53.彼の顔は癒し
クロードの顔は、いつまでも美しいままであるとデジレは思い込んでいた。
戦場であっても、誰かに刺されても殺されても、彼は死ぬまであの美しい顔面を保っているのだと彼女は疑わなかった。
だが──現実は余りにも残酷だった。
顔面を失って生き永らえることだってあるのだ。
(嘘……!)
デジレは傍目にも分かるぐらいにうろたえた。
(クロードが、顔を激しく損傷……!?)
しかし、彼女はそれをにわかには信じられなかった。
なぜなら、あの日デジレは馴染みの手下にこう命じたからだ。
〝ララを殺して。でも絶対に、クロードは傷つけないでね〟
妹の婚姻の儀からこちらに帰った日、デジレは確かにクロードを「命もろとも」得ることすら考えた。
しかし、それは彼女には実行できなかった。
彼を殺してしまっては、あの顔がもう見られないのだ。それぐらいのことは分かっている。さすがのデジレも、彼を殺せとまでは命令しなかった。
(まさか、手が滑ったとか?それでうっかりクロードの顔を破壊してしまったとか……)
可能性はある。例えば彼がララをかばったとか、そのような時だ。
(でも、手が滑ったぐらいで〝顔面を激しく損傷〟なんてあり得るのかしら……)
今まで散々裏の仕事を成功させて来た彼らだ。その手下たちが、急に気分を変えてクロードの顔面を破壊したなどということは考えにくい。クロード自身も強い騎士だ。無防備に賊に殴られるような男ではない。
デジレはその瞬間、恐ろしい考えに行き着いた。
(まさか……クロードの顔を破壊したのは、別の誰か……?)
彼女の手の者ではない賊が、気紛れにクロードを破壊したのだ。そうとしか思えない。
ぐるぐるとまとまらない考えに翻弄されたデジレは、いっそ聞くしかないと腹をくくった。
「あの」
努めて王妃然として、デジレはパトリスに語りかける。
パトリスは死んだ魚のような瞳で「何でしょう、王妃陛下」と応えた。
「ク、クロードは、どこで顔を怪我したの?私、心配でたまらないわ……」
パトリスは王の視線がある手前、誤魔化すことなくこう告げた。
「ナヴァール村の街道沿いにある宿です」
デジレはくらっとする。
そんなところに手下は配置していない。彼女の手下はベラージュ村にのみ向かわせたはずだ。
(やはり、別の誰かが、クロードの顔面を……!)
そう考えるや、デジレは怒り狂ってオレール三世に詰め寄った。
「陛下!犯人を捕まえて下さい……私、クロードを殴った輩を許せない!」
「犯人なら、すでに我々の手で捕えております」
パトリスが冷静に報告した。デジレはほっと息を吐く。
「そ、そう……それならよかったわ。陛下、その賊は重罪に処して下さいませ!」
オレール三世はそんな妻の様子をしげしげと眺めてから、どこか白々しく言った。
「これから騎士たちで賊を取り調べる。君には関係のないことだろう?」
デジレはそんな夫の様子を見ながら、呆然とする。
──疑われている。
明らかにオレール三世はデジレを疑っている。その刺すような疑惑の視線に、デジレは内心腹を立てた。
(何よ。私は彼の顔を愛しているの。あれがなくなった世界なんて……)
と同時に、我に返る。
(どうしよう……疑われている。陛下は、クロードを破壊せよと命令したのは、私だと思っているんだわ)
時たま、支配欲が殺意に取って変わる性質の人間がいる。オレール三世は、デジレをそのような人間だと思っているのだろう。
(クロードの顔面を破壊した賊が気になるわ。一体どんな奴なのかしら)
デジレはクロードの顔が壊されたことに怒る余り、当初の獲物であったララの存在などすっかり忘れ去っていた。
(そうね。もっとその賊に罪をかぶせて、死刑にまで持って行きたいわ……絶対に許さない!)
オレール三世は王妃と共に歩きながら、寝室へと戻った。
「デジレ、話があるんだ」
怒りに震えていたデジレは、それで少し現実に引き戻された。
「は、はい。何でしょう」
「リプシム城を覚えているか?」
デジレはリプシム城を思い浮かべた。シャノワールの外れにある、美しい別荘兼猟城だ。
「はい。川のほとりにある、美しいお城ですね」
「お前、あそこに行く気はないか?戦乱続きだし、私も少し気分転換をしようと考えているんだ」
「あら……いつぐらいに行くご予定で?」
「一か月後だ。今、城の管理者を行かせて掃除をしてもらっている」
「はぁ……」
「それでだね、一番美しい時に一枚、君の新たな肖像画を作ろうと考えているんだが」
デジレは、急に王が自分を褒めたので少し奇妙に思った。
しかし、こう思い直す。
(ふーん。きっとまた、愛人を王宮に引き込むつもりなのね……)
実は、以前にもデジレはオレール三世に言われて例の猟城に入ったことがあった。その時は今付き合っている愛人を口説き落とすための時間を作るために入れられていたのだった。手下に調べさせ、その情報は上がっている。
(まあいいわ。どうせ……)
デジレはふと、暗い気持ちになった。
(どうせ私はひとりよ)
王妃を支えてくれる人間は、この王宮のどこにもいない。
帝国から言われるままに嫁いで来て、友人もいない、子も出来ない、そんな毎日を過ごして来た。
そこで見てしまったのが、あの美しい〝氷の騎士〟。
その美しさに執着した時、全ての思い煩いが吹き飛んだ気がした。
美は癒し。美は慰め。
クロードの姿は、全てを忘れさせてくれた。
デジレは目を閉じる。彼の姿を思い出して心を整え、彼女は微笑んで見せた。
「あら、肖像画ですって?とっても素敵ね」
「ああ。いいだろう?」
「では、今入っている公務が片付き次第、旅の準備を致しますわね」
「そうしよう」
デジレは自分の顔になど、微塵も興味はなかった。
王の手前喜んで見せたものの、彼女は自分のことなど、どうでもよかった。
自暴自棄などというような言葉では言い表せない闇が、デジレの心にはずっとまとわりついている。
他者の美しさだけが、彼女の心を慰めるのだった。
(何もかも……どうでもいいわ。あの人の顔は無事なの?)