60.星は消えない
王宮での晩餐会が始まった。
野戦食アレンジの食事は誰もそれとは気づかないほど、貴族の食事に仕上がっていた。果たして遠くに座っている王は、気づいているかどうか。
晩餐会に、王妃は出席していなかった。
ララはその事実に少しほっとしながら、周囲の貴族たちと歓談しつつ食事をする。
「ララ様、大変だったわね」
斜め向かいに座っていたミーナが話しかけて来た。
「クロード様のお顔は大丈夫なの?」
「骨は折れていないらしいです。だから、腫れさえ引けば元に戻ります」
「ああ~良かったぁ。騎士だから、いつかは怪我するかもとは思っていたけど……」
「怪我をしてもかっこいいから大丈夫です!」
「そうよね。変な話……怪我を負ったクロード様にも、ときめいてしまう自分がいたのよ。完璧なものが壊されてしまうという、破壊衝動の先にある官能がそこに潜んでいたわ。その時思ったの。かっこよさって、顔とか見た目とで決まるんじゃない。勇敢さとか人間味などの総合力が加わってこそ、男性の真価が問われるんだって……」
ミーナの隣に座っていた夫のギュイ伯爵が、たしなめるようにごほんと咳払いをする。ララは思わず笑った。クロードは何とも言えない表情を浮かべている。ミーナは構わず問う。
「ララ様。結婚式はどうするおつもりなの?」
ララはクロードと目配せし合うと、小さな声で答えた。
「ベラージュ村に行って、式を……」
「あら、王都ではなさらないの?」
「しーっ。混乱を避けるために、田舎でゆっくり式を挙げるつもりなんです」
「なるほど……」
ミーナは微笑んだ。
「クロード様は、苦労が絶えませんのね」
「はい……」
「そうだわ。デジレ様のことはもう大丈夫なの?随分しつこかったじゃないの」
ララは、先程初めて顔を合わせたデジレ王妃のことを思い浮かべた。
周囲の話を聞くにもっと激情型の高慢な女を想像していたが、意外にも彼女は終始何らかの気持ちを抑えている表情だった。さすがに貴族の婚約を邪魔するような振る舞いは、王妃である以上出来なかったらしい。
彼女の顔を思い浮べ、ララは実のところ胸を痛めていた。
王妃の顔は──明らかに、恋に破れた表情だったのだ。
(私がクロードと婚約することで、あのような表情になった女性がたくさんいるんだわ)
ララはそんな彼女たちを思い浮かべ、勝者の顔は出来なかった。
少し申し訳ない気すらした。
でもそう思うのはきっと、クロードと自分が誰よりも親密に結びついたと確信して、気持ちに余裕があるからなのだろう。
ララはもう、焦るような気持ちにはならないのだった。
そんなことをララが考え込んでいると、隣でクロードが口を開いた。
「何があっても大丈夫です。誰かの手が我々を引き裂いたとしても、私たちはそのことでは絶対に不幸にはなりませんから」
ミーナとララは同時に顔を上げ、赤面した。
「……クロード、何よ急に」
「お互いに心から繋がり合った瞬間があったなら、別れてもそんなに不幸ではないと私は思う。そんな二人を引き裂けばどうにかなる、などと軽率に思う方が不幸だ。つまるところ、引き裂かなければならないと思うほど、あちらは私たちが結びついているのを気づいていたわけだから」
「ふーむ……」
ミーナは静かに考え込んだ。
「不幸にしてやろうって思う方こそが、不幸なのよね。よく分かるわ」
クロードは心底不思議そうな顔をして彼女に尋ねる。
「……ギュイ伯爵夫人こそ、一体なぜそのようなことを考えているのですか……?」
ミーナは不敵に微笑んだ。
「ふふふ。ファン心理を、推しの前で言えるファンはおりませんことよ。推しの幸せが自分の幸せなのだから、不用意にベラベラ喋って推しを困惑させるわけには行きません」
「?」
「失敬、クロード様……何でもありませんの、聞き流して下さいまし」
ララは二人のやり取りを見て笑ってから、王の隣に出来た空席をもの悲しい気持ちで眺めた。
その頃、デジレは馬車に乗ると御者と衛兵に命令し、衝動的に例の猟城に向かっていた。
空虚な心を、もはや王都に留め置くのは辛かった。
夜空に星が瞬いている。
あの美しい顔は、自分のせいで歪んでしまった。
しかもそうなっても、堂々と彼を愛し続けていたララ。
何もかも、彼らの障壁にはなり得なかった。
自分は二人にとってただの「空気」であることを見せつけられてしまったのだ。
(もう、二度と……)
デジレは決心した。
(二度と、王都には戻らない)