57.裏切りと信頼
その頃、王宮では。
ジルベールは再びデジレと向き合っていた。
デジレの「理想の顔」を求めて。
しかしデジレの方は、今、絶望に沈んでいた。
クロードの顔面を破壊した男が、パンプロナ公国の騎士であったことが判明したのだ。
(考えたくないけど……)
妹のパメラの顔がちらつく。
(まさかパンプロナ公国が、後方支援隊を攻撃したの?それでクロードを……)
もしかして妹はあの時全てを知って、後方支援隊長のクロードを攻撃することにしたのだろうか──
考えれば考えるほど、事件経過の辻褄が合って来るので絶望しかない。
(やっぱり、私のせい……?)
その時だった。
「今日は、いいお顔をされていらっしゃいますね」
画家から急に声が飛んで来て、デジレは苛立ちつつ顔を上げた。
「何ですって?……いいお顔?」
「はい」
デジレは腹を立てた。前々から思っていたが、この画家は思ったことを何でも口にしてしまう失礼な男だ。
「いい顔なわけないじゃない。私今、気分が最悪なの」
「はあ……なぜです?」
「なぜって、それは……」
デジレは言い淀んだ。こんな画家のはしくれに王妃の心の内など、べらべら喋るべきではない。
しかし。
デジレはなぜか、この画家に心の内を喋らなければならない気がした。
不思議なことに、デジレはこの画家を信頼しているはずもないのに、この画家に秘密を喋りたくてたまらなくなっていた。ひとりで抱える気持ちにしては、既に彼女自身のキャパシティーをオーバーしていたのだ。それに……
(この画家は、受け流し能力が高いのよね)
彼は常に平常心を保っており、「何を言われても平気だ」というような顔をしている。目が細いから、表情が読みにくいだけなのであろうか。
この画家は、信頼には足り得ない。だが、話を受け止めて聞き流してはくれる。
デジレは覚悟を決めて言った。
「……後方支援隊のクロード・ド・ブノワが、パンプロナの騎士に顔を壊されたらしいの」
ジルベールの手が、ぴたりと止まった。
「……なぜ?」
「多分だけど、彼は隊長だから……隊の士気を奪うために、狙われたのかもしれないわ」
「そうですか」
話はそれで終わった。
しかし、デジレの心はそれだけで軽くなった。得体の知れない不安が、言葉になって吐き出された。その事実だけで、かなり救われたのだ。デジレの口は止まらなくなる。
「私ね、クロードの顔が好きなのよ」
王妃の独白に、ジルベールは頷いた。
「左様で」
「あんな美男子はいないわ。私、彼の顔に救いを見出して来たの。でも、そんな顔が壊れたなんて聞かされたら、私辛くて」
「……」
するとジルベールは鉛筆を走らせながら、端的にこう言った。
「他人の顔に自分の救いを見出しては駄目ですよ」
デジレはどきりとする。
「……あら、なぜ?他人の美しさに救われることだってあるじゃない」
「あなたを救おうと思って彼は美しくなったんですかね」
「……」
「そして騎士の彼は、美しさでお商売してますかね」
「……」
「そうでないなら、こちらが勝手にその顔に救われるだなんて言ったら、彼に迷惑でしょう。顔を敵に壊されたのなら尚更です」
デジレはそれを聞き、怒りを通り越して笑えて来た。
「……ふふ。本当ね」
「その人の顔は、その人の持ち物です。顔で商売しているわけではない限り、他人が評価するものじゃないですし、壊されたからとて他人が残念がることじゃないですよ」
はっきりと画家はそう言ったが、手はよく動いていた。ジルベールは、ふと手を止めて呟く。
「うん……いい顔になって来ました」
デジレは気になって、画家の手元を覗き込んだ。
以前の高慢な女はそこにおらず、少し憂いを含んだ女の顔がそこにある。
デジレはそれを見て、心が洗われるような気がした。
「あら、本当。……いい顔だわ」
「本人は辛い気持ちでいても、俯瞰で見るとそれがいい顔を作る要因だったりします」
「……あら?あなたさっき、顔は他人が評価すべきではないとおっしゃってたけど?」
「そうでしたっけ?」
ジルベールは静かに笑って、手を動かした。
デジレはじっと画家の顔を眺める。
(この人……笑った顔が、少しクロードに似てる)
なぜだろう。デジレはクロードの笑顔など見たことがないのに、ジルベールの笑顔をクロードに重ね合わせていた。
クロードの笑顔を、デジレは想像したのだ。
その間に、憂うデジレの顔がジルベールの手によってスケッチブックに仕上がって行く。
一枚のスケッチが完成した。
デジレが言う。
「ねえ画家さん。そのスケッチ、もう一枚複製出来ないかしら」
ジルベールは答えた。
「出来ますよ」
「きっと油絵よりこの鉛筆画の方が、私いい顔をしていると思うの」
「ん?いや……油絵の方が、絶対いい画になると断言出来ますが」
「いいから」
ジルベールは乞われるままに、現時点のデジレの絵を複写した。
デジレはそれを受け取ると、ジルベールが帰った後も、じっとそれを見つめた。
それから少し時間が空き、デジレはふと馬車の音に気づいて窓の外を眺める。
王宮の裏に停めている馬車に、ジルベールが乗り込んでいた。
馬車の中には女がいて、彼と軽くキスを交わしている──
「……ふん」
デジレは腹立たし気に鼻を鳴らす。
そして再び、ジルベールの描いた自分の憂う顔のスケッチをじっと見つめた。
その顔は、段々とデジレの心を潤して行く。
それがなぜなのか、今のデジレにはまだ分からなかった。