25.氷の騎士様を溶かしたい
ララは、初めて人前でクロードに婚約者扱いされたことに舞い上がる。上ずる声で、彼女は続けた。
「……と言っても、まだ婚約が内定したわけでは……」
クロードはララを抱き寄せて言う。
「婚約者と呼ばせてくれ。君を外堀から埋める」
「そ、そんな……」
エルネストは声を上げて笑った。
「ははは。クロード、君はいつから女性に対しての積極性を身に着けたんだ?」
「私は彼女と結婚するつもりです。ですがその前にちょっと今、あちらの家と色々と条件を擦り合わせなければならなくて」
「ほう、条件とは?」
「あ、あの……お話の最中すみませんが、お茶を入れますね」
ララは、事前にアランから入れ知恵された通りに茶を入れた。
調理場からここまで来るのに、茶葉と湯をポットに投入して三分。砂時計の砂が落ちたところを見計らって、カップに注いで行く。
リエッタは部屋の隅に待機した。後片付けが彼女の仕事だった。
三人でテーブルを囲み、茶会が始まった。エルネストが早速話し始める。
「ララさんは、どちらのご出身で?」
「はい。私はベラージュ村に住んでおります」
「ということは、婚約を機にこっちに花嫁修業ですか」
「……そういうわけです……と言いたいところですが、どちらかと言うと、今回はこちらの家と条件の擦り合わせに来たのです」
「その条件っていうのは、一体……」
「二人の住む場所です」
「ララさんは婚家に入らないのですか?」
「私は女男爵で、一人娘で、自分の財産があります。それは広大な土地で、管理が必要なのです」
「なるほど、農地経営……ララさんとしてはクロードは次男だから婿入りさせ、村の農地経営に回したいということなんですね」
「……と思ったのですが」
ララとエルネストは、クロードに何か言いたげに視線を向ける。クロードも困った顔で肩をすくめる。
「私も騎士ですから、王都にいる必要があるのです」
エルネストは頷いた。
「そうだな。いつでも出撃出来るように……特に君の場合は近衛兵だから」
「それに……兄の件があり、実質長男ですので爵位継承者とみなされています」
「そういうことか。これは難しい問題だな……」
そう呟き、エルネストは砂肝チーズのカナッペに手を伸ばした。
ララとリエッタは固唾をのんでそれを見守る。
固パンを齧る音が響き、エルネストの表情が少し和らいだ。
「……これは、何だ?」
ララは晴れやかな笑顔で答えた。
「村で作り置きしている固パンに、同じく保存食のチーズと鶏砂肝のオイル漬けを乗せたものです」
「これは、君が?」
「保存食を作ったのは私と父ですが、このように茶菓子としてアレンジしてくれたのは、そこの──リエッタです」
リエッタは得意げに、膝を折って挨拶した。エルネストは何か考え込んでいる。
「ふむ、保存食……これは?」
「そちらは干し芋をバターで味付けし、茶菓子に」
「これも保存食か」
「はい」
クロードもカナッペを齧りながら、ふと思い出したように言った。
「どっかで食べたことがあると思ったら──これは野戦食だ」
「れーしょん?」
「戦地で食べる食事のことだ。固パンはその代表だな」
ララは少し慌てた。楽しいお茶の時間に戦争を思い起こさせるようなものは、出すべきではなかったのかもしれない。しかしエルネストが次に発した言葉に、ララはまた驚かされた。
「ララさん。これをもっと作れますか?いや、一度陛下に確認してみた方がいいか……」
急に王の話になり、ララは目を白黒させる。
「は、はい?」
「いや、さっきまでこの話をしていたんだよ。野戦食の優劣が、戦争の勝敗を決めるってことをね」
「?」
「農地を経営するお嬢さんに、戦争の話は現実味がないでしょう。でも、不思議な縁だ。あなたがここに来る時期に、陛下から兵糧の話が出たと言うのは」
クロードはそれを聞いて、微笑んだ。
「……私もそう思います」
それを見てエルネストはぎょっとする。
「ちょっと待て。クロード、お前……」
「?」
「笑ったな、今!」
「……それが何か?」
クロードは自分の表情がいつも固いわけではないと思っているので、こういうことを言われるのは心外なのであった。
「ララは、私を笑顔にしてくれる貴重な女性です」
「そんなに面白い女性なのか」
「そういうことではなく……一緒にいて安心出来る女性なんです」
「そうか。確かに男爵家の主だというだけあって、可憐な見た目に寄らずどっしりしているな」
「その辺の女性と同じだと思ってもらっては困ります。この私が結婚したくなるぐらいの女性なのですから」
「確かに、あの女嫌いのお前がなぁ……」
エルネストはしみじみと呟いて、じっと思案した。
「……全部、もしかしたら解決するかもしれん」
「……何がです?」
「こちらの話だ。ララさん、ちょっと考えておいてくれ。保存食のことを」
ララは話を向けられて我に返った。
「は、はい。保存食のこと……?」
「ああ。まだ余剰はあるか?出来れば種類は多い方がいい」
「まだお出ししていないものも、たくさんありますが……」
「ほう。ならば、君の住む村を一度視察することは可能かな?」
話が色んな方向に飛んで行くので、ララは話をまとめた。
「つまりエルネスト様は、野戦食作りに私の村の食料を使いたい、と」
「そういうことだ。無論、税のように取り上げるようなことはしない。対価は必ず払おう」
「騎士様はみなさん、たくさん食べるのでしょうか」
「まあ基本的にはそうだが、野戦の場合は時間もないのでいろんな隙に少なく食べる。野戦食は携帯出来るもの、日持ちのするものがいい」
「……考えておきます」
「心強いな。クロードの言う通り、ララさんはその辺の貴族令嬢とはわけが違う」
ララは恐縮した。
「いえ、そんな……」
「はい、とても心強い女性なんです」
「クロードまで……」
エルネストはカナッペをひとつ平らげ、紅茶を飲んだ。
「ふふ。しかし、この時期に婚約者を見つけて来るとは……クロードはしたたかだな」
クロードは気まずそうに顔を上げる。エルネストは続けた。
「王妃のいない隙に、婚約とは」
ララは首を傾げる。
「王妃のいない隙に……?」
間があって、クロードは言った。
「ララ。ちょうどエルネスト殿もいることだし、王妃のことについて話しておきたいんだ。驚かないで聞いて欲しい、これは二人にとって大きな障壁なんだ」
エルネストは頷き、ララもそれを見て頷いた。
「ここで話すとちょうどいいのね?でしたら、聞くわ」
「私は──王妃に狙われている」
「……え?」
クロードは、すがるようにララの手を取った。
「王妃は私を愛人にしようとしているんだ。多くの地位の高い男がやっているように、逆らえない立場を利用して、地位に飽かして私を手籠めにしようとしている」
ララは息を呑んだ。
まさかそんなことが──と否定しそうになったが、ララもクロードにあの日一目惚れをしてしまった手前、王妃の考えがよく分かってしまうのだった。
目の前の美しい男。
好きになるなと言われても、難しい女性は多いだろう。
もしそれが、自分より地位の低い言いなりになる男なら──多くの貴族男性がそうするように、地位で殴りつけたり懐柔したりして、好みの異性を飼い殺しにしようとしても何ら不思議ではない。
ララはクロードの手を握り返した。
「わ、私……」
ララは、上官や親友が見ている前で宣言した。
「ずっとあなたと一緒にいたいわ。だから、あなたの顔を凍らせるものを、必ず取り除いてみせる」
エルネストは目を見開き、リエッタは親友に同意するように部屋の隅でうんうんと頷いている。
「……ララ、黙っててごめん」
「いいのよ。そんなこと、誰だって言いにくいもの。でも、クロードは……私がいたから、勇気を出して話してくれたのよね?」
「……君の手は煩わせたくない」
「そんな風に考えては駄目よ。ひとりでそういったことを解決しようとするのは危険だわ。これは、お互いの──いえ、なるべく多くの人の力を借りなければ乗り越えられない関門なのよ。自分を責めないで……クロードは何も悪くないんだから」
エルネストは二人のやりとりを黙って聞き、何やら熟考していた。