61.偽物の肖像画
後方支援隊新設パーティーから一週間後。
ジルベールはオレール三世に招かれ、中庭でお茶会をしていた。
デジレの姿は、王の隣にない。
彼はその空席をじっと眺めていた。
「君がデジレを引きつけてくれたおかげで、何もかも上手く行ったよ」
オレール三世のその言葉で、ジルベールはつと顔を上げる。
「何もかも……上手く?」
「ああ。ララ・ド・マドレーンの機嫌を損ねずに済んだし、後方支援隊も新設することが出来た」
「……」
「デジレは早く君に会いたがっているぞ。リプシム城に入って、ずっと君を待っている」
「……陛下。実はもう、私は先日リプシム城で王妃陛下にお会いしまして」
「ほう」
「新しい仕事をもうひとつ頼まれました」
「そうか、そうか。あいつの相手は面倒だから、ずっと籠っていてくれれば良い。ジルベールはもうしばらくあいつの相手をしてやってくれ。醜聞のほとぼりが冷めるまで、だ」
ジルベールは無言で紅茶を飲んだ。
デジレが妹のパメラに絶縁状を送りつけてから、パンプロナ公国は自身の正統性を保とうとするためか、デジレの醜聞を流し始めていた。確かにいくつかの悪事は実際にデジレが行ったことだが、今になって急に国を挙げてシャノワール王国王妃のネガティブキャンペーンを始めるとは、一体どういう了見なのだろう。
(……死体蹴り、か)
ジルベールは心の中で毒づいた。
とある騎士に劣情を抱いた王妃が、醜態をさらしたという小噺。その下劣なストーリーに、自分は入っていないと王は思い込んでいるようだが──
(陛下は大事なことに気づいていない)
しかし彼は、にっこりと笑ってこう言った。
「王妃陛下のことは、お任せください」
「お前に頼んで正解だった。肖像画が完成となった暁には、宮廷画家にしてやってもいいぞ」
「……肖像画を完成させてしまってよろしいのですか?」
「ははは。お前は頭がいい。そうだ、のろのろ描いてデジレを城に閉じ込めろ」
「……左様で」
ジルベールは紅茶のカップを空にした。
「申し訳ありませんが、複数の案件を抱えているのでこれで失礼します」
「おお、そうか。忙しいところ呼び立てて悪かった」
「いいえ」
ジルベールは王宮を出ると、ブランディーヌの待つ馬車へと歩いて行った。
馬車には、荷物がぎっしりと積んである。
これからリプシム城に向かうのだ。
ブランディーヌは久しぶりに贅沢な生活が出来るとあって、うきうきしている。
「ねえジルベール、リプシム城でしばらく楽しめるわね。召使がいっぱいいて何もかもやってくれるし。王妃と顔を合わさなければならないのは苦痛だけど……それ以外は毎日食事の心配もなく、遊んで暮らせるわ」
一方のジルベールは、少し物思いに耽っていた。
「……どうしたの?」
「いや、それって楽しいのかなって」
「まあ確かに、あなたは自由を愛する人ですものね。肖像画を完成させない限りは出られないから、少し苦痛かしら」
「……ブランディーヌ」
ジルベールは彼女に微笑みかけると、衝撃的なことを口にした。
「王妃の肖像画は、描かないよ」
ブランディーヌの時が止まる。
「……え?どういうこと?」
ジルベールはぽつりと言った。
「デジレ様から、そう言われたんだ。やはり、肖像画はいらない、手元にあるスケッチだけで充分だ、とね」
「でも、陛下の手前、描かなければいけないんじゃないの?」
「俺も、描かないつもりだ」
ブランディーヌはしばらく考えてから、恐ろしい予感に突き当たった。
「ジルベール。……王妃は、まさか」
「そのまさかだ」
「じゃあ私たち、リプシム城には行かない方がいいんじゃない?」
「いや、行かなければならない。王妃から新しい仕事を頼まれたんだ」
ブランディーヌは悩まし気に頬杖をついたが、ジルベールはどこかすっきりした顔でこう続けた。
「心配するな。用件が済めば、我々はすぐにでも解放される」
幾日も掛けて、二人はリプシム城に到着した。
掃除され、すっかり美しくなった王の別荘は、使用人の気配で活気づいている。
庭は整えられ、新たな東屋も増築され、デジレの好みに改装されている最中だ。
画家とその妻は大荷物を持ってその忙しい現場をくぐりぬけ、王妃の寝室へと向かう。
静かな寝室で、デジレは二人を待っていた。
「あらジルベール、久しぶり」
そう笑ったデジレの顔からは、かつてのような毒は抜けきっている。
しかしブランディーヌはその何もかも抜けきった無垢な表情の王妃に、ぞっとするような嫌悪感を抱いた。
(これでは、まるで──)
ジルベールは青くなっている妻に構わず、王妃に静かに告げた。
「ご用命いただいたキャンバスを取り寄せました」
「あら、とても大きくていいキャンバス。この壁にぴったりね」
デジレは手近な壁を愛おしそうに撫でさすった。
「じゃあ、ここでお描きなさいな。私、背後でその絵が出来るまで見守っていていい?」
「もちろんです」
「ふふ、完成が楽しみだわ……」
デジレは子どものように悶えてから、はっきりとこう言った。
「クロードの肖像画」