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第九章 脳筋令嬢のおしごと そのいち

 今世初めての縁談をお断りして三週間後、私は念願のアシェラの街にやってきました。

 就職するカフェには従業員用の宿舎があるというので、とりあえずそこを貸してもらうことにしてあります。アシェラの街に馴染むまでは宿舎を借りて、おいおいじっくりと家か部屋を探せばいいかと考えました。まずは仕事やこの街のことをおぼえるのが先ですからね。

 昼過ぎにはアシェラに到着していたのですが、そんな時間に伺っては店が忙しいだろうと街をぶらぶらして少し時間をつぶそうと思いました。市場にはたくさんの露店が出店していて、年末の休日ということもあるのか大変な賑わいです。

 アシェラの街は、皇都から馬車なら半日程度で来られる距離ということもあって、気軽な観光地でもあり、領主のアルバート男爵が商人ということもあって、さまざまな領地の特産品が集まる街でもあるのです。

 ただ、街を歩いていて気になったのは、やけに騎士っぽいというか、体を鍛えている感じの人がそこかしこにいます。


(何かあるのかしら。一般人のふりをしているようだけど、たぶん護衛よね。見る人がみたら何かに警戒しているのがまるわかり。お忍びで高位貴族でもいるのかな……)


 ま、私には関係ないか、と露店をハシゴして、おいしそうな匂いが漂う食堂やパン屋、ケーキ屋など(あら。食べ物ばかりだわ)、これから生活するのに必要なお店がどこにあるかを確認してまわりました。


「さて、そろそろお店に行って、制服を受け取って、宿舎を教えてもらわなくっちゃ」


 おやつ時もすぎたころ、カフェに向かいました。




 カフェは驚いたことに、まだ外に行列が出来るほど混み合っていました。日本の高校生だったうんと昔、短期間喫茶店でバイトをしただけの私ですが、こんな繁盛店務まるでしょうか。にわかに心配になってきました。

 行列の横をすり抜けながら、私を睨む列を作っているお客様に(すみません、私は客じゃないんですよー)と心の中で謝罪して、店の中に入りました。入り口に、一人だけ制服の違う少し年嵩の男性がお客様の案内に立っていました。


「すみません。私、明日からこのお店にお世話になります、ウォルターです」


「ああ! 待っていたよ。ただ、ちょっといま手が離せないから、悪いんだけど、少し奥で待っていてもらってもいいかな」


「はい。もちろんです」


 申し訳なさそうにその男性は言いました。この行列をみては文句も言えません。にこりと笑って、気にしないでもらいたい気持ちを伝えました。


「ありがとう。あ、モニカ。君もうすぐ休憩時間だな、少し早いけど、休憩に入っていいぞ。その代わり、この人を奥に連れて行って、用意してある制服や書類を渡してくれないか」


 ちょうど近くにいた給仕の女性に声を掛けて、早口に指示を出します。なんだか思っていたよりも忙しそうな時に来てしまって、申し訳なくなりました。


「はい。わかりました、店長。では、こちらへどうぞ」


 制服が違うと思ったら、店長さんだったのですね。モニカと呼ばれた女性の後ろについて行き、奥、おそらくバックヤードへ連れて行かれました。

 そこは、従業員の休憩室のようでした。大きめのテーブルと椅子が八脚置いてあり、壁際には座り心地良さそうな一人掛けのソファがいくつか並んでいます。おしゃれな戸棚もあって、その棚にはポットや茶器の他に籠が何個か置いてあり、中にはお菓子が入っています。壁紙やカーテンも明るい色で可愛らしい柄のものを使っていて、裕福な家の食堂のようです。従業員の休憩室って、狭くてちょっと汚いみたいなイメージがありましたが、ここは全然違います。思わずきょときょと見回して「わぁ」と声が出ました。

 そんな私の様子をみて、モニカさんがくすっと笑いを漏らしました。うっかり子供っぽいことをしてしまいました。恥ずかしい……。呆れられてしまったかしらと、俯きながらちらりとモニカさんを見ました。


「あ、申し訳ございません。貴族の御令嬢だと聞いておりましたので、この程度で驚かれるとは思わず……」


 少しツンとした感じで言われてしまいました。あれ……? なんとなく私、歓迎されていない? それとも、こういう話し方のひとなのかしら。


「いえいえ。貴族令嬢といっても、ウチは領地なしの貧乏男爵ですから。ここのカフェの内装はすごく凝った贅沢なつくりで、どこを見ても驚きです! ウチの屋敷より全然豪華ですよ~」


 もうまったく違う違う! と手を顔の前で振って、えへ、と笑いました。

 恥ずかしながらこれは掛け値なしの本音です。決して暮らしに困るというレベルではありませんが、贅沢ができるというほどでもありません。質素倹約というか、二代前まで平民だったせいか、かなり堅実な暮らしぶりなのですよ。ウォルター男爵家は。

 モニカさんは、なぜか目を見開いてじっと見ていたと思ったら、突然ぷぅと吹き出しました。


「え、あの……?」


「もう、やだ……。本当、ごめんなさい。御令嬢がこんなカフェで働くなんて、なにかの冗談かひやかしかと思っていたんですけど……」


「あ、そうですよね。そう思われても仕方がないです。でも、私このカフェに就職したくて、アシェラの職業斡旋所にかなり通い詰めたんですよ! 私、本気で真剣ですっ!」


 胸の前でぐっと手に力を込めました。決意の握りこぶしです!

 また、モニカさんにぶぅっと吹き出されてしまいました。


「貴族令嬢が……、斡旋所……! ウケる……ッ」


 ひとしきり、お腹を押さえてひくひく笑っていたモニカさんでしたが、笑いの発作がおさまると、「誤解していて、ほんとうに、失礼しました」と頭を下げて謝ってくれました。口元がまだ引きつっていましたけどね……。

 そして体がまだぶるぶるしているモニカさんから、テーブルの上に用意されていたこの店の制服と書類を渡されました。書類は、ぱらりと捲ってみてみるとメニュー表と店内でのお客様への対応の仕方が書かれたいわゆる接客マニュアルとシフト表でした。

「このお店、従業員の待遇は本当にびっくりするほどいいですよ。なんでも、『ろーどきじゅんほー』とか言う異世界の考えに基づいているとか。異世界って、なんかイイところみたいですね?」


「あ、あぁー。ソウナンデスネー」


 モニカさんは知らずに言っているだけで、他意はないはず。バレているわけじゃありません。ビビるな私!


「詳しいことは、明日出勤してから説明します。あ、申し遅れましたが、わたしは、モニカ・ハース、この店のフロア・リーダーをしています。これからよろしくお願いしますね。ウォルター嬢」


 なんと。上司にあたる御方でしたか。思わず背中をびしりとさせました。


「はい。よろしくお願い致します! 私のことは、どうぞシャーリーとそのままお呼びください。新人ですので、嬢とか敬語は不要に願います!」


 直角でおじぎをすると、びっくり眼で私を凝視した後、モニカさんは口を大きく開けて、あははははと大笑いしました。


「も、ダメ。規格外すぎる……! なんか令嬢というより、新人の兵士みたい……」


 む。なかなか鋭いです、モニカさん。さすがフロア・リーダーだけあります。ついうっかり令嬢の皮がはがれて、冒険者のノリが出てしまいました。


「じゃあ、シャーリーと遠慮なく呼ばせてもらうわ。私もさん付けなんてしなくていいわ。モニカって呼んで」


「はい。モニカ」


 ふたりでにっこり笑い合いました。私よりたぶん少し年上でしょうか、さっぱりしていて付き合いやすそうな方です。そのうえ美人さんです。最初は冷たそうな印象がありましたが、いまこうして見ると明るい茶髪をきっちり後ろでひとつに結んで、きりりとカッコいいお顔立ちの明るい性格の方の様です。ちょっとヅカの男役っぽい雰囲気ですね。ここの男性用の制服を着たら、男装の麗人みたいできっと素敵です。

 そうそう、ここの制服は素晴らしいのです! 男性用は白シャツに黒のベストとパンツ、ソムリエエプロンといういで立ち。シビれます。女性は、黒のロングワンピースにかわいいフリルのついたエプロン——クラシックなメイド服——。この制服を決めた方とは趣味が合いそうです。


「あ、ずっと立ち話させて、ごめんね。お茶淹れるから、どうぞ座って」


「はい。ありがとうございます」


「ここのお茶も、休憩時間に勝手に淹れて飲んで構わないわ。お茶菓子は、ちょっと焦げたり欠けたりして店に出せないものをここに置いてあるの。あれば食べていいから。むしろ、味を知っておかないとお客様に説明ができないから、一通り試食はしてちょうだい」


 戸棚にあるお茶菓子を何個かお皿に乗せて、モニカは私に差し出しました。


「わぁ。ここは楽園ですか」


「安い楽園ねぇ」


 笑っておしゃべりしながらもハーブティーを二人分手早く用意して、モニカも席につきました。

「さ、どうぞ。店長は当分こっちに来られそうもないから、ゆっくりしましょ」


「はいっ」


「そうだ、お茶飲んだら、制服の試着をしてくれる? サイズが合っているかどうか、確認して欲しいの」


「わかりました。ここの制服ってすごくイイですよね。何か仕立てが違うような気がします」


「あ、やっぱりわかる? そうなのよ。ここの制服、オーナーのアルバート男爵家の工房で作っているの。あの、アルバート工房製の制服なのよ!」


「え? アルバート工房って、アルバート男爵家だったんですか?」


「えぇ?! 貴族令嬢が知らないなんて……。シャーリーが規格外なのか、アルバート工房がまだまだなのか……。うん、きっとシャーリーが変なのよね」


 残念な子を見るような目で見られてしまいました。

 『アルバート工房』とは、いま貴族令嬢の間でものすごく話題になっている、ドレス工房です。糸選びから染色、デザイン・製作まで一貫して手掛けてドレスを仕上げる、完全オートクチュールの工房なのです。これだけ手間を掛けているため、予約がなかなか取れないのも人気を過熱させる要因のひとつらしく、最近ではここで婚礼衣装を作ってもらう、というのがサスキア中の御令嬢のあこがれでありステータスになっているのです。


「う……。その、私、夜会とかお茶会には出たことがないので、ドレス工房のこととかよく知らなくて。むしろ私が工房の名前を知っているってことの方が逆にスゴイというか……」


 認識阻害の眼鏡のせいで、お茶会に誘ってくれるような親しい御令嬢もいませんでしたし、兄と姉がいるので私まで行く必要はないと思って、両親について夜会に参加することも皆無でしたから、そんな豪華に仕立てるようなドレスの必要がいまままでなかったし、興味もありませんでした。そんなことをする暇があったら体を鍛える方が楽しかったので……。


「あ、ああ……」


 あああ。残念な子を通り越して、憐れな子を見る目に変わってしまいました。


「じゃ、じゃあこの制服を着たくて、このお店に就職したいってひとは多いでしょうね!」


「そうなのよ。でも店長や男爵様の審査が厳しくて、なかなか人を採用しないのだけれど、めずらしく明日からシャーリーともう一人入る予定なの」


 審査が厳しい? 就職斡旋所に何回か通いはしたけれど、特に審査などなかったのだけれど…? 貴族だから身元がはっきりしていると思われたのでしょうか。


「そうなんですか。狭き門を通過できたのですから、精一杯頑張りますね!」


「期待しているわ」


 それから制服の試着をするために、休憩室の隣の更衣室へ行き、その部屋の奥のカーテンで仕切られたところで制服に着替えました。


(わ……。生地が軽い、それにどこも動いて引きつるところがない)


 脇下にみえないようにタックがとってあったり、少し伸縮性のある生地のせいか、体の動きを邪魔しません。ウエスト部分は太めのリボンで調節して締めるようになっていて、多少のサイズの違いは問題ないようなデザインです。

 カーテンから出て、腕をぐるぐる回したり、くるりとその場で一回転まわってみました。スカートはそんなに広がらず体に沿うような美しいドレープを作ります。


「すごいです。こんなに動きやすくて、軽くて、可愛いドレスは初めてです」


 私が体を動かしているのを面白そうに見守っていたモニカがさもありなんとしたり顔で答えました。


「そうでしょうそうでしょう。みんな最初はびっくりするの」


 そう言いながら、じろじろと私の肩や裾をチェックしました。


「……うん。サイズは問題なさそうね。このサイズを指定された時は、どんなにデカいひとがくるのかと思ったんだけど……。思ったより普通ね。どうしてかしら」


 今度は少し離れて私をみました。


「背が高くて、全体のバランスがいいからかしら。それにしてもシャーリー、あなた物凄くスタイルがいいわね!」


 感心したように言われてしまいました。えへへ。そう言われると少しテレますね。サイズが大きいのは筋肉がついているせいと思われます。

 昔シアに「貴族令嬢なのだから、首回りと二の腕に筋肉つけるな」と注意されたので気を付けてムキムキにしないように鍛えた結果、胸に張りが出てウエストは締まり、なんだかメリハリのある女性らしい曲線の体形になってしまいました。でも、腹筋は六つに割れていますよ! これ自慢なのですが、誰にもお見せできないのが残念です。


「じゃあ、制服のチェックも終わったし、あとは店長とお話して、宿舎に連れて行ってもらって。私はそろそろフロアに戻るわね」


「あ、休憩時間だったはずなのに、わざわざありがとうございました!」


「いいのよ。着替えて、休憩室に戻りましょ」


 手早く着替えて、更衣室から出たところ、なんだかお店のほうがザワザワと騒がしいことに気が付きました。


「どうしたのかしら、ちょっと見てくるわ。あなたは休憩室にいてくれていいから」


 モニカはそう言いましたが、気になるので私も後ろからついて行きました。


ありがとうございました。

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