第一章 脳筋令嬢の縁談
初投稿です。
宜しくお願いします。
「あなたを僕のものにします」
その金茶色の瞳は熱情と、隠しようもなく滲み出る色気をたたえて私をみつめていた。
瞳と同じ金茶色の、肩の下あたりで切り揃えられたくせのない髪がさらさらと彼の動きに合わせて肩から滑り落ちてゆく。
彼は私の前に跪き、私の手の甲に唇を落とした。
「必ず、また逢いにきます」
今度は見上げて私をひた、とみつめながら、彼は切なそうにそう言った。
私は、彼の美しい瞳に吸い込まれるように目が離せないでいた。
綺麗な金茶色の中に浮かぶ紅色の虹彩、彼が美しいのはこのめずらしい瞳だけではない。
細身だが均整の取れた体付き、しなやかな動作、彼の動きに素直に反応するストレートのさらりとした髪はさながら鬣のよう。そう、彼は猫科の動物が人間に具現化したような、そんな印象を人に与える動作と容姿の美しさを持っていた。
そして容姿だけではなくその性格も猫の様に警戒心が強く誰にも懐かない、そんな風に噂されていた彼が、今わたしの手を取り、跪き、懇願する様にみつめている。
まだ少年なのに、その端正で品のある美貌と私をみつめる切れ長の目は、劣情を喚起するような色香に溢れ————
「聞いているのか?! シャーリー=メイ!」
はっ。いけません。現実逃避して、うっかり妄想に浸ってしまいました。
「すみません。お父様。ちゃんと聞いています」
「おまえの縁談なんだぞ。もっと真剣に聞いておくれ。さっきも言った通り、おまえに心に決めた相手がいないなら悪くはないと思うのだ」
「……はい。ですが、申し訳ありませんが、お断りしてください」
心に決めた相手、と言われて思わず耽っていた妄想でぼんやりしていた上に即決のお断りで、お父様もさすがにむっつりと渋い顔をしてしまいました。
「いいのか? 初めての縁談だぞ。おまえもそろそろ、その、なんだ……、いい年……、いやアレだ……」
ごめんなさい、お父様。そんな必死に言葉を選ばなくても別に傷つかないから大丈夫なのです……。
私は現在二十一歳。貴族の令嬢としては、どこかへ嫁いでいてもおかしくない年齢。なのに今回が初めての縁談。私自身にも縁談にもアヤシイ匂いがぷんぷんしますね!
「分かっています。ただ、その縁談の相手、シモン伯爵家次男エイベル様は、以前お姉様に求婚されていましたよね? お姉様がお好みということは、おそらく美女がお好きだと思うのです。私のことを御存じかどうかは分かりませんが、姉妹で似ているだろうと思われて持ち込まれた縁談でしたら、結果はどうなるか……。後で揉めるくらいでしたら、今失礼といわれようともお断りしておいた方が良いと思うのです」
お姉様は幼い頃から、美しいと評判の御令嬢でした。銀灰色の髪に青灰色の瞳という、しがない男爵家の血筋から生まれたとは思えないほど貴族的な配色と整った顔立ちで、そのエイベル様以外にも何人か求婚されていましたが、結局は幼馴染の子爵家長男のお義兄様と結婚しました。
その当時でさえ、お姉様がダメなら二歳下の妹の私に、という話はありませんでした。お姉様によく似た下の妹にならありましたけどね。でもさすがに十歳の妹に二十歳くらいの男性を婚約者にする気はお父様にもなかったようで、全てお断りしたみたいです。
さて、なぜ十歳の妹にさえ来ている縁談が私には来ないのかというと……。
端的に、私の見た目がよろしくないからなのです。髪と瞳の配色こそ姉と同じですが、目は必要以上にギョロついて、鼻は小さく上を向き、見ようによっては色っぽいといえなくもない厚くて大きめな唇。それは、大きな眼鏡をかけたカエルのように見えているはず。
お父様は私の答えを聞いて、苦虫を噛み潰したような顔をして何か言おうとしましたが、あきらめた様に「わかった。お断りしておこう」と言ってくれました。
私の方のアヤシイ理由はコレですが、シモン伯爵家エイベル様の理由はちょっと今の時点では分かりませんね。だけどエイベル様は粗暴で素行の宜しくない方とお姉様が言っていたのを憶えています。君子危うきに近寄らず、お姉様への求婚から四年も経って、私に話を持ってくるなんて、絶対何か裏があるに決まっています!
お父様はもう話は終わったと私の部屋を出て行こうとソファから立ち上がりました。皇宮で官吏として働いていて常にお忙しいお父様と話をする機会はなかなかないので、私はちょうどいい機会だと、ここ二年くらいの間に準備を整えていた計画を話すことにしました。
「あの、お父様、お願いがあるのです」
そう声を掛けると、お父様はソファに座り直してくれました。
「シャーリーが私にお願いなんて初めてだな」とちょっと意外そうな顔をしました。
そうですね。私はいつも目立たぬように、誰にも迷惑を掛けないように、世話を掛けないようにしてきましたからね。
「ふふ。そんな大したことではありません。
————実は、仕事をみつけましたので、来月くらいにこの家を出て行こうと思っているのです」
「え……?」
お父様は何を言われたのか分からないといった様子で目をぱっくり見開いています。
「それで、未婚の貴族の娘が家を出ていくとなると、男爵家にとって体裁が悪いでしょう? だから私をウォルター男爵家の籍から抜いて欲しいのです」
この世界の貴族の娘が家を出るのは、結婚した時か事情があって修道院に入る時くらい——就職して家を出て行くなんて、家庭教師以外では普通じゃ考えもつかないことです。そして何の問題も起こしていない令嬢が貴族籍から抜ける——平民として家を出るなんて、有り得ないこと。それも十分理解しています。けれども、私の使命の為には仕方がないことなのです。
「————!!!!!」
お父様は絶句して口をぱくぱくしています。ホント、すみません。
この後、お父様は呆然自失からやっと回復すると、「籍を抜くのは、却下だ。家を出るのも考え直しなさい」と私を説得しようと試みました。
「いえ。お父様、すでに先様とは雇用の契約書を交わしておりますし、この家を出て行くことはもう決めているのです。あ、通いというのは無理ですよ。勤め先はアルバート男爵領ですから」
勤め先が隣の領地、アルバート男爵領だと聞いてお父様はまたもや絶句してしまいましたが、もう説得は諦めてくれたようです。
「…………。分かりたくはないが……分かった……。だが、籍を抜くのだけはやっぱり駄目だ。せめて……、そうだな、親類のところへ…今更だが…行儀見習いに行くことになったとでもしておく」
「御配慮、ありがとうございます。お父様。なるべくご迷惑を掛けないように気を付けて行動しますから」
そう言うと、お父様は何故か後悔するような、哀しい目をしました。
「すまないな……。シャーリー。おまえを蔑ろにしていたつもりはなかったのだが、何故かおまえのことに無関心になっていたようだ。どうしてだろう? それは結果的におまえの居場所をこの家から奪っていたのか……?」
いいえ。それは違うのです。全て私が望んでしてきた結果なのです。でも、それはお父様には言えません。
「そんなことありません。お父様とお母様からは、十分な愛情をいただいていたのです」
五人の兄弟姉妹、全て平等にとは言えませんが、お二人は愛情深く育ててくれたと思います。それをあえて、……としていたのは私なのです。
私は今までの感謝を込めてにっこりと微笑みました。お父様は、それでも寂しそうに背中を丸めて、私の部屋を出て行ったのでした。
お父様が出て行った扉を私はしばらくぼんやりと見つめていました。
いくら使命の為とはいえ、家族や私に関わる全ての人たちを欺き、傷つけていることに罪悪感を憶えないわけではないのです。自分が傷つけられるのは、仕方がありません。それに慣れる、ということは未だありませんけれども……。
何度人生を経験しても、こころとは厄介なものですね……、そんな思いが大きなため息とともに吐き出されました。
ありがとうございました。