも、アシェラの街は観光地ということもあって、飲食店は年末年始も休まず営業しているのですが、それを過ぎると例年お客様が少なくなるらしいのです。実際、最近以前のように行列ができることはなく、私とリード君もフロアは手が足りているので、食材倉庫の片づけをしているという次第です。
すみません。動揺して思わず現実逃避で状況説明をしてしまいました。
リード君は、私が落としそうになった小麦粉の入った大袋を受け止めると、軽々と持ち上げて棚に並べました。うむ。良い上腕二頭筋でございます。
「もう、年上をからかうなんて、良くないことですよ」
これは最近発覚したことですが、リード君は実は三つも年下だったのです。彼は落ち着いているから私より絶対年上だと思っていました。なので、私がこうして注意しているのですが、どういう訳か嬉しそうに笑うだけで一向にからかうのをやめてくれません。諦めて、話を戻します。
「……さっきの独り言は、別に悩んでいたわけではないのです。リード君の笑顔スキルがすごいなーと考えていただけです」
いや、本当は女性扱いスキル、ですけどね。
「ああ、スキルっていうか……」
リード君ははにかむように私をちらりと見ました。はうっ。流し目が恐ろしいほどの威力です。だから、その色気もなんとかして……。
「昔、いつも不機嫌な顔をしていた僕に『笑顔のほうがみんな可愛がってくれる』というアドバイスをしてくれるひとがいて、それから心がけるようになったんです。だけど、あんまり愛想よくすると今度は誤解を招くこともあったので、そこの兼ね合いをはかるのにとても苦労しました」
確かに彼の満面の笑顔は誤解を招くレベルです。なるほどね~。その努力の結果が、あのアルカイックスマイルだったのですか!
「すごいですね。確かにそういう意味ではいい塩梅の笑顔だと思います。リード君のたゆまぬ努力の成果だったんですね、あのスキルは!」
私がそう言うと、リード君の切れ長の目がきゅっと細くなって、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべました。
「シャーリーに褒められるのが、一番嬉しいです。頑張った甲斐がありました」
瞳をキラキラさせて、なんだかもっと褒めて褒めてと犬が尻尾を振っているようです。
それにしても私、なんで彼にこんなに懐かれているのでしょうか……?
ありがとうございました。




