そのご
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ずっと感じていた自分に対する不穏な空気から『何か仕掛けてくる』と予感していたジャン・リックが、ちょっと前に起こった魔法の暴発騒ぎを警戒していると、案の定エリシーズ嬢の側にいた上級生たちが自分めがけて駆け出し、三枚の魔法陣を投げつけてきた。
もしもの為に用意していた防御魔法の魔法陣をすぐに発動させたが、二発炎の魔法を受けたことで、簡易な防御魔法はすぐに消滅してしまい、炎魔法の爆風と投げつけられた残りの一枚の魔法陣の攻撃を受けてしまった。
(もう一枚は拘束魔法だったのか……!)
三人の上級生は動けないジャン・リックにさらに追い打ちをかけようと炎魔法の詠唱を始めていた。
体は硬直して動かなかったが、エリシーズ嬢の方へ視線だけ向けると、うまくいったとばかりにいい笑顔でジャン・リックを眺めながら「早くしなさい!」と声を張り上げていた。
しばらくするとその背後から、ランダール侯爵家の護衛騎士が駆けつけてくるのが見えた。エリシーズ嬢は護衛騎士が来たことに少しびっくりしていたようだが「なんであなた達が? でも、ちょうどいいわ」と言ってにやりと笑いながら、護衛騎士に指示を出した。
「あの平民を連れて行くのよ! 早くしてちょうだい!」
そうしている間に、上級生たちの詠唱が終わりに近付いていた。
(まずいな。初級とはいえ三発も炎魔法を食らったら、相当な大怪我になる。大怪我して拉致されたら、とてもじゃないが目的は果たせない)
万事休すか、とジャン・リックが魔法の直撃に備えて身構えていると————
突然、空中にドレスがひらりと舞い上がった。
見えたのは、すらりと伸びた足が、狙いを過たず炎魔法を空中で蹴って弾き飛ばす、という荒業。
そこにいた、三人の上級生、エリシーズ嬢と護衛騎士、なによりジャン・リックは、信じられないものを目の当たりにして、呆然とした。
(魔法を蹴り飛ばした?!)
そんなことが出来るのか、いや、いま現実に起こったのだから、可能なのだろう。ジャン・リックは受け入れがたい事実に軽くパニックを起こしていた。
ばさり、とジャン・リックの目の前にそのドレスが落ちてきた。と同時に「無事ですか? ジャン・リック君!」と最近見るとひどく安心する眼鏡顔が視界に飛び込んできたのだった。
※※※
「無事ですか? ジャン・リック君!」
ジャン・リック君の目の前に着地すると、すぐに声を掛けて怪我がないか目視で確認しました。ジャン・リック君の瞳は緊張と驚きの為か紅色の虹彩が大きくなって、いつもは金茶色の瞳がまるで血に染まったように見えました。思わずドクリと心臓が変な音を立てましたが、拘束魔法で動けないながらも、ジャン・リック君の顔がほっと緩んだので、なんともないのだと安心しました。ふぅ。よかった~。
アイテムボックスから拘束魔法を無効にする魔法陣を取り出して、ジャン・リック君に向けて発動しました。
「拘束はとけましたか?」
魔法のとけた反動でかくりと膝を折るジャン・リック君に手を貸しながら声を掛けると、思ったよりもしっかりとした声で「はい。ありがとうございます」と答えがありました。
んん? 意外にこういうコトに耐性がある? 彼のお仕事って、もしや……
いや、そんなことを考えている場合ではありませんでした。私たちの後ろに屈強な護衛騎士が二人立ち塞がりました。
くるりとその二人の方へ体の向きを変えてジャン・リック君を背後へ隠すと、私は腰を少し落とし、半身だけ彼らに向け、左手を顔の前に上げて、構えを取りました。
護衛騎士二人は、空手などみたこともないでしょう。ふたりにとっては変な構えをする私に対して、警戒を見せました。さらに私は二人に向かって、【スキル】威圧をかけました。こんなところで戦闘はしたくないので、これで怯えて逃げてくれるといいのですが、相手の強さもわからない小物だったら、さてどうしましょうか。
「駄目だ。引くぞ」
ふたりの内、リーダー格らしい方が素早く判断して引いてくれました。よかった~。わかるひとで。
二人はゆっくりとこちらを向いたまま後退し、少し離れた場所へ移動すると踵を返して、急いでエリシーズ様の元へ走りました。
「お嬢様、早くお屋敷へ帰ります。急いでください」
「何を言っているの! あの平民を連れて行くっていっているでしょう? 早くわたくしの命令を聞きなさいっ!」
「いけません。旦那様の御命令です。あの平民は諦めて下さい」
そんな言い合いにしびれを切らしたのか、リーダー格の護衛騎士がエリシーズ様の腰を抱き上げて、暴れるエリシーズ様を強引にこの場から連れ出していったのでした。
それに三人の上級生とお取り巻き令嬢たちが慌てたように後ろからついて出て行きました。
「なに、なんだったの、コレ……」
訳が分からなすぎて、思わず脱力してしまいました。
「シャーリー嬢」
ジャン・リック君の声で、自分のいまやらかしたいろんなことに気が付いて、急速に頭が冷えてきました。
まずいマズイ拙いです。ジャン・リック君がどんな顔をしているか、見るのが怖い。
こうなるのが嫌だったから、なるべく人とは深く関わらないようにしてきたのに。どうしてジャン・リック君とこんなに親しくしてしまったのでしょう……。
「シャーリー嬢」
もう一度、声が掛かりました。仕方がありません、覚悟を決めましょう。恐ろしいほど心臓がバクバクしています。私は、ぎこちなくゆっくりと振り返りました。
いままで何度も経験した、怯えや恐怖の感情を浮かべた顔を私に向けているのを覚悟して——
振り返って、見えたジャン・リック君の顔は、いつもと同じ凪いだ表情でした。
「シャーリー嬢こそ、どこも怪我はありませんか」
心配そうに尋ねる瞳にも、なんの動揺も恐れもうつしていません。いつものジャン・リック君……。
「えと、その、うん。なんともない、です」
あれぇ? もしかしてバレてないかな。なんとも思われなかったのかな。ちょっと拍子抜けというか、安心したというか……
「そうですか。よかった……。あんな————、あ、すみません、ちょっと失礼します」
“あんな——”の後は、なに? 何を言おうとしたの? また急に冷や汗が出て、心臓がバクバクします。
ジャン・リック君はそんな私の心の動揺も知らず、慌てたように腰のベルトについているバックから“メール”と呼ばれる手のひらサイズの金属板の法具を取り出して、届いた通信の内容を読んでいます。
(“メール”を持っているなんて、ジャン・リック君ナニモノ?)
“メール”という法具は、日本の携帯メールと同様の機能を持つ法具ですが、動力はもちろん魔力で、中級程度の魔法が使えないと扱うことのできない、高価な(ココ重要!)法具なのです。とてもタダの平民が持てる法具ではないのです。
どうやら、私もジャン・リック君も、お互い内緒のことが多そうですね。
メールの内容を読み終わったジャン・リック君は、ひどく青ざめて深刻な顔をしていました。魔法で襲われている時よりも、顔色が悪いくらいです。
「何か、悪い知らせだったのですか?」
そう聞くと、なぜかじっと私の顔を辛そうにみつめました。
「…………いろいろと事情が変わりました。今日は、二人で早退しましょう。送ります」
えぇ? そんなこと誰にもされたことないですよ。なんせ屋敷まで徒歩十五分程度ですし。
「いやいや。大丈夫ですよ。むしろ襲われたのはジャン・リック君なんですから、早く帰った方がいいのでは?」
「……送ります」
有無を言わせぬ、何かがありました。迫力に押し負けてこくりと頷くと、ジャン・リック君はすぐに先生のところへ行き早退の旨を伝えると、すぐに練習場から連れ出されて、学校の門の前に待機していた馬車に私を押し込んだのです。
「え? 馬車なの? 自分の家の馬車なの?」
「はい」
うえぇ? 馬車ですかー。うちは領地なしの貧乏男爵なので、馬車なんて所有していませんよー。ジャン・リック君は一体どういったおうちの子なんでしょう。
わざわざ送ってくれるくらいなのですから、何かお話があるのでしょうか。気になって、ちらちらジャン・リック君をみましたが、自分の考えに集中しているようでずっと黙ったままでした。
徒歩だと十五分程度で到着する我が家ですが、馬車だと大通りを使って回り道になるので、三十分ほどかかります。もうそろそろ到着してしまうのに何の話もないのか、と思っていると、ふいにジャン・リック君が向かいの席から、私の隣に移動してきました。
「シャーリー嬢」
私の顔を覗き込むジャン・リック君の表情はいつになく真剣でした。なんでしょうか。私が転生者だと分かっている、とか言われても動揺しないように心構えをしておきましょう。
「今日でお別れです」
「へっ……?」
あまりにも予想外の言葉で、思わず間抜けな声がでました。
「急なんですが、これから家族のいるクリシャへ帰ることになりました。しばらく皇都に戻る予定はありません」
「クリシャ……」
それはメルラウール公爵領のことで、元はクリシャ王国だったところ全体の名称です。そんな漠然と言うってことは、帰る場所も内緒なんですね……。私って、全く信用されていないのですね。どうしてでしょう。理由は自分でもわからないのですが、すごく傷ついています。
「はは……。そうなんだ。うん。せっかく仲良くなれたのに残念だな~。元気でね?」
精一杯の強がりでした。半笑いでもしていなければ、なんだか涙が出そうだったのです。
ですがジャン・リック君は、私の手を取ると急に訳の分からないことを言い出しました。
「いずれあなたを僕のものにします」
「へっ……?」
「あなたが本当はなにものでも、どんな姿になっていようとも、何処で何をしていようとも、見つけだしてみせます」
「あ、あの……?」
揶揄っているのかと思いましたが、ジャン・リック君の表情は真剣で熱っぽく、その目元にはいままで感じたことのない色気さえ滲んでいます。
「必ず、また逢いにきます」
いつかどこかで聞いたことのあるような台詞を口にしたジャン・リック君は自分の口元に私の手を引き寄せて、爪の先にキスを落としました。
「ひえっ……!」
馬車が私の屋敷の前にタイミングよく止まりました。まるで計ったかのようです。混乱したままの私を馬車から降ろすと、ジャン・リック君は私の手をきゅっと握りしめました。
「これから気を付けてください。あなたには無用な杞憂かもしれませんが……。心配です」
「どういうこと……?」
それには答えないまま、寂し気に微笑むと彼は馬車に乗り込んでしまいました。ドアの窓からは、急に大人びたジャン・リック君が見えました。
ジャン・リック君とは、それが最後になったのです————
その日、政変が起こりました。
皇都は一年もの間、かなり混乱しひどく荒れて、学校も閉鎖になり休学を余儀なくされました。
ジャン・リック君の帰郷が政変と関係があったのかどうか、いまだに分かっていません。
エリシーズ様の消息も私は知りません。あのジャン・リック君を襲った日に、ランダール侯爵家は爵位を捨てて逃げたとか、実は秘密裏に処刑されているのだなどという嘘か誠か分からない噂も多く、本当のところはわかりません。
ただあの日、エリシーズ様は逃げる時にジャン・リック君を連れて行きたかったのかなぁと推測するまでです。それほど彼が好きだったのでしょうか? いまとなっては分かりませんが。手段はともかく、少なくともエリシーズ様は私より自分の感情に素直だったのですね。
政変から十年近く経ち、ジャン・リック君のことは蓋をして忘れたつもりでいたのですが、今日図書館で会った人のせいで、うっかり思い出してしまいました。
髪と瞳の色は似ていたけど……、そんなに珍しい色でもないし、ジャン・リック君じゃないですよね。クリシャから戻る予定はないって言っていましたし。
せっかく心の奥に沈ませていたのにと、今日の図書館の人に理不尽な怒りが沸き上がりました。
また、変な期待は蓋をして閉じ込めておかなくてはね。苦しくなってしまうから。
ありがとうございました。




