45.自分勝手な女
一方、ヤン邸ではジルベールが大きなくしゃみをしていた。
「……ん?誰かが俺の噂をしているな……」
「クロードでしょ、どうせ」
ブランディーヌはそう言って、台所で細々した片づけをしている。
「絵を描くつもりだったのに、追い出されてしまった」
「ここまで来たら。王都まで行ってみる?王都なら、空いてるお屋敷を貸し出してくれる人がいるかもしれないわ」
「ここにいても、作業は捗らないからな」
外から、のどかな薪割の音がする。
「弟に言えることも言ったし、さっさとずらかるか。ララさんともっと話したかったけど……」
「じゃあ馬を借りなくてはならないわね」
「この村には宿がないし、馬の貸し出しをしている店もない」
「誰かについでに乗せて行ってもらいましょうよ。お駄賃さえ払えば、ついでに乗せてくれるかもよ」
「そうする」
その時だった。
薪割の音の間に、ガラガラと馬車の音がしたのだ。
ジルベールはそれを聞きつけ、すぐに家を出た。
遠くに荷馬車が見える。馬に乗っている人物の服装にピンと来た。あれは王都からの郵便屋だ。
「おーい!」
彼は郵便屋の荷馬車を呼び止めた。郵便屋は用事だと思い、こちらに駆け寄って来る。
「はいはい、配達だね?」
「違う」
「……え?」
「君、集荷が終ったら王都へ帰るんだろう。駄賃を払うから、荷馬車に乗せて欲しいんだ」
郵便屋は少し悩んだが、
「荷馬車に空きがあればいいですよ。いっぱいなら乗せられませんが。……今から一日かけて村を回り、集荷を始めます。明日の朝、とりあえずここに戻って来ましょうか」
と言う。未確定だが可能性があると知って、ジルベールは微笑んだ。
「ありがとう、郵便屋さん」
「じゃあ、また明日」
郵便屋が遠ざかって行く。
手を振っているジルベールの元に、ヤンがやって来た。
「もう帰るのかい」
「はい。上手く行けば、明日には」
「もう日が傾いて来ているが……ララは今日、こっちに帰って来られるのかねぇ」
「いや、むしろあっちにいた方が安全ではないですか?騎士に囲まれて生活した方が」
「そうかね……」
「ララさんに関して何か心配なことがあるようでしたらおっしゃってください。出来る限り力になります。クロードとララさんが結婚して家を継いでくれれば、私たちは完全な自由を手に入れることが出来るのです」
ヤンは白けた顔でジルベールを見上げた。
「ふん。まるで他人事だな」
「そういうつもりはないのですが……とにかく、私は二人の幸せを願っています」
「ははは、全く都合が良過ぎるぜ。あんたは自分に正直過ぎる。この兄とあのクソ真面目な弟を足して、二で割れればよかったのにな」
「……それもよく言われます。でも」
ジルベールは遥か遠くの方を見た。
「無責任と言われて当然ですが、私は私の周りにいる人間全員を幸せにしたいと考えています。先程も述べた通り、それが私が完全な自由を手に入れる方法なのです」
ヤンは苦虫を噛み潰す。
「……人はそれを優柔不断と言うんだぜ」
「そうでしょうか?先程からヤンさんがおっしゃっているのは、自己犠牲の精神が足りないとかいうやつでしょう?」
「……」
「そんなものなくたって、幸せになれますよ。みんな勘違いしている。何かを得るためには何かを捨てなければならない、などと」
「……」
「正直に申し上げますと、ララさんと私はとても似ている」
「馬鹿言え。あのしっかり者とお前なんかを一緒にするな」
「いいえ。だって、ララさんは土地を引き換えにしてでもクロードを得ようと思った。それで駄目なら、王との約束すら捨てようとしたんだ。こんな自分勝手な女性、なかなかいませんよ」
ヤンはふむ、と声に出す。
「言われてみれば、そうだな……」
「ララさんも同じようにみんなを幸せにして、完全な自由を手に入れようと奔走している。だからヤンさん。多分このまま行動を制限しているだけじゃ、彼女の取り得る最終手段は〝駆け落ち〟だけになってしまいますよ」
ヤンは目を見開き、ジルベールはにっこりと笑った。
「娘さんを私のようにしたくなければ、ヤンさんもクロードばかり攻撃するのではなく、もう少し協力の姿勢を見せるべきです。でないと、二人でどこかへ消えようとしか思わなくなる」
「……」
「モルガンとあなたは似ています。選択肢を親の側から潰そうとするのは、生殺与奪の権を振りかざして子どもを言いなりにさせているに等しい」
「……」
「クロードに、少しだけララさんを任せてみませんか。クロードは私のせいもあって、選択肢を奪われ続けて来た。そんな時、ようやくララさんの登場によって、あいつにも選択肢が増えたんだと思います。それで、自由なララさんを愛するようになった」
「ジルベール……お前、見て来たように言うな?」
「私にとってはブランディーヌがそういう存在だったのです。ヤンさんだってきっと、奥様と出会われた時はそうだったでしょう」
「……」
ジルベールは何か考え込み始めたヤンを眺め、急に話を変えた。
「喋り過ぎました。私は明日、ここを発ちます。クロードとララさんによろしくお伝えください」
「あっちに挨拶には行かないのかい?」
「……どうせ軽くあしらわれるだけですから」
そう呟くと、ジルベールは遠くの芝生に歩いて行って、ごろんとそこに寝転がった。
それから彼は、夕方までずっとそうしていた。