19.贅沢な生活
話は平行線に終わった。
クロードを手放したくないブノワ家と、ララを手放したくないヤンと。
正式な婚約の前に、乗り越えなければならない問題が多々あった。
ヤンは別の部屋へ案内され、リエッタは執事に促されてララの部屋の前に歩いて行く。
彼女がノックしようとすると、扉の向こうから親友ララの声が聞こえて来た。
「……幸せ」
リエッタはどきりとして立ち止まる。
扉の向こうは、再び静かになった。
リエッタはどきどきと鼓動を速くして、すうっと息を吸うと、ノックをやめて踵を返した。
使用人の準備室に戻る。
そこには、先程ヤンと運んで来た農民の保存食が集められていた。
「こりゃすげえな、あんた」
コックのひとりがリエッタを見つけてやって来る。赤毛の若い男だ。リエッタは急に話し掛けられたので緊張し、あからさまに気の進まなさそうな顔をした。
「……ああ、申し遅れた。俺は料理番のアランだ、よろしくな。ところで農民ってのは、こんなに食料を備蓄するものなのかい?」
「はい。冬に備えて……あと、村のみんなでそれを集めて分けるんです」
「へー。個人で所有しないのか」
「はい。奪い合えば足りなくなりますが、分け合うと余るものですから、毎年そのようにしています」
「いい話だな」
アランはひとつひとつ手に持ちながら、それらが何の乾物や保存食であるかを彼女に尋ねて行く。
「これは何だ?」
「鶏の砂肝のオイル漬けです」
「そんなものも食うのか。これは?」
「プラムの塩漬けです」
「果物の塩漬けとは斬新だな。でも絶対不味いだろう?」
「あなたもコックなら、食わず嫌いせず食べてみなさいよ」
彼は言われるがまま、ビンを開けてプラムを取り出し、塩を洗い流した。
かじってみると──酸っぱさの後に、ねっとりとした甘さがやって来る。
「ふーん、甘じょっぱくて案外いけるな。パスタと合わせてもいい」
「刻んでディップにしても、いいものなんです。オイルに混ぜて、ソースにしても」
「村の人は、面白いものを食べてるんだなぁ」
アランがさも新鮮な驚きを披露するので、リエッタは首をひねった。
「王都の人は、こういうのを食べたりしないの?」
「王都には小麦と家畜が潤沢にあるからな。こういったもの用意しなくても、何とかなってしまうんだ。先に言っておくと、王都の主食はパンと肉とワインだ」
やはり、都会は物資の量が田舎とは違う。家畜を冬越しさせるとなると、更に多くの飼料を必要とするから、村ではそのようにはしない。肉は秋口に干し、冬に備えるのが常だった。
リエッタは静かに、親友の婚約を思う。
〝幸せ〟
冬でも肉とパンで腹を満たせる生活が、ララには待っているのだ。こんな保存食など、作らなくてもいい生活が。
(ララには、絶対に幸せになってもらわなきゃ)
そう考えていると、目の前の保存食が急に色あせて見えて来た。貴族にはこんなもの、つまらないだろう。
すると。
「今夜はこの保存食を使って、食事を出そうか。両家の会話も弾むだろう」
アランはそう言って、リエッタを手招いて調理室へと呼び寄せる。
「どういう味でどんな感じに使うのか、教えてくれよ」
リエッタは笑顔で頷く。
無学な自分でも、どうやらここで役に立てることがあるらしい。
その頃、ララはクロードと、束の間の幸せな時間を過ごしていた。
食べたことのない色とりどりの菓子が目の前に並び、飲んだことのない苦い飲み物に砂糖を入れることを勧められる。
飲み物と言えばハーブティーぐらいしか飲んだことのなかったララには、その苦い飲み物は衝撃の味だった。
「に、苦ッ……!」
「ははは、それは輸入品のコーヒーだよ。眠気覚ましになるんだ」
「……貴族って、不思議なものを飲んでいるのね」
しかしその苦味の残る舌に甘味を放り込むと、より菓子の甘さが引き立って美味しくなった。
その合わせ技に感動しつつ、ララはちょっと不安になる。
ララたちが持って来た農民の保存食など、きっとクロードは好まないだろう。こんなに贅沢な嗜好品が、カロンの都には絶えず溢れているのだから。
「私たちが持って来た保存食……みなさん、食べられるかしら」
クロードは、ララの言葉に目を点にする。
「大丈夫ですよ。村の食事、とても美味しかったです」
「でもあれは新鮮な食材だったから……私ったら、貴族のみなさんも飢えてるとばかり」
「まあ確かに冬は、夏よりかは飢えますよ。でも都では家畜を一年中育てているので、冬でも肉を食べられるのが村とは違うところです」
「……えっ!カロンでは、冬でも家畜を精肉するの?」
ララは衝撃を受けた。冬も家畜を肥えさせるとなると、何倍もの飼料が必要ではないか。
「王都は物資に溢れているのね……」
「そうですね。ララさんもきっと、王都に住めば少し太ると思いますよ」
「そ、そうかしら」
「ララさんは細いから、もっと食べてもいいと思います。そうしたら……」
クロードはそう言うと、遠慮がちにララの肩を抱いた。
「あなたを、食べ……」
ララは驚愕の表情になり、その手で彼の口を塞いだ。
「……ララさん?」
「きゅ、急にそんなことを言われたら……びっくりします。それに、その前に……」
ララは顔を覆って続ける。
「まずは、婚約者になったんですから、その……呼び捨てにしてもらっても」
クロードはララの両手をこじ開けると、その赤い顔を覗き込んで言った。
「……ララ」
「ク、クロード……」
ララは自分から言い出したことなのに、いざそう呼ばれるとむず痒い。
「ねえ、関係は徐々に縮めて行きましょう。私、男の人にぐいぐい来られても、全く経験がないからどうしたらいいか分からないの」
「……ごめん、こちらも余裕がなかった。もっと時間をかけて関係を深めよう」
クロードは、ララが貴族女性ではなく村娘であることをすっかり失念していた。
男を誘ってかわして、という手練れた貴族女性たちとは、全く違う女性なのだ。
本当に、得難い少女。
「あー、……かわいい」
「だからそういうことを言われても、何て返せばいいか分からないんだって……」
「いいよ、何も言わなくても。ララ、こっち向いて」
その時だった。
コンコン。
ノックの音がして、扉が開かれる。
憮然とした表情で扉の向こうに立っていたのは、クロードの姉、ジゼルだった。