40.兄上!
クロードはまだ本調子ではないララをヤンに託し、一度旧マドレーン邸に行くことにした。
北まで一気に駆ける。人が住まない雑草の生い茂る場所へ入ると、遠くに石造りのおんぼろ屋敷が見えて来た。
庭の枯れ木もそのままに、雑草やツタが絡みつくどこか不気味な佇まいの屋敷だ。廃墟一歩手前というところだろうか。
(造りは堅牢だな。大昔の住宅様式だ)
大昔の建築物なので、後からはめられたガラス窓だけが妙に真新しくぎらついている。
屋敷に辿り着くと、何やら隊員たちが開け放った玄関を前に、困り顔で中に入るのをためらっていた。
クロードは訝しく思い、馬から降りるとパトリスに話し掛ける。
「一体どうした?」
「いや……先客がいるんですよ」
「!まさか、賊か?」
「そ、それが……非常に申し上げにくいのですが」
パトリスはそう前置きすると、そうっとクロードに耳打ちした。
クロードは目を見開く。
「そんな馬鹿な……」
「……偶然にしては出来過ぎですね」
クロードは隊に待機を言い置くと、パトリスのみを連れて屋敷の中に入って行く。
真新しい酒瓶が転がる室内。
それから、猿ぐつわと手縛りをされて転がされた騎士風の鎧をまとった賊が数名。
それらを跨いだ先に──
彼がいた。
真新しいキャンバスを部屋の中央に置き、美しい女と話し込んでいる──あの男が。
「兄上……!」
クロードの呼びかけに男は振り返った。
それは紛れもなく彼の兄、ジルベールだった。
クロードに背格好は多少似ているが、細面で長い髪をひっつめにしている。かつては最前線にいた騎士だったので、酔った賊を縛り上げることぐらいは朝飯前だっただろう。
その隣に佇んでいるのは、妖艶な美女ブランディーヌ。亜麻色の髪に、光に溶けるような白く美しい肢体の持主だ。かつては高級娼婦だったが、ジルベールに見染められ娼館を出たのだ。それ以降の足取りは不明であった。
そんな二人が今、何の因果かここにいる──
クロードはどこか退廃的な空気を醸し出す二人に、苛立ちを露にした。
「兄上、一体今までどこをほっつき歩いていたんですか!?あなたを、家族がどんなに心配したか……!」
ジルベールはいかにも興味がなさそうにクロードから顔を背けると、近くの木箱から木炭を取り出し始めた。クロードが歯ぎしりしていると、ブランディーヌが体をくねらせるようにこちらへと歩いて来る。
「坊や。私……モデルが今から脱ぐから、あっちへ行って頂戴」
クロードは彼女と対峙した。
彫刻のように、見事に熟れた体。男を虜にする、甘ったるく儚げな笑顔。
クロードはそれを見て少し吐き気をもよおしながらも、はっきりと彼らにこう告げた。
「この屋敷は廃墟ではない。この旧マドレーン邸はシャノワール王国が買い上げた。出て行かなければ、こちらもそれなりに手荒なことをしなければならない」
ジルベールはそれを聞くと、にこりと笑った。
「この廃墟で、絵を描きたいんだよ」
クロードは眉をひそめる。
「……え?」
「今、アザール公爵の依頼で裸婦画を一枚仕上げなければならないんだ」
兄はいつの間にか画家になっていたらしい。昔から絵を描くことが好きな兄だったが、それを生業としていたとは知らなかった。
飄々としているところは、ずっと変わっていない。
しかしこの場では、懐かしさ以上に怒りがこみ上げて来る。
「そうですか。ならば無理にでも追い出しますよ」
クロードはそう言って踵を返し、大声で玄関に向かって叫ぶ。
「隊員、戦闘配備!」
ブランディーヌは脱ぎかけた服をどこか諦め顔で着直し、ジルベールはやれやれと首を横に振った。
「あいつ……融通の利かないところは相変わらずだな」
一方、パトリスはあわあわと混乱している。ジルベールは彼に言った。
「分かった分かった、出て行くよ。……で?俺たちはどこへ泊まればいいんだ?」
パトリスはその問いに困り果てた。
「ここの村には宿屋がないもので……」
「そうなんだよなぁ」
「と、ところでジルベール殿。なぜ今、突然この村に来たんですか?」
ジルベールは……何か言おうとしてやめた。
「……ま、あとで話すよ」
「そ、そうですか」
ブランディーヌが憮然として言う。
「ジルベール。こんなことに深入りして、絵の依頼はどうするつもり?」
「あまり国家間のことには首を突っ込みたくないが……弟の手前、しかたがない。あの話を聞いてしまったからにはね」
「はーあ。ブノワ家の兄弟はみんなアクが強いんだもの、面倒だから私、関わりたくないの」
「君は関わらせないよ。安心してくれ」
パトリスが話に入って来た。
「ええっと、まさかジルベール殿は、賊の事情について何か知ってるんですか?ちょっと、クロード殿を止めて来ます!」
「それもいいが……そこの汚い賊を先にどかしてくれよ。いい絵が描けやしない」
パトリスはクロードを追って走り出す。
流浪の二人は目配せして、彼らがここに戻って来るのを待った。