20.貴族の付焼刃
ジゼルは甘い空気に浸る二人をねめつけると、気を取り直したように咳払いをした。
「ごきげんよう、ララ。私はクロードの姉、ジゼル。以後、よろしくお願い致します」
ララは、貴族女性ジゼルの高貴な立ち居振る舞いに衝撃を受け、立ち上がる。
ジゼルはドレスの裾を擦る音もなく、無音でこちらに歩いて来る。盛り上げた髪には輝くガラスビーズのピンが差し込まれ、田舎にはないラメがまぶされている。その首元にはララが人生で一度も目にしたことのない、パールがじゃらじゃらと幾重にも巻かれていた。
瞬きが止まらないララの前に立った彼女は、村娘の爪先から頭までを眺めた。
「ふーん……まあまあじゃない?」
ララはジゼルの忌憚ない感想に固まる。
クロードは姉に抗議した。
「……失礼ですよ、姉上」
「あら、正直な感想よ?こっちはもっと田舎臭いのを想像してたんだから。彼女の魅力は、この真っ直ぐな髪ね。都会にもこの髪質の女はなかなかいなくて貴重よ。結い上げる時には、あえてストレートな後れ毛を出しておくのもいいかも。ライバル達への牽制になるわ」
牽制?とララは目を点にする。
「あら?あなたはこの言葉の意味がお分かりでないようね。要はクロードの婚約者になるに当たって、あなたが誰よりも彼にお似合いであると周囲に思わせる必要があるのよ。これも全て、クロードの無駄にきれいな顔面に原因があるんだけど」
「〝無駄〟は余計です、姉上」
「〝ララには敵わない〟と敵に思わせておかないと、後が大変なのよ。そこのところ、クロードも分かってる?わざわざしなくていい苦労を、ララは背負うかもしれないのよ。あなたの無駄にきれいな顔面のせいで」
ジゼルの念押しに、ララはごくりと息を呑んだ。
「あのー、〝敵〟って誰ですか?」
「決まってるじゃない、クロードをつけ狙っている貴族女性たちよ。あなたが下手をすれば、危害を加えられる可能性だってあるのよ」
「!」
クロードは慌てる。
「姉上、あまりララに余計な心配をかけさせないでください」
「……あなたは嫉妬されて攻撃の的になるララを一生守らなければならないのよ?クロードこそ、彼女の婚約者となる自覚がまだ足りないんじゃないかしら」
「なっ……」
クロードは、すっかりそれを失念していた。確かに、もしララと結婚したら、呪いの手紙がララの方に行くかもしれないのだ。
「そういうわけで……ララを、隙のない女に仕上げなくてはならないわ」
「隙があるからかわいいのに……」
「お黙り!」
弟の妄言をぴしゃりと叱りつけると、ジゼルはララにずいと迫った。
「そういうわけですので、ララ。今日からレッスンを行い、貴族のマナーを完璧に身につけて貰います。もしもこの二ヶ月間に出来なければ、弟との婚約は考えさせてもらいますからそのおつもりで」
その勢いに目を白黒させるララだったが、未来の義理の姉に楯突けるわけもなく、こくこくと頷く。ジゼルはそれを見るや、背後の執事に声をかけた。
「ディナーセットを持って来て。まずはテーブルマナーから叩き込むわよ」
「かしこまりました」
使用人が動き出し、あっという間にララの部屋のど真ん中にディナーテーブルがセッティングされた。
ララは、緊張にごくりと息を呑む。
「さあ。こっちに来て、まずは席に着きなさい」
ララが言われた通りにテーブルから椅子を引こうとすると、
「はい、減点」
すぐにジゼルのダメ出しが降って来た。
「我々は食事に際し、執事やボーイが椅子を引くまで待たなくてはいけないの。引いてもらったら、座って」
ララはくらくらしながら、執事の引いた椅子に座った。
向かい側に、クロードも座る。
クロードはにこりとこちらに笑いかけると、皿の上にあるナフキンを自らの膝に敷いた。
ララはそれを夢見心地に眺め、同じようにした。
ジゼルはフンと鼻を鳴らす。
「……お熱いことね」
クロードが説明する。
「カトラリーは、外側から使って。ディナーでは食事が一品一品出て来るから、左右から一本ずつ使うんだ。カトラリーを……こう、手に持って」
ララは混乱しながらも彼の動きを追い、何とか作法を身に着けようと苦心する。
これも、自分のため、そしてクロードのためだ。
(私が粗相をして、彼が傷つくようなことがあっては、困るもの)
目の前に飲み物の瓶があっても、勝手に注がないこと。何かを落としても、自分では拾わないこと。食べ終えた時のカトラリーの置き位置について、グラスの掴み方、肉の焼き方の注文方法などが、次々とララに伝えられた。
何かを食べるだけも、ここまで気を遣わなければならないのか。ララは少し落ち込んで来た。
「……ま、これで基本は大丈夫ね。今夜の晩餐会では、恥をかかなくて良さそうよ」
ジゼルのお墨付きをもらって、ララはちょっとだけ自信がついた。
「今日はここまでね。明日からは、王宮でのパーティを想定して、社交界の常識を叩き込む予定だからそのおつもりで」
ジゼルは優雅に去って行き、入れ替わるようにリエッタが入って来た。
「……リエッタ!」
「見てたわよ、ララ。貴族みたいでかっこいい!」
「もう、すぐにからかうんだから」
クロードはララがいつもの表情に戻ったので、ほっと息をつく。
しかしリエッタはそんなクロードを見つめ、ぐいと詰め寄った。
「ねえ、クロード。あなた、本当に生涯をかけてララを守ってやれるんでしょうね?」
クロードは、急に怒り始めたリエッタに面食らう。慌てて止めに入るララを振り切り、リエッタは更に言い募った。
「貴族だか騎士だか知らないけどね、ちょっとでも懸念材料があるなら、それ全部片づけてから婚約してよ。まだ婚約まで至ってないから言っとくけど、ララはそこらへんの、貴族の家系を存続させるためだけの女じゃないのよ?財産がある女男爵なんだからね。ララを軽んじることがあったらすぐに帰ってやるんだから、そのおつもりで!」
「ちょ、ちょっとリエッタ。どうしたの、急に?」
クロードは固まったが、確かにそうだと思う。
(家族のこと、今後の職務のこと、望まぬ情を浴びせかけられること……本来ララさんには関係のない問題なんだ。そんなつまらないものを、彼女に背負わせることは出来ない)
なるべく懸念材料を排除してから婚約すべきなのだ。
結婚がゴールではない。それからの人生の方が長いのだから。
「ああ……その辺りは分かっている」
「口だけにならないように頑張ってよね。ララを不幸にしたら、ただじゃおかないから!」
「リエッタ……」
ララは親友の熱にあてられ、少し涙ぐんだ。
クロードは小さなララの肩を、何かを決意するようにぐっと引き寄せる。