17.再会
ララの手紙が届いてから、三日後のその日。
クロードは落ち着かなかった。
手紙によると、本日ララがこの屋敷に到着するらしいからだ。
あれから急いでララの部屋が用意された。執事が抜かりなく次々指示を出し、婚約者を出迎える準備をしている。
銀食器を拭き、シャンデリアの房を磨き上げ、彼女の部屋の壁紙やファニチャーのクロスまで張り替え、年頃の女性が好む部屋に仕上げた。
それから、宝石商にも声をかけてある。
(婚約指輪か……)
クロードは、指輪をララに嵌める瞬間を夢想する。彼女の笑顔を想像しほっこりしていると、ジゼルの声が飛んで来た。
「何よ、ニヤニヤしちゃって!」
最近、姉の様子が怖い。弟にやたら辛く当たる。
「何ですか姉上。嫉妬は見苦しいですよ」
「んまああああ!あなた、本当に性格が変わったわね。騎士団に入れたのは間違いだったかしら!?」
ジゼルは、弟を羨んでいるのだ。
きっかけはどうあれ、愛のある結婚をしようというのだから。
姉は、昔からブランド志向の強い女だった。弟がドン引きするほど、婚前の姉は男のスペックにこだわった。それは彼女自身にも向けられており、ジゼルは常に自己ブランドを上げるための努力をしていた。教育を何もかも完璧にこなし、ファッションや所作にも注力し、結婚して王妃が来るまでは王都の流行を作っているのは彼女だった時期もあるくらいだ。
しかし、いざ理想に叶う結婚をしたところで、彼女が望むものは手に入らなかった。いや、手には入れたものの理想と現実は違ったのかもしれない。
ララの教育係は、この姉に頼んだ。ジゼルは貴族令嬢の知識を完璧に備えており、下手な家庭教師より信頼出来る。クロードの価値観とはズレた姉だが、その辺りの教養において右に出る者はいなかったのだ。
そそくさと、執事が二人のいる応接間へと入って来た。
「ご報告です。ララ様のものとおぼしき馬車がこちらに向かっております」
「分かった、今向かう」
クロードが軽い足取りで歩く後を、ジゼルはどこか不安げについて行く。
モルガンとアネットも玄関に降りて来て、客人を出迎えるため立っている。
荷馬車の停まる音がし、ふわりと玄関の扉が開け放たれた。
その向こうに立っていたのは──
背の低い、ずんぐりむっくりの野良着のおじさん。
本当に、単なる農民であった。
クロード以外は初対面なので、全員がぽかんとヤンを眺めている。執事が言った。
「御者の方はこちらへ」
「ん?御者だと?」
クロードが慌てて止めに入った。
「待ってください。えーっと、この方がララさんのお父様です」
「……失礼致しました」
執事が冷静にそう言って退くと、ヤンはふんと鼻を鳴らした。
「ま、初対面だししょうがねぇ、許してやる」
その言葉に、両親と姉とがぴりりとした空気を纏う。クロードはひやりとしたが、
「……失礼致します」
後方からゆったりとやって来たララの姿に、その凍った空気は急速に溶けて行った。
そこには、例の親父と全く似ていない可憐な少女の姿があった。髪を結うことを知らない彼女は金色の真っすぐな髪を肩に滑らし、そばかすの浮かぶ頬に薄化粧をして、下手に縮こまることなくぴんと背を伸ばして立っている。着ているドレスは王都の流行りを反映して仕立ててあった。
農民と聞いて思い浮かぶ女より、その女男爵には凛とした風格があった。また、彼女も努めて気丈に振る舞おうと心掛けているらしかった。
「初めまして、ブノワ伯爵。私が以前婚約のお話をいただきました、ララ・ド・マドレーンでございます」
声はまだ幼い。背が低いからだろうか。だが、その賢そうな目がブノワ一家の全員と合った刹那、田舎娘への偏見がどこかへ流れ去って行くのをクロードは感じた。
そして化粧を施した彼女を、どこかで見たことがあった、ということも。
(確か……王宮で男たちに囲まれていた、あの少女)
ベラージュ村で見た時より、ある魅力は失われていた。だが化粧を施したその顔も、見たことのない気位があってとてもいい。
ぽーっと婚約者に見惚れるクロードの隣で、モルガンが咳払いをする。クロードは我に返った。
「長旅お疲れ様でした」
クロードはヤンと握手した。それから、ララに向き合う。
「……お久しぶりです、ララさん」
ララは彼を見上げる。
そして何か言おうとしたが、喉が震えて上手く声が出なかった。
「お久しぶりです、クロードさん」
そう言うので精一杯だった。娘の変化に気づき、ヤンが言う。
「まあ、何だ。とりあえず一回、落ち着いて休むか。なあ、ララ」
その台詞は私が言う、とばかりに執事が前へ進み出た。
「ではご案内致します。ララ様とクロード様。それからお付きの方は、こちらへ」
ララとクロードは並んで歩き出す。ララの荷物を抱えたリエッタが、執事の後をついて行く。ヤンも行こうとしたが、モルガンに止められた。
「ララさんを休ませている間に、少し話しませんか」
ヤンは片眉を上げたが、
「いいぜ。こっちも……色々話したいことがある」
と腕を前に組んだ。
「ヤンさーん。次は何運ぶ?」
リエッタは、割とすぐにこちらへ戻って来た。
「おっ、ちょうどいいところに。荷馬車の中の土産、全部出すぞ!」
「はーい」
ブノワ一家は呆然としている。
「み、土産……?」
「うちにはお貴族様みたいな持参金はねぇ!代わりにこの土産が持参金変わりだ!」
「……は?」
「礼には及ばないぜ!さあ、運んだ運んだっ」
それからものの数分で、貴族邸の玄関口が食料品で溢れ返った。全て農民の保存食である。
モルガンは困惑した。農民の行動は、こちらの常識では推し量れないところがある。