3.婚約のお誘い
ララはヤンの待つ馬車に戻ると、帰路の途に就いた。
今日は、最初から最後までドキドキしっぱなしだった。初めての王都、初めての王宮、初めての王様。
そして、初めての──
「ララ?」
ララはびくりと身を震わせた。
「どうだった?王宮は!」
馬車を走らせながら、農民丸出しの大声で御者台のヤンが尋ねる。ララは顔を赤くしたまま、御者台のそばに座り直して答えた。
「賑やかで楽しかったわ。でも、怖かった」
「怖い?」
「帰り際、男の人たちに囲まれたの。それでナンパされたわ」
「んなっ。やっぱり都会は不届き者が多いな!」
「でも、騎士様がやって来て助けてくれたの」
「そりゃあ、命拾いしたなぁ。やっぱり、俺も王宮の中までついて行けばよかった……」
「いや……別に、いいよそんな」
「はぁ?何でだ?」
ララは心に冷や汗をかく。
(だってパパがついて来てたら……あの騎士様は助けに来てくれなかったはずだもの)
単独乗り込んだからこそ、彼に会えたのだ。
(はー……記憶が薄れるまで何度でも回想しようっと)
ララは窓から空を見上げた。厳しい表情から一転、ふわりと溶けるように笑った騎士様の顔を思い返す。
「えへへ」
「おい、どうした?」
「やだ。心の声が……」
「そんなに女男爵になったことが嬉しいのか……?」
しかし、ララはそれはそれ、と割り切っていた。
もう二度と、都会に行くことはない。
騎士様は確かに眼福だったが、あとの男たちはどうだ。都会には危険がいっぱいなのだ。金を持っている女であると広く知られたらああいう目に遭うと、今日はいい勉強が出来たのではないか。
これを教訓に、ララは田舎に引きこもって暮らすことに決めた。
爵位が何だ。田舎では何の役にも立たないものだ。
そんなものより大事なものが、彼女にはたくさんある。
「牛飼いさんはどこまで世話してくれてるかしら?」
「追い銭をやったから、ちったぁいつもより世話してくれてるだろ」
「籾すりの作業はどこまで進んでいるかなぁ」
「今日すれた小麦は持って帰っていいと言ってあるから、安心しろい」
「山際の草を刈ったら、干し草にしなきゃ」
「あー、農民に暇はねぇなぁ」
土地から生え出るもの、それがララの財産だ。
爵位だの社交界だのにかまけている暇はない。
あれからララは一張羅をクローゼットにしまい、二度と袖を通さない──かと思われた。
ところが王宮へ行ってから一か月後、事態は驚くべき方向に転がり始める。
きっかけは一通の手紙──
「おいおい、どういうことだこりゃ!」
ヤンは自分宛ての手紙を開けるなり、大声でうろたえ始めた。家の掃除をしていたララは、声に驚いて玄関口まで降りて来る。
「パパ、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……!お前もこれ、読んでみろ!」
ララは手紙を受け取って目を通し──愕然と口を開ける。
「え?え?ララ・ド・マドレーン様に婚約のお誘い……?」
「あー、あれだ。きっと王宮でお前を誘ったやつらから、結婚の申し込みが来たんだ」
「ど、どうしよう……」
「断われそんなの!村の方が、いい男がいっぱいいるに決まってる!」
「そ、そうよね……」
ララはうんうんと頷いて、ふと我に返る。
ララは今、十七歳。
ララの母は、十八歳で嫁に来たと聞いている。実のところ、ララは既に結婚適齢期なのだ。
(……差出人の名前は?)
ララは手紙を熟読した。
差出人はモルガン・ド・ブノワ。
婚約者候補はその息子──
クロード・ド・ブノワ。
(職業は──)
騎士。
ララはどきりとした。
(騎士!?)
あの近衛兵の笑顔がふと思い出され、ララは慌てて手紙を折りたたんだ。
そして、心を落ち着かせるように息を吸う。
「……お断りの手紙を書かなければいけないわ」
「郵便屋は来週に来る。それまでに準備しておけ」
「そうする」
ララは手紙を持って自室に籠る。
(騎士様って……まさか、ね)
期待を胸に押し込んで、そんな奇跡が起こるはずはないと、甘ったれた自分を叱責する。
(断ろう、私はずっとこの村で生きて行く)
ララは婚約を断る文面を綴って行く。自分が都会で幸せになる未来など、まるで想像出来ない。
その頃、王都にあるブノワ伯爵邸では──
「父上、正気ですか!?」
モルガンに詰め寄る青年騎士、クロードの姿があった。モルガンはわざとらしく耳を塞ぐ。
「私に断りもなく、マドレーン男爵家?とかいう田舎貴族に婚約の手紙を出したなどと……!」
モルガンは息子を見上げた。
黒い髪に黒い瞳。母親によく似た美しい顔。
息子は誰もが羨む顔面を手に入れておきながら、それを忌み嫌っている。自身の顔を汚点のように思っているらしく、いつも表情を固くしたままにこりともしない。
ついたあだ名は〝氷の騎士様〟
女からはそう呼ばれて慕われ、男からはそう呼ばれて嘲られている。
彼はこの顔のせいで、男社会である騎士同士の足の引っ張り合いから抜け出せないでいるのだ。家柄や実力からしてもっと上へ行けるはずが、男の嫉妬に阻まれて思ったように昇進が出来ていない。最近戦線から下げられ、美男子に目がない王妃の一存で近衛兵に組み込まれてしまったことも、彼の苛立ちに拍車をかけていた。
「正気だとも。お前ももう18歳。家庭を持つ歳だろう」
「は?歳?」
「身を固めろ。そうすれば、もっと上の地位へ行けるはずだ」
「……!」
クロードは親に色々と見透かされていたことを知り、悔し気に口を結ぶ。
「結婚相手は昇進アイテムじゃありませんよ。それに、私は結婚する気など毛頭ありません」
「……クロード。気は確かか?」
「確かです。あなたや兄姉をそばで見て、結婚していいことなんて何ひとつないことを学びましたから」
「……クロード!」
「誰も信用なんて出来ない。親ですら。私を勝手に浮気相手に見定めた王妃陛下だって──」
「!!」
クロードは父の反応を観察し、真っ白な顔で睨みつける。彼は一番大きな事件を匂わせ、親の鼻を明かしたのだった。
「誰も、私をひとりの人間だと思っていない」
「……」
「アクセサリーやトロフィー、または欲のはけ口だと思っている」
「……」
「手紙を出したのは先週ですね?」
モルガンは、額に汗をにじませながらも頷いた。クロードは怒りに任せるかのような早口でこう続ける。
「……私が直接出向いて、お断りして来ますよ。ベラージュ村の、マドレーン男爵嬢とやらのところに。使用人にはあの田舎までの道のりはきついし、時間がかかる。それに、婚約破棄の申し出という大役をさせるのは酷です」
「クロード、お前……」
「何事も、早い方がいい。婚約などという大事は特に」
クロードは固い顔のままそう言い置いて、するりと父の書斎を出て行った。
モルガンは息子の背中を見送ると、呆然と呟く。
「……あいつ、あの令嬢の名を知らなかったのか」
モルガンは王宮へ事務手続きに出向いたあの日、クロードがあの少女の前で破顔したのを偶然目撃した。いつも決して人前で笑わないはずの息子が、彼女の前でだけ、晴れやかに笑ったのだ。
しかしそれを知っているのは父だけで、クロード自身はそのことに全く気づいていないらしい。
モルガンは、あの後ララの居住地を調べた。息子があの令嬢を気に入ったのだと思い、一縷の望みを賭けて彼女に婚約の手紙を出したのだ。が、どうやらあてが外れてしまったようだ。
「やはり、駄目か……」
現実は思うほど、上手くいかないようだ。