2.女男爵と騎士様
ヤンは、背後の騎士を見上げて嘆息した。
(これが都会の男──)
近衛兵は、見目麗しい者が選ばれる。彼はその〝見目麗しい〟の手本のような外見をしていた。
黒い髪。見開けば大きいだろう瞳を、少し伏せがちにした控えめな視線。喋る時にも余り動かない薄い唇。
(ふーむ、なかなかにいい男だな)
ヤンは素早く値踏みしてから、首を横に振って見せた。
「あれはいっぱしの女男爵だ。俺みたいなもんが保護者面して、のこのこ出て行くこともあるまい」
すると、騎士は面食らいながら
「では……先に参ります」
とヤンを追い抜かして王宮に入って行った。ヤンはその背中を見送ってから、
「……さてと」
と、馬車停留所まで戻る。
女男爵と認められたからとて、ララに一体何の益があるだろう。
(あるとすれば)
ヤンは先程の近衛兵を思い出す。
(貴族との婚姻、か──)
一方のララは、王の前に出来た列に並んでいた。
旧マドレーン男爵にも協力して貰い、事前に王宮事務局に手紙と申請書を出し、お伺いは立ててある。事務処理上は何の問題もないはずだ。あとは形式上、王の承認を得たとするサインをもらう、本日の儀式を残すのみなのである。
爵位を継いだ者は、まずは参内し、貴族に値する格好をして王と渡り合える証明をするのだ。
ララの番がやって来た。
対峙するは、オレール三世。まだ即位したばかりのうら若き王だ。額が広く、金髪をうしろに撫でつけている。
「……ララ・ド・マドレーン」
新たな名を呼ばれ、ララはプルプルと、慣れないカーテシーを披露した。
「爵位を、金で買ったと……?」
一瞬、玉座の間がざわついた。サインをするだけでいいはずの王が、興味本位で初対面の客人に話しかけることなど稀だった。恐らく女が爵位を買うなど(まして女がそれを買えるほどの財産を有しているなど)、王には思いもよらないことだったのだろう。
ララは持ち前の呑気さで気軽に答えた。
「はい、陛下。私の村では、女にも財産を分け与えられる権利があるのです」
「ああ、だからか……ベラージュ村はかつて女系社会だったらしいな。その名残か」
「そうです、陛下」
「最近、爵位を商家に売り払う下級貴族が多いんだよ。君も商家なのか?」
「いいえ、農民です」
「……とんだ豪農だな」
オレール三世は、会話を続けながらもすらすらと証書にサインした。
隣に待ち構えていた事務員がその証書を丁寧に額縁に入れ、こちらに寄越す。
「盗難などに遭った際は、すぐに届け出るように」
ララはうやうやしくそれを受け取ると、踵を返して玉座の間を出て行った。
廊下に出ると、まだ王の前に並んでいる男性たちの熱視線が、どっとララに注がれた。
うら若き少女が爵位を手に入れたという事実が、彼らの興味を引いているらしい。女だてらにそれを買えるだけの財産があるならば、その親族は更に金持ちであると容易に想像がつく。
ララは彼らの物欲しげな視線を無視し、出入り口へと歩いて行く。
(何よ……嫌な目線!)
王宮を出ると、ぞろぞろとララの背後から男性達がついて来た。
ララが怪訝な顔をして振り向くと、彼らは本性を隠すように卑屈な笑みを浮かべ、彼女を取り囲み口々にこう言った。
「お嬢様、お名前を」
「私はエメ・ド・ベルモンです、以後お見知りおきを」
「お父様は一緒ではないのですか?」
「もしよろしければ、このあとお茶など……」
ララは目を白黒させた。そして泰然と胸を張ると、首を横に振る。
「私はあなたたちに興味ありません。そこを通して下さい」
すると、彼らは急に敵意をむき出しにした。
「おやおや、そんなつもりではありませんよ。勘違いしないでね、お嬢ちゃん」
「私の名を覚えていないと、後悔するよ?」
「この様子じゃあ、一生独り身だな」
「誘われて調子に乗るなよチビ!」
彼らの変わり身の早さにララが青ざめた、その時だった。
「何をしている!」
ひとりの近衛兵がつかつかとこちらへやって来た。貴族男性達はそれを見るや、蜘蛛の子を散らすように退散して行く。
ララがぽかんと彼らを見送っていると、近衛兵は彼女の前に膝をついた。
「お怪我などありませんか?」
ふとララは視線を声の主に戻した。
そして、息を呑む。
そこには絵本の世界から抜け出したような王子様、いや──騎士様がいたのだ。
背の低いララには、男性に見上げられることすら目に眩しい。しかもそのサラサラの黒い髪に黒い瞳はとても賢そうに整っていて、今まで見たどの男性よりも美しかった。かっこいいとか男らしいなどという言葉では形容出来ない。夢の中で出会ったと錯覚しそうなほど、現実離れした美貌の持主がそこにいたのだった。
(都会の男の人って、すごい!)
ララは頬を輝かせた。
「……怪我などありません。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
何とか平静を保ってそう言い切ると、近衛兵はにこりと笑う。
「なら、よかった」
その笑顔は、どんなにお金を積んでも手に入らない宝物。
ララは一瞬であれ、彼のような男性に大切に扱われた事実を神に感謝した。
ララもにこりと微笑みかけると、顔が更に赤くなるのを悟られないようにうつむいて、馬車停留所まで早足で歩いて行った。
そんなララと近衛兵を、交互に見つめる初老の男がひとり──
「……ララ・ド・マドレーン、か」
男は噛みしめるようにそう呟いて、ララのあとをついて行った。