5.薪割り、のち婚約破棄
クロードは、馬でのんびり三日間かけてベラージュ村を目指した。
王都を離れれば離れるほど、体が軽くなって行く。
そこで、ふと気づいたことがある。
(そうか……私は王都の人間関係に辟易していたんだ)
孤独は、彼の凍った心を次第に溶かして行く。案外、婚約破棄をしに行くというのは口実で、彼はあの社会から一時的にでも離れたかっただけかもしれない。
(王都を離れ、しばらくどこか別の場所で休暇を取ってもいいかもしれないな)
牧草地にある一本道を歩いていると、急に昇進だの地位だの仕事だののこだわりがどうでもよくなって来た。
とにかく休みたい。
誰の視線も感じず、ひとりになりたい。
(ベラージュ村の用事が終ったら、もっと北を目指そうか……)
馬と休み休み歩む旅路。
四日目の朝、ようやく遠くにベラージュ村が見えて来た。
「あれが、ベラージュ村……」
平原に、ぽつぽつと家らしきものが見える。
更に向こうには湿地。人より羊と牛の方が多い村だ。
からんからんと牛鈴の音が鳴り響く。遮るものがなく、風がどうと山の方から吹き下ろして来た。
「……ド田舎だな」
クロードはひとりごちながら、ぐるりと周囲を見渡した。
男爵というぐらいだから、その辺に見えるようなほったて小屋ではなく、お屋敷のような場所に住んでいるのだろうと思ったが、それらしきものが全く見当たらない。
クロードは村の中心部にある、割に大きな木の邸宅に狙いを定めた。
「きっとこの辺りの地主の家だ。男爵邸までの行き方を聞いてみるか」
しばらく馬を歩ませていると、牛飼いの少年が群れを率いてこちらにやって来た。
「騎士だ!すげー!あんた、ヤンのうちに行くのか?」
「……ヤンとは、あの大きな家の主か?」
「そうだ。ヤンはこの辺の地主だぜ」
「ちょっと尋ねたいのだが、マドレーン男爵邸はどこにある」
牛飼いはひひひと笑った。
「さては騎士様、男爵を逮捕しに来たんだな?」
クロードは面食らった。
「何?逮捕……?」
「マドレーン男爵と言えば、ギャンブル狂、アル中、没落の三重苦で有名だからな」
「……!」
「屋敷はもっと北にあるが、もう誰も住んでないよ。この前、差し押さえられてたし」
「!!」
「男爵は犯罪でもやらかして、どっかで野垂れ死んでるな。そうに違いねー」
クロードは愕然とした。
(父は、そんな家の令嬢と私を婚約させようとしていたのか?)
これを断ったら、もっとヤバめの貴族と結婚させられてしまうかもしれない。
(いくら何でも、相手を選ばなさ過ぎではないか?)
父親のいい加減さに絶望し、やはり使用人にでも婚約破棄の伝達を頼めばよかった……と後悔した、その時。
「あっ、ヤンだ!」
牛飼いの少年が、薪を運び出しているヤンを見つけた。
背の低い、ずんぐりむっくりの親父である。彼が、あの大きな家の主らしい。
子どもに聞くより、大人に聞いた方がいいだろう。クロードは牛飼いを追い抜いて、ヤンの元へ走って行った。
ヤンは見慣れぬ騎士におっかなびっくり、立ち止まった。
「お?こんなところに珍しい……王宮の騎士か」
クロードは馬から降りると、ヤンに尋ねた。
「失礼。マドレーン男爵邸に行きたいのだが、場所を知っているか?」
「えっ、マドレーン邸に……!?」
誰も彼も、この村の住民はマドレーン男爵に関していい顔をしない。クロードは気分が沈んで来た。
「生憎、マドレーン邸は競売に出されたよ。男爵も最近は行方知れずだ」
「そんな……」
「どうした?あの男爵、また何かやらかしたのか」
クロードは沈んだ表情で答えた。
「いや……実は、私とマドレーン男爵家令嬢との婚約話が進んでいて」
「えっ!だけど、あそこは男児しかいなかったはず……」
ヤンはそう言いながら、ふと何かに思い当たった。
「ん?まさか、あんた……クロード・ド・ブノワさんかい?」
クロードは眉根を寄せた。
「なぜあなたが私の名を」
「おい!凄い男前が来たな!」
「?」
ヤンはバシンとクロードの肩を叩いた。
「だがな、娘はやれねぇ!っていうか、もうこっちから婚約お断りの返信を出しちまったからな。残念だったな!」
「???」
「牛飼い!ララはどこにいる?」
「ララなら、山菜を採りに行ったよ」
「駄賃をやるから探して来い」
「ええ~、もうお昼になるから勘弁してくれよ。俺はもう行くぜ」
ララという名前を聞き、クロードは目を見開いた。
「ララとは……ララ・ド・マドレーン?」
「あ、そうそう。それだ!」
「では、まさかあなたが男爵……?」
「ああん?違う!俺は男爵じゃねぇ!」
「???」
「あんたは勘違いをしている。ララは男爵令嬢じゃない。あいつは女男爵。色々あって、爵位を買い取って男爵家当主となった。詳しい経緯は、話せば長くなる」
クロードは頭の整理が追いつかない。
「ところであんた急に来て、ララに何の用だ?」
ヤンに尋ねられ、彼は無礼を承知で答えた。
「いや……私も、彼女との婚約を破棄しようと」
ヤンは頷いた。
「なるほど。あの悪名高いマドレーン男爵の娘なんかと婚約させられちゃあ堪らんと、御者に頼らず急いで自ら馳せ参じたわけだな!」
「そういった評判は知りませんが……まあ、そういうわけです」
「安心しろ!ララはあんな最低貴族の娘じゃない。俺の娘だ。とてもいい娘だが、都会に出すわけには行かんのだ。こちらこそ婚約破棄しちまってすまんな!」
「……はぁ」
とにかく、婚約破棄は既定路線のようだ。クロードはほっと息を吐いた。
と、その時。
「おーい、誰かー!」
牛飼いが慌てて道を引き返して来た。ヤンはそのただならぬ空気にすぐさま応える。
「どうした!?」
「ララが沢に落ちたらしいぞ!リエッタが先に下山して、応援を呼んでる!」
ヤンは薪を投げ出して頷いた。
「分かった!すぐ行く」
クロードはぽかんとしていたが、すぐに我に返って申し出る。
「ヤン殿。私も行こう」
「おっ、行ってくれるか?悪いね、こちとら婚約をとりやめた分際で」
「いいえ……困っている人を助けるのが騎士の務めですから」
「……だよなぁ!騎士道を行くあんたなら、そう言ってくれると信じてたよ」
クロードは自分の馬から降り、ヤンの用意したおんぼろ馬車に乗り変える。
北の山に向かって、騎士と農民は急いで馬車を走らせて行った。