54.私の嫌いな顔
「そういうわけで、デジレ。リプシム城に行く前に、画家と打ち合わせをしようと思うのだが」
そうオレール三世がそう言ったので、デジレはきょとんとした。
「……画家と?」
「ああ。王宮所属ではないが、新進気鋭の画家でね。様々な公爵家の専属絵師を任されている男なんだ」
デジレは画家と打ち合わせするのは、初めてだった。
以前この国に嫁入りするために作られたデジレの肖像画は、彼女に何の断りもなく帝国画家によって作られた。国と国との見合い用のようなものだったので、相手に気に入られるように貞淑な少女の出で立ちで、フィクションたっぷりに仕上げられたものだ。オレール三世はその肖像を見てデジレを迎え入れたのだった。まさかこんな性格だと知る由もなく。
デジレはあの甘ったるい自身の「ニセ」肖像画に吐き気がしていたので、この辺りで一度描き直すのはいいことだと思った。
「分かりました、その画家はいつごろお見えになりますか?」
「別の仕事を少し片づけてから、来るそうだ。一週間後になる」
それから一週間後。
「画家は応接間で待機させている。ついて来い」
デジレはそう言われて、王について行った。彼が早急にデジレの気を〝何か〟から逸らそうとしているのは見え見えだ。
きっと夫は自分を持て余して、ていのいい暇つぶし役の画家を見つけて来たに違いないのだ。
応接間の扉が開かれ、そこに立っていた男を見、デジレは目を見張った。
「……クロード?」
──ではなかった。
クロードと同じぐらいの体形であり骨格は似ているが、目の細い、髪をひっつめにした男がそこにいた。
男は立ち上がるとこちらに歩いて来て、慣れた所作で跪いた。
「デジレ様、初めまして。画家のジルベールと申します」
画家の割に、妙に背筋が通っている。
デジレは初めて会ったようには思えない奇妙な感覚を抱きながら、彼に挨拶した。
「ようこそ、ジルベール。あなたが私の肖像画を描いてくれるのね?」
「はい、王妃陛下。デジレ様の女盛りの頃合いで一枚描きたいと、陛下からお話を賜りました」
「それで……打ち合わせというのは……」
ジルベールはにっこりと笑った。
「どのような肖像画にするか、デジレ様も交え、方向性を決めておきたいと思いまして」
デジレは正直なところ、自分の姿などどうでもよかった。
「……何だっていいわよ、そっくりに描いてくれれば」
「皆さま最初はそうおっしゃいます。ですが、そっくりに描くと大抵揉めますので……」
「ふうん、そういうものなの?」
「はい。自分が鏡で見ている〝自分〟と、他人の目で見ている〝あなた〟は違うのです」
言われてみれば、確かにそうだ。しかし、他者から見た自分の姿など、想像もつかない。
「そうね。よく分からないから……ちょっと軽く描いてもらってもいいかしら?それから、注文をつけることにするわ」
「そうですか。今、お時間ありますか?」
「あるに決まってるじゃない。だから陛下は私を呼んだのでしょう」
「……左様で」
ジルベールは、目の前の椅子に座ったデジレをしげしげと観察した。
そして鞄からスケッチブックを取り出すと、さらさらと彼女を描きつける。
何の気負いもない線描だ。
余りに軽くさっさと描くものだから、デジレは内心度肝を抜かれた。以前彼女の肖像画を描いた画家は、重圧に怯えて恐る恐る描いていたと言うのに。
人によっては、こんなにラフに描かれては、ぞんざいに扱われたと怒り出すところだろう。
だがデジレは何のこだわりもないので、ジルベールの描きたい通りに描かせた。
オレール三世は彼の背後から絵を覗き込み、うんうんと時折頷いている。よほど似ている絵らしい。
ジルベールの手が止まった。
「手始めに……こんな感じはいかがでしょうか」
そう言って、こちらに向けられた絵。
それを見るや、デジレはぞっとした。
その絵には、不満気で怒りに満ち、なのに高慢に微笑む、鏡で見るより老けた己の姿が描き写されていたのだ。
デジレは椅子から立ち上がって叫んだ。
「な、何ですってえええええ!」
ジルベールとオレール三世はぽかんとしている。
まるで「意外だ」とでも言わんばかりに。
そんな二人の男性の間の抜けた顔を見て、今度はデジレの力が抜ける番だった。
「……な、何よみんな」
オレール三世は言った。
「何って……とてもよく似ているぞ、その肖像」
デジレは青くなった。
(……似ているの?この絵が、私と?どこが?)
すると、ジルベールは場を和ませるように「ははは」と笑った。
「ほら、私の言った通りではないですか。みなさん、そっくりに描くと怒り出すんです」
「……確かに……むかついたわよ」
「そういうわけですから、これをベースに〝もっとこうして欲しい〟というところを描いて修正して行きましょう」
「……もっと?」
「自分で眺めて満足する自分を描くのです。そうすれば、素晴らしい肖像画が完成します」
デジレは考え込んだ。
自分で眺めて満足する、自分の顔とは。
「そうねぇ……」
デジレは鏡に映る自分を想像して答えた。
「もっと優しそうな顔がいいわ。で、もっと頬の肉付きよく」
「はい。こんな感じで……」
ジルベールはデジレの肖像に、言われた通りの性質をさらさらと描き込んで行く。
スケッチを見せてもらう。確かに、前より見栄えは良くなった。
「あら、理想像に近づいて来たわ」
「もっとご要望があれば、反映しますよ」
しかし、デジレは絵の中の自分がどんどん良くなって行っても、ちっとも心が満たされなかった。
どうせ現実の自分は、最初の肖像のような顔なのだから。
デジレは念じる。
(私の顔の絵なんかより、クロードの顔でも描いてくれた方が、よっぽど──)
その時、ジルベールが言った。
「顔は、慰めになるんですよ」
デジレは目を見開く。
「……え?今、何て……」
「人は自分の顔を眺めている時、リラックスするようになってます。肖像画は富の象徴ですが、癒しにもなるんですよ」
デジレはそれを鼻で笑った。そんなわけはない。
「自分の顔が嫌いな人は、きっとリラックスなんかしやしないわ」
「……デジレ様は、ご自身の顔をどう思ってらっしゃいますか?」
ジルベールが微笑んで問う。
デジレはその問いに驚き、目を白黒させた。
「別に……興味ないわ」
「女性なのに不思議ですね。普通、女性なら誰しも自分の顔に愛憎があるものですよ」
デジレは、そのような一般論は好まなかった。
「ないったらないわよ、こだわりなんか、ない」
「そうですか?では、この絵をベースに進めさせていただきますね。またお会いしましょう」
ジルベールはどこか通じ合わない話を終わらせると、部屋を出て行った。