42.諦めんなよ
ヤンの家に戻ると、背後から荷馬車がやって来た。
クロードはその音の方向を振り返り、愕然とする。荷馬車には、ジルベールとブランディーヌが乗っているではないか。
二人が堂々と降りて来るので、クロードは兄に詰め寄った。
「……頼むから、来ないでください」
「何で?義理の妹には挨拶すべきではないか……常識的に考えて」
「いきなり常識を語らないでもらえますか?非常識極まりない兄上の分際で」
家の前でひと悶着起こしていると、扉からヤンが出て来た。
「お帰りクロード。今、閂錠をつけ終わったところだ……ん?」
ヤンは見知らぬ男女がいるので困惑している。
ジルベールが前に進み出た。
「初めまして、ヤンさん。私はこのクロードの兄、ジルベールと申します」
人当たりは非常にいい彼なので、ヤンも色々思うところはありつつもつられて会釈する。
「あんたが噂の兄貴か……どーも」
「ご存知でしたか」
「どういういきさつでここに流れ着いたかは知らんが、まあ入れよ。あんた、だいぶ飢えた顔してるもんな」
ジルベールはそう言われて、思わず自分の顔面をさする。旧マドレーン男爵に付きまとわれていたヤンは、誰よりも貧乏の気配に敏感なのであった。
ララは家の奥で、包帯をした手で林檎を剝いている。
クロードは家に入ると、ララに駆け寄った。
「ララ……大丈夫か?家事なんかして」
「うーん。ちょっと痛いけど、何かしていないと落ち着かなくて」
「ごめん。ずっとそばにいてあげられたらいいんだけど」
何か思うところがあったのか、ブランディーヌがララに近づいた。
「それ、続きは私がやるよ」
「……あなたは?」
「私はジルベールの妻のブランディーヌって言うんだよ。うまいこと行けば、あんたの義理の姉になるかもね」
ララは立ち上がると彼女に包丁と林檎を預け、彼女の背後からやって来たジルベールにも挨拶した。
「は……初めまして」
ジルベールはララをじっと見つめてから、わざとこんなことを問う。
「土地を売ってでもクロードと結婚したいっていうのは……玉の輿狙いか?」
それを聞いて逆上しそうな隣のクロードを制し、ララは勝気に言った。
「いいえ。私、クロードを好きになったから、なりふり構っていないだけです」
「ふーん、そう……まあ、こいつは顔がいいからな」
「そうですね」
そうあっさり言ってのけるララを、ジルベールは興味深そうに眺めた。
「……動揺しないんだな」
「ええ、別に……本心を言ったまでですから」
ジルベールは、ふと笑った。
「君は俺と似ている」
ララは少し考えてから、ブランディーヌの方を見つめた。
「そうですね。ジルベールさんもあの方と結婚するのに、なりふり構わなかったんですものね」
「そうだ。貴族なんてみんないけ好かない奴らばっかりだったから、彼女を好きになった」
「そうですか?みなさんとてもよくして下さいますけれども」
ジルベールは少し真剣な表情になって呟いた。
「それは多分、君がみんなを変えて来たからそう言えるんだよ」
「?」
ララは首を傾げる。
視線を感じたらしいブランディーヌが、つかつかとこちらにやって来た。
「ちょっと、ジルベール。ララさんは怪我して疲れてるんだから、ちょっかいかけるんじゃないよ。ほら、あんたもこっちに来て手伝って」
彼女に連れて行かれ、ジルベールは家事を手伝わされた。彼の代わりにクロードが謝る。
「ララ、ごめん。兄貴はいっつもあんな調子で……」
「ううん、いいの。誤解があるといけないもの、正直なところを伝えないとね」
そんな中、ララはふと殺気を感じ、気まずそうにそちらを盗み見る。
案の定、ヤンが少し苛立っていた。
無理もない、昨日の今日でこの騒ぎだ。それに加えて娘に負担が押し寄せているのを察し、苦々しく思っているのだろう。
しかしブランディーヌは案外手慣れた様子で台所を使い始めた。見た目は軽薄な娼婦だが、動作はてきぱきとして頼りがいがある。
ジルベールもテーブルセッティングを始める。食べさせてもらう以上、立ち働かなければという気持ちはあるようだ。
ブランディーヌは料理を並べる。
あっと言う間に食卓は整い、五人は昼食を囲んだ。
ヤンが固い口を開く。
「クロード。賊について、何か分かったことはあるか?」
クロードは、思いつく限りを話した。
「兄がパンプロナ公国で、この家と旧マドレーン邸を襲撃しようと賊が話し合っていたのを聞いたそうです。だから兄は、旧マドレーン邸までそれを知らせに来たらしいのです。彼らの着ている鎧は、以前この国で使われていたものでした。もしかしたら何者かが鎧を横流ししたものかもしれなくて……だとしたらあれは賊などではなく、敵国の」
「あのさぁ」
ヤンの苛立ちを隠さない声色に、クロードはびくりとして顔を上げる。
「悪いが、これ以上ララに命の危険があるようなら──やはりクロードとは婚約させられない」
クロードは血の気が引いた。
「……え」
「多分、あれだろ。賊はただの強盗じゃなくて、敵国のスパイかなんかだったんだろ。そんで、クロードや隊にダメージを与えるために村を襲ったんだ。違うか?」
ヤンの予想と、クロードの予想は一致していた。
それに対しクロードは防衛することだけを考えていたが、ヤンは違う。
「王にも、もう一度話そう。この話はナシにすべきだ」
ヤンの方は、〝撤退〟の答えを出したのだ。
食卓は静まり返った。
「娘が恋する相手と結婚出来るなら……と、今まで俺は苦言を控えていた。あの子が土地を手放してでもお前と結婚したいと言い出した時も、それでララが幸せになるならいいと思って賛成した。だが、ララが傷ついたり命を狙われたりするなら、話は別だ」
全員の視線がララに向けられる。
ララは泣き出しそうになりながら抗議した。
「そんな……パパ、考え直して」
「お前が考え直せよ」
「パパ……」
「お前は若いから、どうせ恋人と死なば諸共、悲恋上等の気でいるんだろう。俺は親だ、そんなの絶対に認めないぞ。娘を危険に晒す奴は、婚約相手だろうが王だろうが、全員敵だ!」
「うう……」
ララは怪我もあってか、いつものように言い返すこともままならず、しくしくと泣き始める。
クロードは椅子を寄せてララの肩を抱き、ヤンに懇願した。
「ララさんは必ずお守りします。だから……!」
「甘いんだよお前は。じゃあもし今後ララのみならず小作農があの手合いに傷つけられたら、お前はどう責任取るって言うんだよ」
「……!」
「こんなことになるとは誰も予想出来なかったよな。でもだからと言って、見過ごせねぇんだよ地主は。俺の土地に住む人間は、俺の名において、誰一人傷つけさせねぇ。今後の土地のことは俺が決めるし、俺にその権利がある!」
クロードは抗議したかったが、言い返せなかった。
ララの命が何よりも大事だ。クロードとしても、ララを危険に晒すのは本意ではない。
けれど、ララを諦めたくない。
(王妃におもちゃにされても……王都に帰るべきだ)
クロードはぐるぐると答えの出ない問題に頭を巡らせた。
(でも、王都でだって、もしかしたら王妃が彼女に危害を……)
やはり、何もかもを解決することなど出来ない。あれもこれも得ることは出来ないのだ。
クロードが腕の中で震える彼女に視線を落とした、その時だった。
「……諦めるの?」
前方から声が飛んで来て、クロードは顔を上げた。
声の主は、ジルベールだった。
「諦めるの?ララさんのこと」
再びそう問うたジルベールと並ぶブランディーヌも、口を結んでどこか真剣な眼差しをこちらに送っている。
ヤンも、ぽかんとジルベールを見つめた。