18.ララの幸せ
一方、ララは新しい部屋に案内されていた。
小さな荷物を置いてから、ララはぐるりと部屋を見渡す。
「すごい……天井に絵が描いてある」
「もし気になるようであれば、壁紙やソファクロスの張り替えも出来ますので、遠慮なくおっしゃってください」
「えっ!」
執事の言葉に、ララはうろたえた。
「そんな……どれも、とても素敵です。変えなくて大丈夫です」
「そうですか。では、ごゆっくり……あとで両家で晩餐会を催す予定ですので、またこちらへ伺います」
執事が部屋を出て行く。
ふとララがある気配に振り向くと、そこには執事と入れ替わるようにクロードが佇んでいた。
久方ぶりの再会をしたララとクロードは、互いに声をかけることもなく、静かに一定の距離を保ったまま見つめ合う。
先に歩き出したのは、クロードの方だった。
ララが顔を赤くすると、彼はその足元に跪く。
「……お待ちしておりました、ララさん」
ララはふと、王宮で彼と初めて会った日を思い出し、思わず頬に涙を落とした。
「……ララさん」
クロードは立ち上がると、そっと彼女の両肩に触れた。
ララは泣き出して顔を覆う。クロードはそのまま佇んで、静かに彼女を労わった。
「すみません、悲しい思いをさせてしまって」
「あ、謝るのはこっちです……」
「そんなことは」
クロードは勇気を出して、更に一歩距離を詰めた。
ララは気づいていたように顔から手を放すと、その手を広げてクロードの体を受け入れる。
二人は抱き合った。
愛を確かめ合うというよりは、二度と離れられないように。
「……離れてみて分かりました。私はあなたが好きだ。ほんの少し話しただけで、好きになりました。これは、気の迷いなんかじゃない。今思えば、一目惚れに近かったんです」
ララはクロードの胸の中で、うんうんと頷いた。
「私も、あなたのことを忘れられませんでした。最初に抱いた印象より、クロードさんはずっと不器用で真面目で、優しい人だったから」
クロードは少し苛立った。
「……最初に抱いた印象とは、どのような?」
「あなたはきれいな顔をしているから、きっとみんなも私も……無用な詮索をして勝手に誤解してしまうのよ」
「……どのように?」
「……」
「私はそんな男じゃない。絶対に、あなたを生涯愛すると証明してみせる」
「クロードさん……」
ふつと会話が途切れた。
同時に顔を上げ、何もかもに慣れない二人は、ごつんと額をぶつけ合う。
二人はひとしきり笑い合った。
それから、初めてのキスを交わす。
「……幸せ」
ララが小さくそう囁いて、クロードは耳まで真っ赤になった。
そして、彼は意地でもこの少女と結婚すると心に決めた。
しかし別室では、農民と伯爵家との間で論戦が繰り広げられていた。
「そうは言うがね、こちとら膨大な農地を有しているわけだから」
とヤンは分からず屋のモルガンに反論した。
「あれを放置すると、小作農も困るんだよ。農地の分割をやり過ぎると、どうなるかあんた知ってるか?休耕地があちこちに出来て、手付かずになって、管理できなくなって二度と作物が出来ないようになる。畑はな、手入れしてるから畑なんだ。手入れを怠った地面はすぐに駄目になる。そうなると、王都に収めている租税も取れなくなって、国全体が弱って行くんだ。あんた、そこまで責任取れるのかい?」
モルガンとしては、長男ジルベールがあてにならない以上、何とかクロードにこの屋敷を守ってもらいたいのだと食い下がっていた。
「そっちの都合は分かっている。だがこっちの都合が」
「あっ。分かってねぇ!ほほう、これが貴族ってやつか!」
「うちだって、クロードとララさんに家督を継いでもらわねばならんのだ」
「通い婚が駄目なら、クロードをこっちに寄越しな。悪いようにはしない」
「……断る」
「ってかよう、ここは男児はひとりしかいないのかい?家族構成を詳しく聞きたいんだが……」
ヤンのその言葉に、途端にモルガンは勢いを削がれた。
農夫はその様子を見、野生の勘で何かに気づく。
「早く言ってくれよ。言わないなら、そこの執事にでも聞こうかな」
「……分かった、言おう」
モルガンはヤンを見据えて言った。
「上から、ジルベール、ジゼル、クロードの三人兄弟だ」
ヤンは頷いた。
「上の、ジルベールの兄貴はどこへ行ったんだ?屋敷にはいないのか?」
同じテーブルに着いているアネットとモルガンは目配せし合う。
「ジルベールは、結婚もせずにうちを出て行ったの」
「おいやめろ、アネット」
「いつかはバレることだわ。悪い部分は先に出した方がいいんじゃない?」
「しかし……」
「ヤンさんは農民だし、実利重視よ。我々のような、体裁重視の貴族とはわけが違う」
ヤンは、アネットの方が話が分かると考えた。
「奥さんの方が分かってるなぁ。じゃ、ジルベールをこっちに呼び戻せばいい。そんでクロードを農家に」
「申し訳ないけど、ことはちょっと複雑なの」
「どういうことだ?」
「ジルベールの母は私だけど、モルガンの子ではないのよ」
場が凍りついた。
「……へ?」
「おい、アネット!」
「私は最初にモルガンの兄ベルナールと結婚し、子どもを三人産んだ。でもその後彼が亡くなり、親族同士で話し合った結果、行くあてのない私は弟のモルガンと結婚させられたの。ジゼルとクロードはその時まだ小さかったからモルガンに懐いてくれたけど、物心ついてしまったジルベールは新しい父と上手く行かず、出て行った。……ジルベールはきっと、もう二度とこの屋敷には戻って来ないわ。そういうわけだからヤンさん、うちをよくある家族とは考えないことね。貴族の建前上の婚姻で作られた、お仕着せの家族。それがこのブノワ家なのよ」
モルガンは妻の急な暴露に頭を抱えた。
「おい……!」
「モルガン、貴族の頭じゃヤンさんには太刀打ち出来ないわ。今までの彼のお話、全部正論でしかないもの。だからね、ヤンさん。うちにも、どうしてもクロードを手元に置いておきたい事情があるのよ。それに、貴族は血筋で全てが決まる。血の正統性を守るため、みんな心を犠牲にして生きているのよ」
ヤンは、貴族という奴は農民にはまるで理解出来ない頭をしているのだと悟った。
(ララがこの家で上手くやれるとは思えねーな……)
壁を背に、リエッタも静かにその家族会議を聞いている。
彼女は小さく呟いた。
「ふーん。ヤバいな……貴族って」