そのに
昼休みの鐘が鳴ったことで、この言い争いは一時休戦と相成ったようです。気が付けば、このきっかけとなったジャン・リック君はすでに姿を消しています。なんといつの間に。びっくりですね、彼も認識阻害の眼鏡を持っているのでしょうか。エリシーズ嬢は昼食を一緒に取ろうと思っていたのにいないわ!とお怒りの模様。私もさっさと食堂に退散しましょう。
昼食を終えて、まだ休み時間に余裕があるので私は散歩することにしました。あの騒がしい教室に戻りたくないですし、あんな教室に戻るよりもいい場所を知っているのです。
校舎の裏手には、魔導の練習場があります。それを囲うように鬱蒼と茂った林の中は、あまり日中でも日が差さず薄暗い為、生徒は滅多に来ないので、落ち着いて休める絶好の穴場なのです。
「今日は、厨房からくすねてきたクッキーがあるのです~」
食後に大好物のナッツごろごろクッキーをどこで食べようかとウキウキ林の中を歩いていると、ふいに上の方から『ぎゅるり』と異音が発生しました。
「へっ……?」
見上げると、すぐ側の木の枝に座るジャン・リック君と目が合いました。もしかして、いまの異音は腹の虫?
ざざっと木の葉が揺れる音がして、次の瞬間にはジャン・リック君が目の前に下りていました。素早い! やっぱり彼は鍛えていますね!
私が何か話しかける前に、ジャン・リック君は思い切り顔をしかめてここから立ち去ろうとしました。お邪魔をしてしまったのは悪かったですが、ずっとぎゅうぎゅう鳴っている彼の腹の虫をむしだけに無視できません!
「ジャン・リック君! よかったら、このクッキー一緒に食べませんか?」
「結構です」
即答! でも、腹の虫はぎゅるぎゅると「食べたーい」と訴えているようです。
私は、クッキーの入った巾着袋をあけて、ことさらみせつけるようにクッキーをひとつサクリと食べました。
「ほら、毒も媚薬も入っていませんよ! もしかして食堂に行きたくなくて、昼食を食べていないのではないですか?」
ここの学校は、昼食は全員食堂へ行って食べますからね。せっかく逃げてきたのに、食堂でエリシーズ様たちに会ってしまったら意味がありませんものね。
そしてそれは図星だったようで、ちょっと俯いて赤くなっています。あ、なんか可愛い。なんて思ってちょっとだけよく顔を見ようと一歩前に出たら、うっかり木の根っこに足を取られて転びそうになってしまいました。
「うわ…っと」
ひざに力をいれて踏ん張ろうとしましたが、出した二歩目も躓き、マズい!と思ったところを、ジャン・リック君が体を支えてくれました。
「ありが……!」
「あ、おもっ……」
お礼を言う前に、私を支え切れなかったジャン・リック君と共に、地面にこんにちはしていました。すみません。私、筋肉が多いので見かけより重いのですよ……。
「ごめんなさい、支えきれなくて。大丈夫ですか?」
「いえいえ。私が転んだのが悪かったのですから。お気になさらず」
ジャン・リック君、先に起き上がると私に手を差し出してくれました。言葉遣いも丁寧ですし、思っていた以上に紳士ですね?
「お詫びに、クッキー貰っていただけませんか?」
にっこり笑って、クッキーが入った巾着袋を差し出しました。
ジャン・リック君は、ちょっと警戒するような眼をしながらも、さっきの毒見が効いたのか恐る恐る受け取ってくれました。その様子が、野良猫がごはんを貰うときのようだと思ったのは内緒です。
「……ところで、君ってだれ?」
おっと。こんなところで認識阻害の弊害が出てしまいましたか。
「一応ジャン・リック君のクラスメイトの、シャーリー=メイ・ウォルターです」
「え? ご、ごめんなさい。クラスメイトの顔と名前は全員憶えたと思っていたのですが……。そういえば、ウォルター男爵の令嬢がいたのは憶えているのに、なんで……」
首をひねって考え込むようにじっと私の顔をみつめました。全員憶えているなんて、すごいですね。しかも紹介していない爵位まで。クラスメイトには無関心だと思っていたのに、違ったのでしょうか。
「あ、えっと、私、自分で言うのもなんですが、影が薄いですから。エリシーズ様みたいに強烈な方を見た後だと、印象が薄くて忘れちゃったのではないですか?」
我ながら、ちと苦しいですが眼鏡のことは内緒にしたいので、これで納得していただけるとありがたいです。ですが、ジャン・リック君はむぅっと口を引き結んで、全く納得したような顔はしていません。困りました。
「あの、先にどうぞクッキー食べてください。お腹減っているでしょう?」
ずっと盛大に鳴っているお腹を本気で心配して言いましたが、若干誤魔化しも入っています。
余程おなかが空いていたのでしょう。ジャン・リック君の視線がクッキーに移り、一枚だけゆっくり食べた後は、勢いよく何枚もお口の中に消えていきました。
なんとなく人見知りな猫の餌付けに成功した気分でほっこりしながら、黙ってその様子を見守っていたら、ジャン・リック君が「ウォルター令嬢は、僕に何の要求もないのですね」とつぶやきました。
彼にとって入学してからのこのひと月、理不尽な要求や勧誘を受けるのが当たり前だったのでしょう。みんなが平民だと思っているジャン・リック君が、貴族ばかりのこの学校になぜ入学したのかとか、何か理由や思惑があるのではないのか、と考えた人はいないのでしょうか。そう思うのは、彼が貴族であると、わざと平民を装っていると、私が確信しているからなのでしょうか?
ですが、そんなことはこの際どうだっていいのです。ジャン・リック君にこんなことを言わせるクラスのひとたちにふつふつと怒りが湧いてきます。
「クラスメイトに……、お友達に何を要求するって言うのですか!」
突然大きな声を出した私に、ジャン・リック君がびっくりした顔を向けました。
「そうですね、要求があるとするなら……」
私がそう続けると、今度は急に警戒したように目を眇めました。猫だったら、耳を後ろに倒している感じでしょうか。
「ウォルター令嬢ってよぶのは止めて下さい。聞きなれないし、堅苦しいですね。良かったら名前のシャーリー=メイの方で、長かったらシャーリーでいいですよ!」
よほど彼には予想外だったのか、ポカンと口を開けて呆然としています。あ、いまクッキーの欠片がお口からポロリと落ちましたよ。
「あ……」
ハッとしたようにジャン・リック君は片手でお口を覆って顔を隠しました。でも目元がちょっと赤いです。大丈夫です。それくらいの粗相なんて誰にもいいません。
という気持ちを伝える為に、頷きながらにっこりと微笑んで見せました。すると、ちらちらと私を見て、何かいいたげです。どうしたのでしょう。
「……っ、クッキー、ありがとう。……シャーリー嬢」
「はうっ」
小さな声でしたが、確かにお礼と私の名前を言ってくれました。これだけで、心臓を一突きされたような衝撃です。オプションのはにかんだ笑顔も神々しい……。イケメンはお礼を言っただけで人を殺せますね……。
ありがとうございました。




