13.王妃の策略
一方その頃、王都では。
クロードが騎士宿舎に帰って来ると、曹長エルネストが彼をすぐに呼び出した。
「王妃から、警備の要請が入った。来月、王妃陛下はパンプロナ公国の婚姻の儀に出席する。その旅に同行して貰いたい」
クロードはぞっとした。その小さな機微を読み取って、エルネストは声を低くして囁いた。
「……分かっている。またやられたんだろう?王妃に」
クロードは、誰かが曹長にあのことを報告したのだと悟った。
「……そうなんです」
「王妃にあるまじき不貞行為だな。一応、陛下にも伝えておいた」
「!」
「しかしだな……陛下は余り気にしてはおられないらしい。陛下にも愛人があるものだから」
「!!」
実のところ、クロードはオレール三世に期待していた。王妃を叱り飛ばしてくれるのではないかと。だのにこれでは、それも期待出来そうにない。
「まあそういうわけで、今から旅の準備に入れ。一応、君のために動いておいたが……変な話、自分の身は自分で守るように」
「無理です」
クロードはそれを即座に断った。上官命令は絶対だが、心が悲鳴を上げている。それに──
(先日好きな人と触れ合った体を、王妃の我儘で好き勝手されたくない)
クロードは、以前よりもっと自分の心と体を大事にしたいと思うようになっていた。困惑しているエルネストに、更に彼は言い募る。
「男女逆ならば大問題でしょう?私が男だからと言って、なぜ性的搾取を甘んじて受け入れなければならないのですか?」
「クロード……もう少し小さな声で」
「最近は王妃陛下の迷惑行為もあからさまになって来て、このままでは噂が広がりますよ。国の評判も下げかねない」
「う、うーむ……」
「王妃陛下の警備から、私を外して下さい」
「……抗うとお前の首が飛ぶぞ」
クロードは歯噛みした。
(この際、もう構わない。首を飛ばすなら飛ばせ……)
やけになりそうになった、その時。
「そういえば、婚約の話はどうなったんだ?」
上官の気の抜けた質問に、クロードの時が止まった。
「なぜそれをご存知で……」
「最近、モルガン様が君の結婚相手を探していると専らの噂でね」
「はぁ」
「貴族の未婚女性たちの間で、もうめちゃくちゃな騒ぎになっている。いつ自分に君との婚約話が来るのかと」
「……」
「どこぞの男爵令嬢に話が来たとか来ないとか聞いたが、順調か?」
クロードは、隣にララが佇む光景を夢見た。
もう叶わない夢。
「順調です」
彼は適当にそう言った。
「もしも君が家庭を持つようになったら……独身者よりはね、こういう依頼を断りやすいんだよ」
「そうなんですか」
「家庭の事情で……とか、妻の家が……とか、それらしい言い訳に使えるわけだな」
「ということは、エルネスト殿もまさか」
「うむ。割に、家庭の事情でサボったりしている」
「!」
「ははは。そういうことだから、まあ、頑張れよ。君が家庭を持ったら、王妃も手を出しにくいだろう。特に相手の家柄が上であればあるほど、手を出し辛い」
騎士の生活の知恵、というものなのだろう。
(みんな、そんなに気軽に結婚してるのか……)
しかしそれは、互いの家の合意あってのことだ。
(私はこのまま、誰かに何かを吸い取られながら無の表情で生きるのか?)
クロードは自分の人生について考え始めた。
土地に根差して生きることを決めたララを見たら、将来の目標を考えなければいけないような気がした。
(私が騎士になったのは……)
憧れていたからとか、格好いいからというのは建前で、それらはどうやら本音ではない。
次男というどこか浮ついた存在の自分に、自分なりの使命を与えたかったから騎士職を身につけた、というのもあるが──この丈夫に生まれた体で、自分の暮らす土地や居場所を守りたかったからだ。
クロードは目を閉じる。神託が降りて来たような気がした。
ララと、根っこは同じ。
その意志は、絶対に守らなければならない。権力者の気紛れに流されて、自分をすり減らすのはもうやめる。
「王妃の願いでも、同行致しません」
「……攻撃されても知らんぞ」
「もう攻撃されているようなものですから」
「……ハハハ」
乾いた笑いが響き、エルネストは言った。
「じゃあ、そのように伝える。本当にいいんだな」
「はい」
「……妙な覚悟が出来てるんだな」
「何が起きようと、それも運命なので受け入れます」
クロードはそう告げると、静かに部屋を立ち去った。
エルネストは静かに自らの顔を洗うようこすってから、
「あいつ、大丈夫かな……」
と呟いた。
──と、曹長がクロードの要請拒否を報告すると、案の定王妃デジレは怒り狂った。
「何でよ!あの子ったら王妃付きの衛兵のくせに、王妃の命に背くだなんて!」
「お言葉ながら王妃陛下。人の嫌がることは、何にせよおやめになった方が……」
「まあっ、あなたまで口答えするの!?」
デジレは普通の感覚の女ではない。自分の思う通りにことを進めなければ気が済まないし、誰に何と思われようと平気な女なのだった。
「それに……最近、クロードの父親ったら、息子の結婚相手を探しているそうじゃないの。それにもイライラするわ」
「……王妃陛下、それ以上は」
「私から逃れられると思わないでよ?いいわ、今回の旅は免除してあげる。だけど、あの子を私が王宮に帰るまでの二か月間、自宅軟禁及び外出禁止にするわ。王妃の命に背いた罰よ」
「……」
「婚姻なんか、させてなるものですか!他の女のものになるくらいなら、いっそ飼い殺しに……!」
王妃の顔が嫉妬に歪んで行くのを、エルネストはつぶさに目の当たりにする。
(いくらなんでも、ここまでとは……マズい)
エルネストにとっても、クロードは得難い優秀な兵であることは確かだった。いつか王妃の執心がクロードからそれたとしても、また他の兵が被害に遭うかもしれない。王妃のしょうもない嫉妬で人員を欠かなければならなくなるのは、今後の兵力バランスにも影響を及ぼす。
近衛師団どころか、騎士全体の足を引っ張ることにもなりかねない。
ここで王妃を止められなければ、国が傾く。
(何とかクロードを救う方法を考えなければ……こんなことばかり続くと、後が大変だぞ)