22.いけないダンスレッスン
次の日。
朝食もやはり凍りついたままの顔で、クロードは何も美味しくなさそうに食べている。
一家が黙々と食べる中、ララはふと皿に載せられたパンの付け合わせに、ララお手製のチーズが乗っていることに気が付いた。
味にベラージュ村特有の癖があるから、すぐに分かる。ララは彼に声をかけた。
「ねえクロード。これ、うちで作ったチーズよ。コックさん、朝ごはんに使ってくれたのね」
クロードはそれを聞くと、微かに笑った。
「へー……そうなんだ」
ふとアネットも呟く。
「あら、そうだったの。随分しょっぱいから、珍しいチーズだなって思ったのよ」
ララはどきどきと高鳴る胸を押さえる。
どうやら村の保存食には、食堂の会話を生むヒントがありそうだ。
(持って来てよかった……王都では、こういうものはあまり食べないのね)
少し場が温まった気がして、ララは会話を続ける。
「ねえ、クロード。社交界って、何をするところなの?」
モルガンが口を開こうとしたが、すぐさまクロードが答えた。
「陛下との謁見が叶う場だ。皆、王に気に入られようと話術を磨いたり美しい服を着たりして、目を引こうとする。それから、他家との交流を図ったりする。そんな場所だ」
「みんなで仲良くなる場なの?」
ふと、クロードが笑った。
「そうだな。みんなで仲良く……」
農民の素朴な疑問に、貴族たちは毒気を抜かれている。
「ララ、あとでダンスのレッスンをしましょう」
皿を前に、背筋をぴんと伸ばしたジゼルがそう言った。
「クロードも、どうせ暇なんだから練習に参加しなさい。いいわね?」
「……ああ」
クロードの眉間に、面倒そうな皺が刻まれる。
ララはこの家に来て、彼の様々な表情が見られることだけは楽しかった。
たとえそれが、怒りや怠惰の感情だったとしても──
しかし、これは想定していなかった。
クロードに腰を支えられ、お互いの体を密着させたまま義理の姉の前で踊るなどということは──
ララは真っ赤になって身じろぎをした。
「む、無理です!」
「ん?何で?」
「こんなのは破廉恥です!」
「破廉恥……?」
クロードは、笑いを堪えようとしたが抑えられなかった。
「あはは、これが王宮の踊りだよ。男女対になって踊るんだ」
「村にはこんな踊りはありません!」
クロードはからかうように、ララの耳元で囁いた。
「村では、どんな踊りを?」
ララはくらくらと、腰砕けになりながら答えた。
「手を繋いで、距離を取ったままぐるぐると回る……」
「男女で?」
「う、うん」
「それも、なんか過剰にピュアで腹立つ」
クロードはララの背中に手を回し、更に引き寄せる。ララは絞り上げるような悲鳴を上げた。ジゼルは笑い出す。
「あはは、本当にララったら村娘なのね!」
「うう……」
「いいこと、女男爵?これは男女がいちゃつくための踊りではないのよ。動きのセンスの良さ、体の美しさをアピールする場でもあるの。立ち姿に自信がないお嬢様でも、ダンスでは動きで魅せられるというわけ。これをマスターすれば、色々な場所に招待されることになるわ。そうすると、貴族同士交流が図れて、家全体が得をするの。お分かりいただけたかしら?」
ララは真っ赤になりながらも、腑に落ちた。
別に破廉恥な交流をしているわけではないらしい。
動きで魅せるなどというのは、ララの人生にはまるでない視点であった。
「なっ、なるほど……」
「自分に自信がないお嬢様は、これをマスターするのが手っ取り早いわ。踊りはね、知性を磨くより遥かに簡単に、一見して分かる特技になり得るのよ」
「確かに……」
「ほら、分かったらララもクロードの肩に腕を回して!」
「は、はいっ」
ララは背中を伸ばし、恐る恐るクロードの肩に腕を回した。
お互い正面から抱き合ったまま、ジゼルの手拍子に合わせて横に一歩ずつ進んで行く。
クロードが囁いた。
「こういうのは男性が主体になって動くから、女性はそれに合わせてついて行けばいい」
「そうなの?」
「ひとりで踊る踊りは、社交界にはないから」
「そうなのね……じゃあ、クロードがずっとついていてくれるの?」
「村の踊りもそうだと思うが、あいにく相手を変えながら踊る」
「そう……」
「そんなに落ち込まないで欲しいな。なるべく、ララについているようにするから」
「お願いね。私、他の人とこんなことは……ちょっと」
ジゼルが、いったん手で制してダンスを止めた。
「いい調子。だけど、ララは動き始めると肘が落ちて行く癖があるわね。あと、指先に力を入れて欲しいの。踊りの神髄は、目線と指先よ。ステップに気を取られがちだけど、それは出来て当たり前だから」
「うう……当たり前」
「そうよ、女は婚家でずっとこれを言われ続けるの。出来て当たり前。出来なければずっと謝り続けるしかないんだから」
一瞬、部屋に静寂が満ちた。
クロードは少し深刻な顔で姉を見つめている。
「姉上……」
「はい、踊りの練習を続けましょう」
ララはクロードに抱き止められながら、先程の言葉を反芻する。
出来て当たり前。
それは農民のララの耳には、残酷に響いた。
貴族の妻は、失敗を許されない存在なのだろうか。
(そんなの、無理だわ……私、本当にここでやって行けるのかな)
しかし、クロードを愛した以上、やって行くしかないのだ。
(そ、そうよ。これも、彼のため。彼の横で、恥じない自分になるため──)
ララはクロードにしがみつき、一歩一歩ステップを確認して行くのだった。




