【番外編・発売記念SS】新しい家族と冬支度
ララの朝は早い。
というのも最近は今年の春に産んだ娘、クロエの泣き声で目覚めるからである。
「よしよし、クロエ。お腹空いたね」
ララは生後半年ほどの娘のクロエを抱いて、窓の外を見る。
外は雪が降り出していた。
「今日はお父様が演習から帰って来るのよ。冬の間は、みんなで過ごせるわね」
クロエはそれを聞くと、最近覚えたての素直な笑顔を見せる。
ララは赤子のふくふくのほっぺに口づけた。彼女の頭頂部の金の産毛からは、いのちの匂いがした。
クロエはララからお乳をもらい受ける間、母の胸の間にあるバイカラーサファイアをぎゅうっと握りしめるのが日課になっていた。
クロードは軍事演習の最中にいた。なぜか最近のオレール三世は、軍事演習に余念がない。
王は、後方支援隊が出来てから一番効果的な戦い方を探っているらしい。しかしそれは表向きの理由なのだろうとクロードは考えていた。
雪が降り始めている。
デジレは未だに籠城を続けていた。
オレール三世は恐らく、最近はデジレに脅しをかけているのでは、というのが騎士の間での専らの噂だった。演習を重ねるほど周辺国の警戒感が強まる。アフィリア帝国から何らかの伝令がデジレに下り、城を出ざるを得なくなるはずだろう。そのような見立てで動かされているのだという憶測が飛んでいたのだ。
結局のところ戦争など、誰かの都合で起きている空しいものなのだ。
妻すらどうとも出来ない、愚かしい王のための──
クロードは冬の曇天を見上げながら考える。
ベラージュ村に置いて来たララと、産まれたばかりの娘クロエのことを。
演習は四ヶ月間にも及んでいた。きっと娘は、もう父の顔など覚えていないだろう。
クロードは演習を終えた兵達を集めると、朗報を告げるようにこう宣言した。
「本日をもって演習は終了!隊は冬期休暇に入る!」
部下たちから安堵の嘆息が漏れた。年越し周辺の10日間ほど、近衛兵以外は故郷に帰るのが習慣となっている。戦時中の国々も雪が降り出せば休戦となるのがこの地帯の暗黙の了解だ。
演習を終え、クロードもほっと息をつく。
久々に、家族水入らずの生活が出来るのだ。
マドレーン邸には、この冬期休暇以外はずっと後方支援隊が在中している。なので隊長は家に居ても、全く気が抜けないというのが辛いところだった。
この冬期休暇の間だけは、クロードは隊長ではなくひとりの青年、ひとりの父親、ひとりの夫となれるのだ。
冷たい雪の舞う帰路を急ぐクロードの心は温かかった。
ララはクロエを抱いて、クロードの帰りを今か今かと待っている。
事前に受け取った手紙によると、恐らく今日中にはベラージュ村に着くはずなのだ。
窓の外を眺めていると、粉雪で靄のかかる道の遠くに、黒い影が見えて来た。
ララは小さなクロエに語りかける。
「クロエ、窓の外を見てごらん。お父様が帰って来たわよ」
クロエは言葉は分からなくても、母の機嫌のよさを嗅ぎ取って無邪気にはしゃぐ。ララはコートを羽織ると、クロエを抱えて玄関まで彼を出迎えに行った。
静まり返るマドレーン邸に、久々に馬の嘶きとブーツの足音が聞こえる。
重たい玄関扉がギイとしきんだ音を立てて開かれる。
その向こうには、外套を着たクロードが静かに微笑んで立っていた。
「……ララ」
久しぶりに聞く、愛しい人の声。
「クロード!」
ララは冷えたクロードの胸に飛び込んだ。間にはさまったクロエが、不思議そうにクロードを見上げている。
「クロエ、元気だったか?しばらく見ない間に大きくなったなぁ」
クロードがクロエを抱こうとすると、彼女は母と離されるのを嫌がってギャー!と泣いた。
「やはりクロエ……演習の間に私のことを忘れてしまったのか……」
「ギャあああああンンンンママあああああ」
「!そんな……」
「ふふっ」
ララは父娘のやりとりが面白くて、つい吹き出す。クロードは憮然としたが、すぐ笑顔になって娘を抱っこした。
「見てろよ。いつかその内、この子は私との別れ際に泣くようになるんだからな……」
「んままママあああああああ」
「……お腹空いてるんじゃないか?」
「さっきお乳をあげたばかりよ?頑張って、お父様」
クロードが娘との再会を無事果たしたのを見届けてから、ララは言った。
「そうそう、今日は年越しパーティなの。みんなが来てくれたから、クロードも参加してよね」
「?みんなって……?」
クロードが固まっていると、厨房から見慣れた顔がひょっこり飛び出した。
リエッタだ。
「イェーイ☆パパー☆」
「リエッタ、いつの間に……!」
「ララ、この家でずーっとひとりで育児頑張ってたんだよ。そりゃたまには親友も手伝いに来るって!」
更に、その向こうからぞろぞろとクロード親衛隊を引き連れてミーナが出て来た。
「クロード様!お待ち申し上げておりました!」
「なっ。君たちまで……!」
「クロード様がお子様と再会する感動的なシーンが見られると聞いて、はるばる王都から馳せ参じましたのよ」
「これは見世物じゃないっ」
「そうですか?でも、ララ様が是非にとおっしゃったので……」
ララはくすくすと笑っている。クロードはしかめ面になった。
「ララ、本当か?」
「ええ。だって育児ってすっごく大変なのよ。みなさんが手伝って下さって、本当に助かってるの」
クロードはこめかみを押さえて悩まし気に眉をひそめたが、
「ま……ララが楽しく過ごせるなら、それでいいか……」
と自らを納得させた。
厨房から、美味しそうな香りが漂って来る。見れば、様々なオードブルがテーブルを埋め尽くしているではないか。クロードは目を輝かせた。久しぶりの豪華な食事だ。
「みんなで作ったのよ。クロードも食べましょう」
「……すごいな」
「ふふふ。クロエももう、離乳食を食べているのよ」
「えっ、もう……?」
「みんなで食べましょう。この一年、みんなが無事に過ごせたお祝いに」
クロードはむず痒そうに笑うと、ララの額にキスをくれた。
「そうだな。祝うに値する、素晴らしい一年だった……」
周囲から押し殺したような嬌声が上がる。クロードはそんな周囲にお構いなくララの肩を抱いて、妻と互いの一年の労をねぎらった。
銀の匙が、赤子の口にするりと入る。
頬を必死に動かして咀嚼するクロエを眺め、クロードは幸せそうに微笑んだ。
「美味しいか?クロエ」
「ん!」
「……もっとか?」
「ん」
「よく食べるな……」
「ん」
クロードの手で、食べ物を与えてやる。クロエはそれで、クロードを父親と認識したようだった。
「来年のクロエは、きっともう固形物を噛み砕いているんだろうな」
「そうね。それにこの子はもう、ちょっとずつ歯が生えて来てるのよ」
雪が積もる冬の暗い景色に、暖かく光る窓が浮き上がる。幸福な喧噪の中、ベラージュ村の賑やかな冬越しが始まった。
一方その頃、デジレは──
少し痩せた自画像を手に入れていた。
油絵具で描かれた、小さな自画像。
ジルベールから小さな手紙と共に、年末の挨拶としてプレゼントされたものだ。
手紙には〝私が最後に見たあなたの顔です〟とある。
デジレはそれを壁にかけると、ふふっと笑った。
「ありがとう、ジルベール。この絵があれば私、もうしばらく外に出ないでいられそうよ」
きっとジルベールは〝外へ出ろ〟の意味で贈ったのだろうが、デジレにとっては鑑賞物が増えたので逆効果となってしまったようだ。
それぞれの冬の窓には、それぞれの幸福が映し出されていた。




