32.父親たちの苦悩
その頃。
ヤンとモルガンは応接間で向かい合っていた。
「最初は村で暮らし、戦乱が収まれば王都へ帰る……まあ俺はそれでもいいけどよ」
ヤンはモルガンを不安気に眺める。
「ララが必ず子を産めるとは限らんのだぜ。そうしたら農地とこの屋敷はどうなる?」
「その可能性も考えたが……」
モルガンがいつもの威勢を失っている。ヤンはそれが気になって彼に尋ねた。
「……どうした、モルガン。ずいぶんとしょぼくれちまってよ」
「……」
モルガンは何かを言い淀んでうつむいたが、ふと決意したように顔を上げる。
「ヤンはララと二人暮らしだな」
「ん?ああ」
「君は、一人娘を嫁にやることは、不安ではないのか?」
それを聞いて、ヤンはゲラゲラと笑った。
「不満だけどよぉ、不安ではないね!あんたも見ただろう?あの女男爵の威厳を!」
モルガンは予想と違う答が飛んで来て、ぽかんとしている。
「あいつは結婚しようが独り身だろうが、何とかやって行けるよ。顔をみたらひと目で分かる通り、賢い娘だからな。でも、俺が生きている間はなるべく何をさせるにせよ、いい条件を整えてやりたいんだよ。よくある親心というやつだな!」
モルガンは項垂れた。
「ヤン、実は……」
「おう、どうした」
「凄く今更なのだが、私はこの家の中で、一体何のために存在していたのかと……」
ヤンは呆然とモルガンを見つめ、腕を前に組んだ。
「ん、まあ……気持ちは分かる。あんただけ、後から家族になったようなもんだからな」
「……」
「アネットとはどうなんだ?関係は」
「あれは……兄の嫁だ」
「……ははは」
「彼女とは、親戚と同居しているような感じだ。何の感情もない」
ヤンは、親父の苦悩を請け負った。
「俺んとこは、妻と死別だ」
「……ああ」
「妻と死に別れた時は、そりゃ辛かった。でもまあ娘に助けられたから」
「……そうか」
「多分だけど、あんたもクロードに助けられていたところがあるんじゃないか?」
モルガンは考えを整理するように、視線を机上に泳がせた。
「今になって、何だか……」
「ああ」
「寂しさが……」
「そうだろうそうだろう」
「実はずっと……戦場に送り出す時だって……甥の面倒を見てやっていると思っていたんだが」
「……」
「こうしてあいつが妻を迎えて離れる時になって、急に置いて行かれたような気持ちになった」
「……いいねぇ」
ヤンは清々しい気持ちで天井を仰いだ。
「それはきっと、モルガンが父親になったってことなんだろうなぁ」
モルガンは悩まし気に眉根を寄せる。
「……今更だが」
「今更もくそもあるかいっ。親は、いつなってもいいもんだ。今夜は付き合うぜ!祝杯だ!」
「いや、その前に……農地はどうする?」
「つれないなぁ。ララとクロードのことだからうまくやるだろ」
「……!」
「いやね。今だから言うが、俺の不安はうちの財産がどうなるかっていうことじゃなかったんだよ」
「?」
「ララがこのブノワ家に嫁いで、どんな気持ちで暮らすようになるんだろうっていう、その一点だけだったんだよ」
モルガンはじっと考え込んだ。
「なるほど……」
「ところであんたこそ、さっき、クロードと何を話したんだよ?」
モルガンは答えた。
「あいつ……家を出るなと怒った私に、〝家より大事なものがある〟と言い返して来て……」
ヤンはしみじみと頷いた。
「いいこと言うじゃねえか、クロードのくせに」
「それを私も気づいていたから、ことさらクロードを手元に置くことに躍起になっていたんだ」
「あー、そういうことか。じゃあ子育ては完璧だったな!」
「……」
「おい、モルガン」
「……」
「……泣くなよ」
何もかもうまく行かない家族に、ひとつの光明があった。
誰も彼も、家に縛られて心が犠牲にならなかったこと。
それはきっと、父や家に反発させるだけの心を、モルガンが子どもたちに与えられていたということなのだ。
「……よくやったんじゃねーか?」
この家の中でヤンだけは、モルガンの健闘を褒めたたえた。
「どっかのアホな貴族のように、子どもの心を殺し自尊心を取り上げて、誰かの言いなりになるように育てなかったあんたは偉いっ!」
「……ヤン」
「じゃあ農地に関しては、むしろララとクロードにどうするか決めさせよう。俺たちがしゃしゃり出たところで、いずれ経営するのはあいつらだ」
「……そうだな」
「王にだって渡り合った。きっと、大丈夫だ」
外は夕闇が迫って来ていた。