14.騎士への手紙
エルネストは王宮から帰って来るなり、クロードにしばらくの自宅待機を命じた。
クロードの顔は凍りついている。
「……こんなことは、本来あってはならないことなんだが」
と上官は前置きした。
「何とか策を講じる。しばらくブノワ邸にいてくれ」
「エルネスト殿……」
「君にこの処遇は、こちらも本意ではない。王妃陛下の自分勝手は目に余る。策を講じるから、それまで耐えて欲しい」
(……何が、騎士様だ)
クロードは怒りに震え、頬の内側を噛んだ。
(結局は、王族のおもちゃか)
その様子を観察し、エルネストはとりなした。
「まあ、今はこう考えよう……二か月は王妃陛下に会わずに済むと。それで私なりに策を考えたんだがね、その間に君を近衛兵から外し、別の場所に異動させようと思うのだが」
クロードは怪訝な顔をした。
「異動?」
「ああ。王妃の目の届かないところへ」
「再び戦場ですか?」
「いや……言いにくいのだがそこは志願が多くて間に合っているので、兵糧番か、武器庫などを考えているが……」
「!」
そんな場所に回されたら、出世街道から脱落確定だ。
今まで自分が鍛えて来た技術や経験は、何だったのだろうか。
クロードは束の間の騎士宿舎から、馬に乗りとぼとぼとブノワ邸に帰った。
「もう嫌だ……こんな人生」
玄関を入ってすぐの部屋で、執事が手紙の封蝋をすぱすぱとナイフで開けている。
呪いの手紙をどっさり捨ててから、執事はある手紙を手に取った。
「……クロード様」
げっそりしているクロードに、一通の手紙が差し出された。
「ララ・ド・マドレーン様からお手紙です」
クロードの目の色が変わった。
〝親愛なるクロード様
まずは軽率に、時間を置かずにご連絡差し上げたことをお詫び申し上げます。
あの日、あなたを諦めようと思ったのは確かなのですが、思い直しました。
私たちには、お互いが必要なのではないかと、時間を経るにつれ、そう考えるようになったからです。
私があなたを諦めたのは、この地を離れたくないからです。ですが、もし──私がこの地に残り、同時にあなたが王都に残れる道があるならば、その限りではないと思い立ちました。
時間の許す限り、お互いの可能性を探ってはみませんか。
特にブノワ家は伯爵家という家柄ですから、一般的な婚姻を望まれることでしょう。私の提案は突飛なものだと思われるでしょう。
具体的に言うと、古来にあった通い婚の形をとれないでしょうか。夫婦は必ず同じ家で暮らさなければならないという法律はないはずです。
お返事をお待ちしております。
どのようなお返事でも受け入れる覚悟はあります。苦しくなければ、是非お返事を下さいませ。
ララより。〟
クロードは自室でそれを読み、不覚にも泣きそうになった。
貴族ではない、農民特有の素朴な文字が心を洗う。
きっと彼女のことだから、悩みに悩み抜いてこの手紙を出したのだろう。
「通い婚……」
ベラージュ村はかつて女系社会であった。その知恵の中に、通い婚というものがあったのだ。男の家に入らず、男を家に招く。共に住まわず、男が出て行き女の家を援助する。そのような婚姻形態が確かに存在した。しかし。
「……難しいな、今の世の中じゃ」
この国の一般貴族は、妻が夫の家に入るのが当たり前である。多額の持参金を土産に家に入るが、取り上げられて家と夫に終身仕える。それが貴族女性の定めなのであった。
「ララの財産……」
それは土地だ。小作農をあれだけ抱えているのなら、かなりの豪農だろう。
「父上は、どこまで分かって婚約の打診をしたんだ?あの土地があるから、声をかけたのだろうか」
持参金を取り上げられない結婚。なぜだろう、彼女なら出来る気がする。
「……父上に一度聞いてみるか」
クロードはモルガンの帰りを待って、話し合いを持つことにした。
「……っていうかお前、婚約破棄して来たんじゃなかったのか?」
息子の婚約破棄の破棄話に、モルガンは顔をしかめた。
二人はモルガンの書斎で向かい合う。
「まあ、その……私は婚約したいと思ったのですが、ララさんから土地を離れられない、と一度断られまして」
「その可能性を、私も失念していたんだ。女男爵という肩書は、買い取ったものだと後に判明した。ということは、彼女には彼女自身の財産がある、ということだ。それが土地由来だとするなら、確かに動けない」
「彼女はいずれ、土地を父上から譲り受ける身だとのことです」
「ふーん」
モルガンは自らを納得させるように何度も頷いた。
「そういう事情があるなら……私は別に、一緒に住まなくてもいいとは思う」
クロードはほっと息を吐いた。しかし。
「けど、周りが何と言うかな」
とモルガンは静かに言った。
「お前は人間不信の塊だった。そんなお前が、嫁を家に入れずに外に住まわせていると評判になったら……混乱の元になる。今だって呪いの恋文が絶えないし、ララさんの身に何があるかも分らんぞ。お前のその妙に人目を惹く顔面が、あらぬ災いを招く恐れがある」
クロードはがっくりと項垂れた。全く父の言う通りだ。ララが誰かに危害を加えられるかもしれない。最悪なことに、王妃までもがその可能性を秘めているのだ。
「まあそれを前提にだな、防犯上、一緒には暮らした方がいいと思うぞ。ところでお前の話を聞く限り……ララさんは普通の農民らしいな」
クロードは頷いた。
「婚約するなら、その前にララさんを貴族に仕立て上げる必要がある。これも、ララさんを守るためだ。彼女が社交の場で傷ついたり、結婚を諦めたりしないように、うちで教育してやろう」
クロードは、次第に違和感を覚え始める。
「……父上」
「何だ?」
「父上は当初から妙にララさんに肩入れしていますが……何があったんです?」
モルガンは肩をすくめた。
「何って……お前、笑ったんだよ」
「?」
「女を見れば苦虫を噛み潰したような顔をしていたお前が、ララさんには笑いかけたんだ」
「……えっ」
「王宮の前で、男たちに言い寄られているララさんを助けただろう。覚えてないのか?」
クロードは記憶の中をさらった。
「そんなことありましたっけ……」
「覚えてないのか?私はそれを偶然見かけて、もしかしたらあの子ならお前が気に入るのではと、彼女に婚約の打診をしたわけなのだが」
「……覚えていません」
「そうか、まあいい。こうして、何だかんだと話が進み始めたからな。せめてクロードにはいい家庭を持って貰いたい。君の兄も姉も、色々と上手く行っていないから余計にだ」
クロードは、兄のことを思う。
身分違いの女と恋に落ち、王都に寄りつかなくなってしまった兄、ジルベールのことを。
「よし、そうと決まれば家族会議だ」
モルガンはどこか楽しそうに言った。
「ジルベールとは現在連絡がつかないから、それ以外で婚約について話し合おうじゃないか」
婚約話が、徐々にだが動き出した。
何もかもが上手く行かず落ち込んでいたクロードは、ララの笑顔を隣で見る日を夢見て、少し生きる気力を取り戻した。