64.エピローグ
あれから幾月かが過ぎ──
ベラージュ村の草原で、倒れ込んで空を見ている野良着の男がひとり。
「クロード!」
ララがその視界にひょっこりと入り込んだ。
うとうとしていたクロードは、ぱちりと目を覚ます。
「あっ、ララ……!」
「探したわよ隊長。さあ、開拓するわよ。石を掘るの!」
真新しいスコップが差し出され、クロードは渋々起き上がった。
マドレーン邸の前では、兵士らによって開墾が行われていた。その噂を聞きつけた小作農が更に地域外からやって来て、ベラージュ村の規模は現在、やにわに拡大している。
ベラージュ村の開墾が進むにつれ、通行量が増えた。街道が整えられて行き、新たに宿を作る計画が持ち上がった。住民がどんどん流入し、小さな村は活気づいていた。
ララはいつものように旧マドレーン邸に帰ると、リエッタ夫妻と共に兵士に賄いを作る作業に入った。
一か月後には、王宮が雇用契約した国中のコックが、ここに集結することになっている。保存食の研究は更に進むであろう。そのために調理場も増設した。
ララはリエッタと共に食事番をしながらも、野戦食の研究にも余念がない。
「このパン、もう少し固くしない?野戦食ってあんまり美味し過ぎるのも駄目なんだって。隙あらば食べちゃうから」
「そうなのね。でもまさか、美味しくない保存食を作ることになるとは思わなかったわ」
「調味料の研究を先に進めた方がいいかも。その辺の草にかけて食べるんだってよ」
「現地調達が最強だものね。そう考えると、兵士って意外に草食なのねぇ……」
後方支援隊が稼働し始めてから、戦況にも変化があった。
農民のララには難しくてよく分からないが、以前クロードが語ったことには──
「パンプロナ公国の物資が急に滞り出したらしい。冷夏のせいとも言われているが、実は大公妃パメラがアフィリア帝国に他国への物資融通から手を引くように言われたからではないか……と噂されている。物資を融通したり引っ込めたりして周辺国との関係を綱渡りしていた公国が、何の意図もなしにそこから手を引いたとは考えにくいからな」
デジレの籠城と後方支援隊創設が同時期に行われた偶然が重なったことで帝国側が勝手に警戒し、公国内でこれ以上パメラを立ち回らせるのは危険だと判断したようなのだ。
「おおかたオレール三世が妻を閉じ込めたのは戦乱の核心に気づいたからだという予想でもして、パンプロナ公国に待ったをかけたに違いない」
一方、周辺国ではアフィリア帝国が戦乱を静観していると見せかけて、かつての王女たちを使って戦乱の裏回しをしていたことが露呈し始め、今までの恨みが一挙に帝国に向かい始めている。こうして出来た各国の膠着状態を利用して、シャノワール王国の後方支援隊は粛々と農地拡充を続けるのみだ。
ララは考え事を離れ、ふと窓の外を見る。
外では村娘たちが物陰に隠れ、熱いまなざしで半裸で開墾作業する兵士たちを眺めている。
彼らと目が合うと、みんな「キャー!」と嬌声を上げて逃げて行く。
どこかで見たような光景を、ララは微笑ましく思うのだった。
ララは次に、野良着姿の夫を眺める。
鍛え上げられた筋肉が鎧や軍服ではなく、あえて質の悪い薄手の麻シャツに包まれているのが目に眩しい。
戦乱など、ないに越したことはないのだ。
誰かの仕事の帰りを待って食事を作れる日々が、ララにはたまらなく愛おしい。
それを噛み締めて食堂のテーブルにせっせと食事を並べながら、ララは若い兵士たちも気遣う。最近の彼女はすっかり隊長の嫁というよりは、兵士の母親代わりになって来ていた。
夕空に星が光り出す頃、風呂上がりの彼らと共に夕餉を取る。
毎日はその繰り返しだ。
日が落ちると、屋敷の片隅で、ララはクロードを出迎えるのだった。
彼女の胸には、革紐をくぐらせたバイカラーサファイアの指輪が光っている。
クロードはそれを弄びながら、今日も隊の一員であるララに戦況を語る。
(国と国との間には、色んなことがあるけれど……)
ララはとつとつと戦況を語るクロードの薄い唇を眺めながら、隊の発展を願う一方、こうも思う。
(出来れば野戦食が、いつまでも使われずに済みますように)
夜が更けると、二人は互いの体を温め合って眠った。
誰にも邪魔されない幸福な日常が、村の片隅で幾度となく繰り返されて行く。
二人で心を合わせて、掴み取ったこの平和で輝かしい日常──
(私は、これからも好きな人の顔をずっと見ていられるんだ)
ララはそっと夫の頬を撫でる。クロードはくすぐったそうに笑った。
(……この笑顔を)
この顔を得るために、二人はここまで力を合わせて頑張って来たのだ。
ララが鼻をすすったのに気づいたのか、彼もまた妻の頬を撫でた。
「ララ」
氷の騎士様は、もうそこにはいない。
「……おやすみ。愛してるよ、ララ」
ララはクロードにそう耳元で囁かれ、今日はどうやらすぐに眠れないらしいことに気づく。
「私もよ、クロード……」
夢うつつを漂いながら。
少女は彼の腕に抱かれ、静かに温かく、満ち足りた闇の中に溶かされて行った。
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