33.貴族に染まる日
それから幾日かが過ぎた。
ジゼルは相変わらずブノワ家にいて、ララの世話を焼いている。
婚約話がようやく進み始め、クロードの婚約者として振る舞わなくてはならなくなったララには、これから様々な〝婚約者としての〟任務があった。ジゼルは結婚生活に失敗しているため、その心得についてかなり力を入れて義妹に教えるのだった。
「いいこと?結婚するまでに大切なことは、貴族同士の繋がりを作っておくことよ」
ララは肩をいからせたまま、「はい!」と力強く答える。
「結婚すると、貴族の妻は自由度が格段に落ちるの。子どもを産めば、家から出る機会を更に失うわ。その前に知り合いをとにかく増やしておくこと!私は自分磨きにかまけてそれをおろそかにしたので、相談事などを出来る奥様が作れなくって……後々とーっても苦労したの」
義姉は結婚生活を失敗しているだけに、話の説得力が違う。
「は、はい……!」
「良好な結婚生活の影に、貴族女性の横の繋がり有り。まずはお茶会に行きまくることよ。それが出来たら、次は招待してみましょう」
「出た……お茶会……!」
「ララ。事前に例の本は読んだかしら?」
「はい、流行りのティールームの本を……最近流行の茶器、ティーグッズなどの種類は覚えました」
「では料理の本も読みましたか?」
「はい。様々なブレンドティーに合う軽食を、とりあえず丸暗記しました」
「まずはそれでいいわ。でも、いつかはそこに独自色を加えられなければいけないのよ。誰かと似たようなお茶会を開いたって、誰も来やしませんもの」
「確かに……!」
そこに、執事が手紙を持って入って来た。
「ララ様。お茶会の招待状でございます」
あまりにも計算し尽くされたタイミングで出て来るものだから、ララはびくつく。
「えっ、どなたから?」
「ギュイ伯爵家のミーナ様からです」
「こんなに早く……?」
驚くララをよそに、しれっとジゼルは言った。
「あら、早速親衛隊長から招待状が来たようね」
「親衛隊……隊長?」
「彼女はクロードファンのひとりよ。私にも根掘り葉掘りする連中で、既知の仲なの。私はファンたちを〝親衛隊〟と呼んでいるわ。でもご安心あそばせ、ミーナ様は既婚者だし、とても常識的な方よ。それから、影で〝隊広報部〟とも呼ばれているわ。彼女たちは噂を広げることにかけては、王宮の広報以上の腕があるの。何かを広めて欲しい時は、彼女たちにお願いするといいわよ」
「は、はあ……」
「クロードの婚約者であるというだけで、あなたは既に〝有名人〟。だから、噂が回るのと同時に招待状が来たというわけね」
「えーっと、その噂を流したのは誰なんですか?」
「執事よ。執事たちには独自の情報網があるから、何かのついでに伝えたのね。クロードとララの婚約が確定的だと」
ララがまるで知らない場所で、面識のない人々がララのことを知っているというのだ。
街に来るとは、こういうことだ。ララは身が引き締まった。
「分かりました。では、お返事を出さなければ」
「待って。その前に……字の練習をしましょう。高貴な字を身につけることが必要よ」
「高貴な字……?」
「農民の使う字と貴族の使う字は違うのよ?これから教えるから、頑張って覚えてね」
ララは「ひー」と小さな息を吐く。
毎日毎日覚えることがあり、くらくらする。けれど。
(我慢、我慢よ。クロードと結婚したいんだもん……!)
ララは瞳を根性で燃やしながらジゼルの教える通り、貴族のうねるようなペン字を要領よく学習した。
例の字で手紙を書くと、早速執事に返信を届けてもらう。
ララは額の汗を拭った。貴族生活は疲れるものだ、はやく田舎へ引っ込みたい。
(指輪……いつ来るのかしら。婚約の日取りは、いつかなぁ)
その頃クロードは、騎士団詰め所にて事務作業に精を出していた。
婚約の前に、きりのいいところまで準備を終わらせたかった。彼は婚約前に、隊員数名とベラージュ村を視察することにしていた。また、後方支援隊の立ち上げに伴う人員整理にも奔走していた。まずは隊員のチェックとスカウト、それに伴う名簿と、資材の発注書を作らなければならない。勿論手伝ってくれる部下はいるものの、この国にありがちなのだがいつも人員ギリギリで事務方を回す悪習でなかなか先に進まない。
それと並行して、婚約の儀も予定している。
(一度ベラージュ村へ行って、王都に帰って来たタイミングでララと婚約しよう)
私生活でも、用意・発注しなければならないものが沢山あった。
(そうだ。ヤンさんやララと一緒に、視察するのがいいかもな……)
あれはいずれララとクロードの土地になる。村の資産の確認をしたいなら、二人がいないことには話は始まらない。
現実感が湧かないことばかりが起きて、クロードの足はふわふわと宙に浮いている。
クロードが気が急くままにブノワ邸に帰り、ララの部屋へ入ると、お針子がど真ん中を占拠してせっせと新たなドレスを縫っていた。
そのドレス資材の山を通り抜けると、更に宝石商の姿が見える。
「土台って、どんなものがいいのかしら……」
「サンプルを数点お持ちしました。サンプルは白銅ですが、ご注文いただいたらそのデザイン通りのものを、白金で作らせていただきます」
「どれも素敵で迷うわ……」
宝石商と話し込んでいたララが、つと顔を上げた。
「クロード……!いつの間にここに?」
「みんながここでずいぶん大騒ぎしているから、紛れてしまったみたいだ」
「ごめんなさい、玄関まで出迎えに行かずに」
「別にいいよ。君もこれから、色々物入りだからね」
ララの瞳が、再び石に注がれる。
クロードは、妙に寂しくなった。
「ララ、これからのことなんだけど……」
彼は婚約者の隣に座った。ララもそれを受け、座り直す。
「うん」
「新しい隊は、そろそろベラージュ村へ視察に行く」
「そうなのね」
「それが終わったらまたここに戻って来て、婚約しよう」
ララは微笑んだ。
「……はい」
「その時に婚約パーティを催そうと思うんだ。多分、今、姉がせっせと貴族の輪の中に君を入れようと頑張っているところだと思うんだけど」
ララは、やはりあの手紙が来たのはジゼルの力があったからだ、と悟る。
「……そうね」
「そうやって知り合った夫人たちをブノワ邸に集める。そこでみんなに君の存在を認めてもらおう。仕上げに、婚約者として王宮での社交界に出向いて行くんだ」
「どんどんことが大きくなるわね?」
「貴族っていうのはつまるところ〝階級〟というより、考え方が合う家の〝繋がり〟を形成するための便宜でしかない。格を重要視するのも、そういうことだ」
「はい」
「ララにはちょっと理解出来ない部分があるかもしれないけど、何か分からないことがあれば、私にでも姉にでも、どんどん聞いて欲しい」
バイカラーの石が、台座の上に静かに仮置きされている。
「ところで……どんなデザインにするんだ?」
ララは、再び目を輝かせた。
「ネックレスに通しやすいシンプルな形にしてもらおうと思うの。農作業の邪魔にならないように」
クロードはそれを聞いてほっとした。
「そうだな……農作業が待っている」
「クロードにも頑張ってもらうわよ。騎士様の体力には期待しているの。ここで貴族教育を受けさせてもらう代わりに……クロードは私が村でみっちり農教育してあげるね!」
「……お手柔らかに頼む」
ララが貴族に染まってしまうのが怖かったクロードだったが、どうやらまだ根は農民のようで安心した。