37.帰還
その二週間後──王都カロンでは。
王宮での書類上の準備は全て整い、クロードはブノワ邸から荷馬車に荷物を載せていた。
ララもドレスから普段着に着替え、いつもの村娘の姿に戻った。旅はなるべく身軽がいい。
クロードは隊員を連れず、マドレーン一家の護衛として旅路を共にすることとなった。
しばらくの留守を、父モルガンに任せる。
旅立ちの朝、クロードとララはモルガンと向かい合った。
「二人共、無事で帰るんだぞ」
「はい、父上」
「帰ってくる頃には──注文した婚約指輪が出来ているだろう」
モルガンに生温かい視線を向けられ、ララは照れ笑いした。
「じゃあ、帰る時にはまた手紙をくれ」
二人は頷いて、ヤンと共に馬車に乗り込んだ。
だが、リエッタがいない。
「パパ、リエッタはどうしたの?」
ララが尋ねると、
「さあね」
と何やら訳知り顔にヤンが言う。
クロードは馬車から窓を眺め、ララの肩を叩いて外を見るよう促した。
窓からひょっこり言われた方向に顔を出すと、アランとリエッタが何やら話し込んでいる。
「……リエッタ?」
「少し待とう。あちらも何かありそうだから」
リエッタは何かを掌に包むと、小走りにこちらへ戻って来た。
「ごめんごめん、ヤンさん」
「出発するぞ」
リエッタはララの隣に座る。ララは親友の顔を覗き込んだ。
「アランに何を貰ったの?」
リエッタはどこか神妙にし、そうっと掌を開く。
馬車はごとごととベラージュ村に向かって走り始めた。
彼女の掌で踊っていたのは、小さな真珠のペンダントトップだ。チェーンはなく、真珠に金のバチカンのみがついている。
「あ、かわいい」
ララがそう呟くや、もったいぶるようにリエッタは指を閉じた。
「み、見せ物じゃないから……」
「何で貰ったの?」
「な、何でって、それは……!」
クロードが、微笑ましそうに続けた。
「執事が言っていた。ララの婚約指輪を作りに宝石商を呼んだ日、アランも宝石商に何か尋ねてたらしいぞ」
リエッタは真っ赤になったが、我慢出来ずに問う。
「……な、何て尋ねてたの?」
「さぁ」
「……」
リエッタは静かに視線を足元へ落とした。
ララはいつも明るい親友が見せる真剣な表情にドキドキする。
「リエッタ……アランに何て言われたの?」
「探るなよ、ララ。安易に他人が深掘りしていい話じゃない」
リエッタは静かに真珠と向き合っていた。
馬車は街道を走り続け、宿で小休止を取りながら三日間かけてベラージュ村に辿り着いた。
砂埃だらけの都会とは違い、湿った草いきれの香りが馬車に流れ込んでくる。
ララはきらきらした瞳で、田舎の広々とした空を見上げた。
遠くから牛鈴の音。ヤンの家が見えて来て、ララはようやく安堵する。
「よかった。牛小屋も畑も無事だわ」
「うちの小作農はみんな働き者だからな!」
荷馬車は夕方、ヤンの家に着いた。働いていた小作農がわらわらと寄って来る。
「ヤンさん、お帰り!」
「おう、何もなかったかい?」
「そういや、王宮の騎士が数人来てたぞ。北の方に向かったようだが」
「ふーん……もう後方支援隊が来たのか?」
クロードが馬車から出て来ると、小作農たちは色めき立った。
「おっ、こいつが噂の……!」
クロードは大勢の農民に囲まれて少し怯んだが、
「初めまして……今度ララさんと婚約する運びになりました、クロードと申します」
とにっこり笑うと、彼らは一様に目を細め口々に叫んだ。
「眩しいっ」
「何だこの騎士様は……なぜ内側から輝いているんだ?」
「都会の男のオーラは本当におっかねーな!」
クロードがどぎまぎしていると、ヤンがその脇を小突いた。
「ま、中に入れや。今から客間をお前の部屋とする。明日からはこき使ってやるが、今日はもう日が落ちるし、のんびり過ごせよ」
「……はい」
「ララ、相手してやれよホラ」
「もう、パパったら……クロード、疲れてない?」
「大丈夫だよ」
「夕飯作るね。軽いものでいい?」
「ありがとう、ララ」
ララは久しぶりに台所へ立った。かまどに火を起こし、ベーコンを焼く。そこにチーズとパンを添えて、皿に盛った。
ヤンが摘んで来たアブラ菜にビネガーを散らしたサラダを添え、簡単な夕食が出来上がる。
三人はろうそくの小さな灯りの中、それぞれ肩の荷を下ろして夕餉に取り掛かった。
クロードは、その素朴な味にほっと息をつく。ブノワ邸のどんどん運ばれて来る豪華な料理もいいが、あれはあれで毎日食べるのは疲れるものだ。
野戦食。
田舎のどこかフレッシュなビネガーを味わいながら、クロードは言った。
「そこら辺の草をむしって、食べたりしたなぁ」
ヤンとララは驚いて顔を上げる。
「え、何の話?」
「野戦食の話。何も持ち合わせていない時は、その辺のものから食べられるものを探して食べるんだ」
「へー、現地調達もするのね」
「ふと考えたんだ。このビネガーがあの時あったら、もうちょっと元気が出たのかなって」
「そういうのもいいわね。調味料を持っていれば、好きな時、好きな味が楽しめるもの」
お腹を満たし、ゆったりとくつろいでからそれぞれの部屋に入る。
クロードも部屋へ歩き出したが、ふと何かに気づいて振り返り、首を傾げた。
「あれ?そう言えば、この家には鍵がないんですか?」
「おう、そうだ。ここは田舎だし、別に盗まれるものも売るところもないしな」
「そうですか……」
「まあ気になるようなら、明日扉にでも閂錠を付けるか?」
「お願いします。ちょっと……都会の人間には落ち着かないので」
「そうだよなぁ。貴族のお屋敷には玄関どころか全部の部屋に鍵がついてたもんなぁ」
クロードは騎士の勘で、こういう夜に限って何か起きるから気を引き締めねばならない、と思った。
(せっかくゆっくり出来ると思ったのに、まだまだ気が抜けないな……)
それから周囲に気づかれないよう、小さくため息を吐くのだった。