23.失敗を許されない貴族たち
ダンスのレッスンを終えると、ララは自分の部屋から窓を眺めた。
執事が気を利かせて、搾りたてのオレンジジュースを用意してくれる。
「ありがとう」
ララは窓の外の街並みを眺め、ほっと息をつく。
クロードはジゼルと向かい合って話し込んでいた。
「姉上は、いつあっちに戻りますか?」
「決めてないわ。もう心底嫌なのよ……イベール家が」
「完璧を求められるから、ですか?」
「あら、察しがいいのね。そう、私は完璧な女だったわ。だからあちらが私を嫁にしたいと望んだんじゃない。私もそのつもりで嫁に行ったけど……うちの常識と婚家の常識は、明らかに違ったの」
「まあ、普通……そうですね」
「あっちは曲げないから、私が曲がるしかないの。だから……損するのは、いつも私」
ジゼルは深いため息をついた。そして、窓の外を眺めているララに視線を移す。
「クロードは、あの子を〝曲げる〟の?」
クロードはぽかんと姉を見つめた。
「姉上、何を……」
「素直でいい子だと思うわ。でもきっと、貴族社会に染まったらあなたが好きになったララは消える」
「……」
「それでいいの?私、クロードがなぜララを好きになったか、彼女と実際に会ってみてしみじみ理解したの。いつもはほのぼのしてるのに、いざとなると芯が強くてとても吸収力があるのよ。インクを吸い上げるペンみたいに」
「姉上……」
「きっとあの子、自分に自信があるのよ。仕事と休息を上手にこなして、自分なりのやり方をいつだって見つけられるのね。そういう女は物覚えが早いわ。だから──貴族社会に染まるのだって、とても早いと思うわけよ」
クロードは、ベラージュ村で農作業をしていたララを思い出した。
「そうですね。ララさんは、農作業も嫌々やってはいませんでした。望むことをやっている、といった調子で」
「やりたいことをやって自力で生活出来るって、羨ましいわ。普通の貴族女性には、そんなこと許されていないもの」
クロードは姉の言葉を受けて窓辺の物憂げなララを見、少し心が痛んだ。
(私は──)
畑を渡り歩き、牛の世話をして、自由に振る舞うララを好きになったのだ。
(……私は、あの日林檎の木の下で泣いていたララを、笑顔にしたかっただけなんだ)
貴族の妻としての役割をこなしてもらうために、彼女を呼び寄せたのではない。
(これから、どうすべきだろうか。やはり、いつかは私がベラージュ村に……)
すると彼の真剣な眼差しに気づいたのか、窓を見ていたララが立ち上がり、こちらにやって来てこんなことを言い出した。
「私、街に出てみたいです」
クロードは汗をかき、ジゼルは気まずそうに咳払いをする。
「カロンは、王宮にしか行ったことがないから」
「……ララ、ちょっといいかな」
「?」
ジゼルが空気を読んで退席する。その空いた席に座り、ララは彼と向かい合った。
「その話なんだが」
「はい」
「残念ながら私は今、街には出られない」
「えっ」
「なぜ私がずっと家にいるか、気になったりしなかった?」
いつでも休め、いつでも働ける農民のララには、今までそんなことは気にならなかった。
「分からなかったわ。畑仕事はいつでも出来るから、騎士もそうなのかと」
「本来なら……私は出勤するはずだった。王宮へ、近衛兵として」
ララは、クロードの発するただならぬ空気に身を固くする。
「クロード?」
「……君に言っていないことがあった。婚約する前に、聞いておいて欲しいことがある」
ララは覚悟を持って頷いた。クロードは彼女を見据えて話し出す。
「実は──」
その時だった。
「クロード様に、お客様です」
執事がやって来た。クロードは慌てて口をつぐむ。
「……客人?そういった約束は入っていなかったはずだが」
「エルネスト・ド・グランジュ曹長がお見えです」
上官が連絡もなく直々にやって来たということは、何か緊急の伝達事項でもあるのだろうか。
「……エルネスト殿か。通してくれ」
彼はそう応えてから、困惑しているララを振り返って言う。
「上官が来てしまった。少し席を外す。また、あとで話そう」
「大丈夫……私、待ってるから」
「屋敷の中は自由に歩いてくれて構わないよ」
「そう?じゃあ、少しお屋敷を探検してみようかしら」
「……ララ」
クロードはララの手を引くと、共に立ち上がった。そして、その額にキスをくれる。
「不安だろうけど、少し待っていて欲しい」
「だから、大丈夫よ。パパやリエッタもいるもの」
「そうか……そうだな。ありがとう、ララ」
「じゃあね、クロード」
クロードは早足で部屋を出て行った。
「さてと……」
ララは、うーんと伸びをした。
「部屋に閉じこもってばかりだと疲れるわ。お屋敷を探検しようっと」
ララが部屋の前に立つと、執事が扉を開けてくれた。
ふわりと風が吹き、ララの目の前に新しい世界が広がる。
「貴族のお屋敷……どんなものがあるのかしら」
ララは左右に顔を振ってから、背後の執事を振り返る。
「あのう」
「何でしょう、ララ様」
「リエッタは今、どこでどうしているのかしら?」
「それでしたら……」
執事は左の方へ顔を向けた。
「ここを出て左から一階に降りると、調理場があります。リエッタは現在、そこで調味を任されています」
「リエッタがそんなお仕事を……!?」
「はい。ヤン様の持っていらした保存食の調味が我々では難しいため、その味に慣れ親しんだ彼女に手伝ってもらっているのです」
ということは、昨日今日の料理は、リエッタが味を調えてくれたのだろう。農民の食べ物をきっかけに話題が出来たと喜んでいたら、知らない内に親友に助けられていたのだ。
「そうだったのね。ありがとう、そっちに行ってみるわ」
「私も同行いたしましょうか?」
「いいえ、結構です。これは探検ですから!」
「……かしこまりました」
ララは勇んで歩いて行き、一階の調理場へと降りて行った。