6.崖から拾われた婚約者
麓に着き、山を捜索し始めたクロードとヤンは、川の岸の枝に引っかかって止まっている籠を見つけた。
「これは……?」
「ああ、それだ!ララの籠!」
「きっと上流から流されて来たんだ……」
二人は川の先を眺めた。
「ここを起点に上がって行こう」
「ララー!」
ヤンが上流に向かって叫び、クロードも真似をして叫んだ。
「ララさーん!」
一方その頃──
ララは沢で途方に暮れていた。
足を踏み外して進行方向とは逆の沢べりに滑落してしまった。滑り落ちたので地面に叩きつけられはしなかったものの、服は破れるし泥で濡れるしで最悪の状態だ。
山菜の入った籠も川に流された。
ララはふうと息をつき、星の見え始めた空を眺めた。
「リエッタ……まだかな」
せっかくリエッタと山菜を炒めて食べようと思ったのに、計画が台無しだ。
「いつまでこうしていればいいんだろう」
下手に動くのはよくない。それは理解しているが、周囲がどんどん暗くなって来て、不安に押し潰されそうだ。
「うー、寒い」
泥にまみれ、体が冷えているらしい。
「パパ……」
鼻先がじんわりと痛くなる。
その時だった。
「……ん?」
聞き慣れない声が聞こえた気がした。
「……ララさーん」
遠い場所から、呼ぶ声がする。ララは体を起こして叫んだ。
「パパー!みんなー!」
上の方から、微かな少女の声がする。
「おっ、ララだ!」
しかし、ヤンは崖を見上げて途方に暮れた。
「……この崖を登らにゃならんのか?」
クロードは籠を背から下ろすと、腕を前で組んだ。
「私が行きましょう」
「おっ、マジか騎士様!行けるか?」
「多分」
クロードは慣れた手つきでロープを肩に巻きつける。
そして、一体崖のどこを掴んでいるのか、両手両足で絶壁を器用によじ登り始めた。
「うおっ。これが騎士の技能か!スゲー!」
クロードは一瞬、なぜ婚約破棄しに来た自分が崖をよじ登っているのか考え、この奇妙な縁をちょっと面白く思う。思わぬ人助けが出来たようだ。
「婚約破棄……しに来てよかったみたいだな」
そして、崖の先には──
月明かりの中、泥にまみれてしゃがみ込んでいる少女がいた。
クロードは、震える瞳でこちらを見上げる少女に既視感を覚える。
「……?どこかで……」
しかし、思い出せなかった。
金色の髪の少女は月明かりの中、クロードを見て泣き出しそうになっている。
(あ、こんなこと考えてる場合じゃない)
知らない男に怯えているであろう少女に、クロードは安心させようと笑いかけて見せた。
「あなたが、ララさんですか?」
少女はこくこくと頷いた。
「私はクロード・ド・ブノワと申します。遭難したあなたを助けに来ました」
少女は目をこする。
「お父様もお待ちです。ロープがありますが……これを伝って、下まで降りられますか?」
少女は小さい声で言った。
「……出来ます」
「先に降りて下さい。あとから私も行きますから」
クロードは、木にぐるぐるとロープを巻き、その端を崖下に放り投げた。
崖の下では、ヤンがランタンを掲げている。
「ララ!」
「パパ!」
ララはロープを伝って下まで降りた。
クロードも、するすると器用に降りて来る。
崖下で抱き合う親子を見て、クロードはほっとした。
「ありがとうございます、騎士様」
ヤンが頭を下げた。クロードは首を横に振る。
「いいえ、大したことは……」
「荒いことをさせて悪かったな。今日はうちに泊まって行け。ありったけのご馳走でもてなそう」
「いやっ、いいんです」
クロードは泥だらけでうつむく少女をちらりと見やる。
「ララさん、疲れているでしょうから……こちらも旅の用意をしてありますので、食事はありあわせで済ませます」
「……そうかい?」
少女はこちらに視線を合わさない。
その時、クロードは気づいた。彼女もまた婚約を破棄した手前、気まずいのだ。
「じゃあ、泊まるだけでも」
ヤンはそう言うが、うら若き少女と同じ家に泊まるのも何だか気恥ずかしかった。
「い、いいです。馬小屋とかで……」
すると、ララが何かを吹っ切ったように顔を上げ、こう言った。
「是非泊まって行ってください」
クロードが目を見開き、ヤンが笑う。
「おっ。女男爵様がそうおっしゃっているぞ」
「ちょっと、ララさん……」
「だって……私、あなたに二度も助けられたんだもの」
二度。
クロードは首を傾げた。
「……そうでしたっけ?」
「覚えてらっしゃらないなら、いいです。是非おもてなしさせて下さい」
そう言うやララは思いのほかしっかりした足取りで歩き出したが、クロードが慌てて制止した。
「遭難直後に、歩いて下山するのは危ないです。私があなたをおぶって行きます」
ララは一瞬躊躇したが、
「ありがとう」
と、クロードの背中に遠慮なく身を預けた。クロードは慣れた様子で、ひょいと少女を背に負う。
ララはその背に額をつけながら、どきどきと胸を鳴らした。
(騎士様……なぜまた私を助けに来てくれたの?)
甘美な状況に酔いそうになったララだったが、ふともうひとつの事実に気づいて青くなる。
(ん?待って。彼がクロード・ド・ブノワ……ということは)
騎士様の背中に、煌めく星空。その全てが美しいのに、ララの目の前は絶望で真っ暗になった。
(もしかして私……大好きな人との婚約を断ってしまったの!?)
余りにも不運な展開に、ララはもはや涙も出なかった。
(私はなぜあの時、この人の名前を聞いておかなかったんだろう……)
こんなことがあっていいのか、と泣けて来る。
神様はいつだって意地悪だ。