47.戦略対戦略
ララとリエッタのために用意された部屋。
そこにクロードを連れ込むのは気が引けたが……
クロードはさっさとその部屋に入って行く。ララはふと彼の背中を見て、何かの潮目が変わったことを直感した。
いつもクロードにまとわりついていた困惑、迷い。そういったものが消え失せている。
ララが入って行くと、扉を閉めた瞬間にクロードは振り返るようにしてララを抱きすくめた。
ああ、とララは思う。
(クロードは、何が何でも私を手に入れる気になったんだ)
ぎゅうっとその腕で体を絞り上げられて、ララは苦し気に息を漏らす。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
「時間がかかるかもしれない」
クロードが許しを乞うように、抱きすくめる少女にそう告げた。
「でも、絶対安全になったって分かってから、ララと結婚したいんだ」
ララは彼の胸の中で頷いた。
「きっとまたヤンさんに〝婚期を延ばすとは何事だ〟とか言われるんだろう。ララだって、不安だろう。でも、この隊が完成するまで待っていて欲しい……とんでもない我儘だけど」
ララは彼の胸の中で首を横に振った。
「我儘なんかじゃないよ。私も我儘言ってるもの、クロードとどうしても一緒にいたいんだって」
「ララ……」
「婚約指輪、早くしてみたいなぁ」
二人は体を離した。
「待っててくれる?」
「もちろん。おばあさんになっても待つわ」
「……ありがとう」
そう言うと、二人は久しぶりにキスを交わした。やはり田舎にはプライベートな空間が乏しく、このように時間と空間を作らないとこんなこともままならないのだ。
風呂上がりの互いの体が、湯気と熱気とでずっしりと重たくなっている。それなのに、心なしか彼の深い部分が凍えているようにララは感じた。
ふと、クロードが何かに怯えるようにそっとララから唇を離す。
「……だめだ。やっぱり、ここにリエッタを呼ぼう」
「えっ、どうして?」
「すぐそこにベッドがある。あんなものがあったら、次の瞬間の私が何をしでかすか分からない」
ララは真っ赤になった。
「そ、そう?別に私は……」
「駄目だ」
クロードは誰に叱っているのか分からないが、きっぱりとそう言って扉の前に歩き出した。
そしてため息をつく。
「ララと普通の婚約、普通の結婚がしたいだけなのにな……」
それは、ララとてそうだった。
王妃が向かった途端に不穏な動きを見せた公国。そのために二人が巻き込まれたのか、それとも……
「実は陛下宛の手紙に、デジレ様のことと兄上の聞いたことも書いておいた。それから、そのためにララと離れて過ごすわけには行かないことも」
「……それは、陛下にもお知らせした方がいいわね」
「陛下は王妃には興味がないが、戦況には敏感だ。王妃の動きがそこに影響を与えるとなれば、少しは対処もしてくれるだろう」
「……そうね」
「我々の婚姻には、戦略が必要だ……難しいけど。二人の人生をよりよくしたいから」
「私……頑張る」
二人は再び求め合うように抱き合った。
抱き合ってさえいれば、二人の心は不安を免れる。
いつの間にか、様々な経験を経て二人の結束は固くなっていた。あとは戦略を立て、動くのみだ。
そこまで心が決まったら、二人とももう迷いはない。
誰がどんな手を使おうが、互いの目指す未来像は絶対に曲げない。
二人は固く手を取り合うと、寝室を出た。
リエッタは台所で、兵士らと食事を作っていた。
卵の焼ける香りと、香草のスパイシーな香りが台所に充満している。
「あ!待ってたよララ!」
皿に盛られたのは、香草のオムレツと固パンだ。
「もっと材料が欲しいなぁ。ねえ、クロード。今は季節がいいから、ばんばん村の野菜を買い上げてよ。山に入ってもいいんじゃない?この人数食わすには、こんなもんじゃ足りないでしょ」
「そうだな。何せ人数が多いから……」
「芋が余ってたよね?あれどこやったっけ」
「昨日全部食べた」
「ちょっとぉ……後先考えなよ。これだから貴族って奴は」
ララも台所に立って香草を刻もうと思ったが、ふと思うところあってその包丁をクロードにそっと渡した。
クロードはララから初めて包丁を握らされ、促されつつもおっかなびっくり目の前にある香草を切り刻み始める。
「これが……料理か。初めてやった」
「こんなのは料理の内に入らないわ。料理って、もっと複雑で総合的なものよ」
「……そう」
「でも、隊長自らやってみるのは大事よ。作る側の苦労が分かるでしょう?」
そう。これから、クロードが経験したことのない毎日が始まるのだ。
騎士でありながら農民の生活を営むという、前代未聞の騎士生活が。
そしてそれを纏めるのはクロード自身なのだ。全てを他人任せにするわけにはいかない。
それから一週間後。
王都では──
オレール三世はクロードからの手紙と諜報部から寄せられたいくつかの暗号文書に目を通し、ふんと鼻を鳴らした。
「やはりな。パメラめ、怪しいと思っていたんだ」
パンプロナ公国が物資を横流ししていたのは、どうやらパメラの入れ知恵だった。実は大公の計略ではなかったことが、諜報部の調査で明らかになったのだ。更にパメラは今はデジレをけしかけ、シャノワール国の後方支援隊を潰そうと動いているという。
「しかも、まさかあのアフィリア帝国が娘たちを使って、周辺国の仲間割れを狙っていたとはな……」
バランサーという位置を確保することで、周辺国の戦争を長引かせるという、公国という小さな国が生き延びるための何とも消極的な手段。それを伝授したのは、なんとデジレとパメラの出身国であり、戦争には参加していないあのアフィリア帝国だったというから驚きだ。
オレール三世は、戦争に加担している国の出身ではないからデジレを娶ったのだ。パメラは大国の姫であるにも関わらず、なぜあのような小さな国に嫁がされたのかとオレール三世は常々不思議に思っていたが、例の帝国から戦略を授けられたパメラが噛んでいると分かれば納得が行く。帝国は五人姉妹だ。入れ知恵した娘を嫁がせ、各国の攪乱を図る。それが帝国を優位に立たせ、国に安寧をもたらす。娘が多く生まれたからこその戦略だったのだろう。
そう考えればデジレは余りにも無能だ。が、だからこそ国内を引っ掻き回し、国を傾けるために送り込まれていたとしたら──
「ふむ……やはり帝国は恐ろしいな」
オレール三世は、窓から遥か北の方を眺めた。
「クロードには今までデジレをうまく引きつけていてもらっていたが……その役はそろそろお終いにするか。婚約者ララの土地も欲しいし、これから彼には更に物資を増強してもらわなくては。周辺国のバランスを崩す大事な使命を彼に託そう」
そのためには一度、考え得る限りの悪の芽を摘まなくてはなるまい。
オレール三世がそう考えた、その時だった。
「陛下、諜報部から伝言です」
「うむ、入れ」
「失礼致します。後方支援隊を襲って逮捕された賊が、雇い主を吐きました」
「……で?雇い主とは」
「デジレ様です」
オレール三世はふうと息を吐いた。
「デジレが嫉妬のままに動かしたか、パメラがでしゃばったか、アフィリア帝国が背後にいるのか──このあたりを明確に致せ」
「……はっ」
若き王は考える。
一度デジレにかまをかけ、揺さぶってみなければならない。