59.婚約の儀
その日の夕方に、王宮で後方支援隊新設パーティーが催された。
騎士も貴族も華やかな格好をして、ぞろぞろと王宮に入って行く。
隊長のクロードが主役ということもあって、ララは彼と二人、別室で待機させられていた。ララは王宮のパーティーがここまで華やかで大人数で行われることを知らず、余りの規模の大きさに怯え吐きそうになっている。
「こ、この大人数の中で、婚約を発表……!?」
「そうだね」
「想像を遥かに超えてて……頭おかしくなりそう……!」
「じゃあ、婚約やめる?」
「クロードの意地悪!」
彼の胸の辺りにドンと苦し紛れの拳をお見舞いすると、クロードは笑いながらその手をそっと包んだ。
「ララ、大丈夫だ。私たちはどんな困難だって乗り越えて来た」
ララはぽかんと口を開けてから、不覚にもぼろっと涙をこぼす。
「人に注目を浴びるくらい、何だ。これしきのこと」
ララはクロードの目を見て頷く。
これから何が起こっても、二人は「これしきのこと」で跳ね返して行くのだろう。
執事が入って来た。
「お二方、そろそろ陛下からお呼び出しがかかりそうです」
「そうか。行こう、ララ」
二人は大広間へと歩き出して行った。
婚約に際し、王との謁見及び貴族へのお披露目を執り行う。
ララの、初めての社交界デビューだ。
クロードの例の顔を見て、数人の女性が卒倒する。
まだ岩のように青く腫れた、右の顔。
けれど婚約する二人は微笑み合っていた。
どこからともなくすすり泣く声もする。婚約の報告をするのに、その空間は嘆息と動揺が入り混じって異様な空気だった。
予想出来た混乱であったが、ララは毅然と前を向く。
何があっても、彼の隣にいると決めた。
どんな目に遭っても、誰に引き裂こうとされても、彼にしがみつこうと決めたのだ。
それは決して「意地」ではない。
彼がずっと笑顔でいられるように、二度と凍ることのないように──離れずにいなければならないのだ、ずっと。
二人が歩いて来るのを見て、オレール三世はぎょっと顔を引きつらせた。
クロードの怪我の報告を受けてから、ようやく今日対面が叶った。けれどもその痛々しさに、王も気まずさを覚え、しばらく顔をそむけていた。
一方のデジレは──
震えながらも、二人から視線を外さなかった。
デジレは心の中で呟く。
(私にも……)
あの美しい顔が、半分壊されてしまった。
(私にも、彼の怪我の責任の一端がある)
どうしてあの日、怒りに任せて軍の内情を妹にベラベラ喋ってしまったのだろう。
あの一時の判断ミスのせいで、かの美しい顔は二度と戻って来ない。
デジレは絶望した。
取り返しのつかないことをしてしまった。
(クロードも、きっと自分の顔に絶望しているはずだわ。あんなに美しい自分の顔が、こんな風になってしまったんだもの……)
デジレは怒りと悲しみに唇を震わせた。
しかし──
その時、驚くべきことが起こった。
クロードが、こちらににこりと笑いかけて来たのだ。
デジレは一瞬、目を疑った。
あんなに自分を避け、いつだって嫌そうな顔をしていたクロードが、こちらに顔を向け、にこにこと笑っているではないか。
デジレはたじろいでから、ハッとララに視線を移した。
ララも笑顔だ。
デジレは混乱してから、気がついた。
これは彼らの婚約の儀。
二人にはそれがただただ嬉しくて、笑顔になっているのだ──と。
その感情に、攻撃された悲劇や顔がどうのこうのという事実は、一切入っていない。二人の間に、不幸な要素は、かけらもない。
混じりけのない幸福。
それが、確かにそこにあった。
なぜだろう。
その時デジレは、ふいに肩から力が抜けてしまった。
彼の顔は彼のもの。誰のものでもなかったし、ララのものですらなかった。
彼は顔を失っても別に希望を失ったわけではないし、新しい伴侶を得たことで既にめいいっぱい幸福なのだ。
デジレの心が、ふと空白になる。
からっぽだった心を埋め合わせていたものが、今しがたなくなってしまった。
デジレは急に泣けて来た。
隣でオレール三世が言う。
「クロード、大義であった。君がその顔を賭してまで戦った相手から、諜報部が数々の情報を引き出すことが出来たそうだ。感謝する」
オレール三世はそう言って、わざとらしく視線をデジレに向けた。
「ララも大義であった。よくぞ国に土地を貸し出すことを決めてくれた。感謝する」
デジレはその声につられ、ララを眺めた。
この少女だって、クロードの顔を好きになって婚約したに違いないのに。
ララとクロードは、王の言葉に笑顔で「はい」と応えた。
その瞬間、デジレは「負けた」と思った。
ララはクロードのために、自分の持っている何もかもを差し出したのだ。
そして、受け取って貰えたのだ。
一方の自分は、何も差し出していやしないし、受け取っても貰えない。
何も残らないし、残せない。
悲しい記憶だけが、デジレの中に残った。
「クロード・ド・ブノワ、それにララ・ド・マドレーン。君たちに祝福があることを祈っている」
王から祝福の言葉を賜った二人に、周囲から拍手が沸き起こった。
それからララはクロードから婚約指輪を捧げられ、その光景を貴族たちの前で公開する。
夕闇を思わせる、バイカラーのサファイアが輝いていた。クロードがそれをララの指に差し込み、二人はちょっと泣き笑いする。
あちこちで、吐息が漏れる。クロードのファンならば、誰もが夢見た光景だ。
これが終われば、後方支援隊新設記念パーティーだ。
ララとクロードが別の会場に移動すると、そこでは晩餐会の準備が整っていた。
「ララ!」
馴染みの声が飛び、ララが驚いて振り返ると、そこに立っていたのはリエッタだった。
「え……!?リエッタ?」
リエッタも真新しい赤いドレスを着ていて、遠くに立っている正装のアランに手招きする。
アランと腕を組むと、リエッタは弾けるような笑顔で言った。
「へへへ、驚いた?忘れて貰っちゃ困るよ、私だって後方支援隊の隊員なんだからね!」
言われてみればそうだった。ララは親友の貴族風の晴れ姿に感動しながら、漂って来た香りに鼻をきかせる。
「ん?どこかでかいだ香り……」
アランが応える。
「そうでしょうね。何せこれは、ベラージュ村特製の野戦食をベースに我々後方支援隊員が考案したコース料理なのですから」
それを聞くと、ララとクロードは驚きに顔を見合わせた。
リエッタは不敵に笑って見せる。
「ほら、お礼は?ララお嬢様」
「リエッタ、これってあなたが考えたの?凄いわ!」
リエッタはくすぐったそうに笑った。
「私に出来るのは、これぐらいのもんだから」
「な、何よ……!変に謙遜するのはやめてよ。あなたは凄い女の子よ!」
「そういうの、もっとちょうだい」
「天才!才媛!ベラージュ村の最強娘!私の救世主!」
ララはリエッタに笑いながら抱きつくと、おいおいと泣き出した。
「……情緒不安定かよ」
「何よ!何もかも、リエッタのせいなんだから……!」
親友二人は互いの恋人を放置して、力一杯抱き締め合った。