30.父との約束
ブノワ邸に帰るとクロードは父の書斎へ赴き、早速一連の出来事をモルガンに報告した。
モルガンは険しい表情でそれを聞いている。
「……すると、クロードはベラージュ村へ行くということか?」
「……はい」
すると、モルガンはこれ見よがしに深い深いため息を吐いた。
「……してやられたな、ヤンとララに」
クロードは思いがけぬ反応が返って来て、ぽかんと父を眺める。
「どういう意味です?」
「ふん。どうもこうも……跡取りを取られるということだよ」
「……!」
「お前のことを考えて組んだ縁談だったが……このような結果になるなら、間違いだったようだな」
「父上……」
「私がこの家を存続させるためにどんなに自分を犠牲にして来たか……農民はまだいいとして、陛下もお前も、分からなかったわけだ」
クロードは、静かに父と対峙する。
彼は実の父親ではない。
育ててもらったことには感謝しているし、だからこその遠慮がある。しかし──
「父上こそ、お分かりになっていない」
クロードは迷いを振り切るように反論した。モルガンは息子の変化を察し、少し怯えるように顔を上げる。
「私は家を存続させる道具ではない。あなたもその役割を嫌がっていたように、私も家の犠牲にはなりたくないのです」
モルガンは歯ぎしりしたが、その言葉を噛みしめ、落胆するように項垂れた。そしてあえてこう吐き捨てる。
「では、こう言えばどうだ?家がなければ……爵位がなければ……お前にはどのような価値がある?」
クロードは少しひるんだが、静かに父の言い分を聞く。
「お前は何も分かっていないんだ。お前が騎士になれたのも、好きな女と結婚出来るのも、その地位があったからだ。お前たちの地位を守るために、私たちは自己を犠牲にして来たのだ。その恩をお前は踏みにじっている。親不孝だとは思わないのか?」
モルガンは怒りに唇を震わせている。クロードは、あえて平静を保ってこう言って見せた。
「大袈裟ですよ、父上。住む場所が変わるだけです」
「クロード……」
「ところで父上。兄上にも以前、きっと同じことをおっしゃったんですよね」
図星だったらしく、モルガンは黙った。
「なら、こちらもあえてこう言わせてもらいます。父上、あなたも私や兄と同じことを考えている──我々親不孝者と、同じことを」
モルガンは青ざめた。
「やめろ、クロード……」
「姉上も、そうかもしれませんが」
「やめてくれ……」
「皆、耐えられなくなって来ているんです。あなたの言う、地位を守ることに。それはなぜだと思いますか」
モルガンは黙っている。
「みんな、家より大事なものがあるからです」
クロードは、なるべく無感情にそう言った。
「そしてあなたも……それを分かっている」
モルガンは怒りを抑えるように黙っている……
クロードはそれを見下ろし、父を哀れに思って取りなした。
「……そんなに落ち込まないでください父上。私は別に、この家を捨てるわけではありません。……少しの間だけ、あちらの村に行くだけですから」
モルガンは、ようやく望む言葉が息子から降って来て顔を上げた。
「……ほ、本当か?」
「ですから、ララさんとの婚約を許してほしいのです」
途端にモルガンの顔が曇った。
「ふん……そればっかりだなお前は。いいだろう、元はと言えば私が蒔いた種なのだ……婚約は許してやる。ただし、条件がある」
「……何でしょう」
「私が生きている間に、お前は必ずこの家に戻れ。そしてララとその子どもと、必ずここに住むこと」
「父上……」
「でなければ、私が私の人生を投げた意味がなくなる。私はこのブノワ家のために、自分の人生を諦めなければならなかった。そうまでして守ったものを、お前たちの気分で放り投げられたら困るのだ」
ずしりとクロードの心に、重しがのしかかる。
モルガンは家の存続のために、自分の人生を得られなかったのだ。
自分の妻も、自分の子も、職業も、何も選べなかったのだ。
そして今、そうまでして守ろうとしたものの何もかもが、努力の甲斐虚しくその手から零れ落ちようとしている──
そこまで父を追い詰めるのは、本意ではない。
「分かりました」
クロードは父を憐れみ、その要望に応えることにした。
「必ずブノワ家を存続させます。いつか、必ず家に帰って来ます。ですから……ララさんと結婚させて下さい。お願いします」
モルガンは注意深く、息子の顔を観察した。長兄との関係で一度失敗している以上、更に強く出ることは出来ない様子だ。
モルガンは自らを制し、納得させるように頷いた。
「……本当だな?」
「はい」
「それならば、まあ……やぶさかではない。であれば、やはりララには貴族の振る舞いを学んでもらう必要がある」
「はい」
「そして、彼女にはブノワ家に入って貰う。それが最低条件だ。あと彼女の財産である畑だが……婚姻によりどうすべきなのか議論しよう」
話が動き出し、クロードはほっとする。
彼は、父の一番大事なものまでは取り上げられなかった。
考えてみれば、父の言う通りである。父が守った地位があったから、この家の者は皆、好き勝手に動けているのだ。クロードはそれを軽んじたり、無視したりするようなことはしたくなかった。
血が繋がらないからこそ、その苦労は計り知れないと思う。血の繋がりがないのに育ててくれた父の恩に、これから報いねばならないだろう。
(……ララさんとも、今後のことを話し合わなければ)
クロードは話し合いを終えて書斎を出ると、執事の部屋へと向かった。
「ちょっといいか?……宝石商を呼んでもらいたいのだが」