55.素晴らしい日々
ジルベールは王宮を出ると、近くの喫茶店で待っていたブランディーヌと合流した。
高級娼婦だったブランディーヌは、王宮関係者との事情が色々とあって、王宮には入れなかったのだ。
「ジルベール、どうだった?王からの依頼は」
ジルベールはコーヒーを注文し、少し戸惑い気味に呟いた。
「王妃陛下は、自分の顔に興味がないそうだ」
ブランディーヌはそれを聞いて笑う。
「へえ、そうなの?」
「まあ、恵まれた環境にずっといる人だからな。美醜で判断されたり、扱いを変えられたことがないからだろう」
「ふーん、そうかしら」
ブランディーヌは、どこか秘密めいた笑顔を見せた。
「私は、その逆だと思うわ」
「……というと?」
「美醜に並々ならぬ執着があるから、見ないふりをしているんじゃないかしら。考えないようにしている、というか」
「なるほど……それって女性特有の感情なのかな?」
「それは分からないけど、娼婦にも結構いたわ……ある時からいきなり美醜のこだわりを葬り去る人。あんまり美醜に固執していたものだから、ある時から自分をないがしろにしてしまうの。老けたり、人気がなくなったりしてヤケになるのよ。全ての物事を白か黒かでしか判断出来ない、可哀想な人に多い現象ね」
「ふーん……」
ジルベールは、静かに熟考する。
「クロードに執着することと、自分をないがしろにすることは繋がっている……のか?」
「近いと思うわ」
「ふむ……」
ジルベールは、何かいいことを発見したかのように笑顔になった。
「ブランディーヌ。これからのことなんだけど」
「ええ」
「陛下から、リプシム城という別荘へ向かうよう言われている。無論、君も一緒にだ。そこで、アザール公爵からの依頼も片付けよう。王の所有する城の一室を背景に裸婦像を描くと伝えたら、喜んでいたよ」
「へえ、お城で寝られるの?素敵」
「王妃陛下と寝泊まりするから、護衛や使用人も派遣してくれ、万全の受け入れ態勢を整えてくれるそうだ」
それを聞くと、ブランディーヌは少し困ったような顔になる。
「何だか窮屈そう」
「まあ……窮屈だろうね。でも、俺は好きなようにやるよ。縮こまってはいけない、相手方に合わせるとどんどん要求されるから」
「それもそうね。私たちは自由にやらなきゃ」
運ばれて来たコーヒーを飲み、ジルベールはほっと息をつく。
「そういえば、後方支援隊が帰って来たそうだ」
「ふーん。……どうする?」
「王からの依頼を片付けたら、会いに行こう。その頃にはもう、彼らも結婚しているかもな」
一方その頃。
ブノワ邸に、宝石商が来ていた。まだ顔の腫れが引かないクロードであったが、ララの部屋で例の婚約指輪を見せてもらうのだ。
ララと二人で、差し出された小さな箱を開ける。
そこには、夕焼けを思わせるバイカラーサファイアのリングが輝いていた。
スクエア型の石を、横長に使ったリング。装飾のほとんどない扁平なリングで、農民であるララの胸に下げやすいようあつらえてある。
「……素敵」
ララは目を夕焼け色に輝かせた。クロードがにこりと笑って言う。
「つけてあげる」
ララは胸躍らせながら、彼に左手薬指を差し出した。
滑らかな白金の感触がララの指をするりと滑り、小さく光る。
これが、婚約の証。
ララはそっと目頭を拭った。クロードは健闘を讃えるように、ララの肩を抱く。
「ようやく……」
「うん」
「でもこんな時に、こんな顔でごめん」
「クロードは悪くないわ、謝らないで」
宝石商が部屋を出て行く。クロードはそれを待っていたように、すぐさまララに口づけた。
ララはクロードの赤い腫れを労わるように撫でる。
婚約者を守るためについた傷に、悪い印象など抱くはずもない。
「……きっと、結婚式をする頃には、腫れは引いてるわ」
「ああ」
「でも……婚約の儀の時は、まだ腫れたままね」
二人は向き直った。
「実は、陛下から話があって」
「……今度は、何?」
「後方支援隊の新設と、婚約者の顔見せを同時に王宮でやらないか、と」
ララは少し怪訝な顔になった。
「王妃がいるのに?」
「でもどちらにせよ、婚約の際に両陛下と謁見するのはこの国の貴族の伝統だから」
「……そうなのね」
「それが終われば、私はララとベラージュ村に行ける」
ララはクロードと抱き合った。
「そうしたら、クロードも牛の世話をするの?」
「……そうだな」
「湿地でリンゴをもぎって、山で葡萄を取って」
「そうだ」
「もう鎧は脱いで……農民の格好をして?」
「そうなるだろうね」
ララは野良着のクロードが草原に佇む日を夢見た。
遮るものがほとんどない土地で、牛を追って、料理をして、たまに休んで、夕日を眺めて、仕事をして──
きっと、素晴らしい日々が待っているに違いないのだ。