10.騎士様、悪い虫になる
「あーっ!騎士様ったら、悪い虫モードだ!」
リエッタに茶化され、クロードは奥歯を噛みしめた。
ララは顔を真っ赤にしてこちらを見上げている。警戒しているのが手に取るように分かる。
クロードは悩んだ。
〝悪い虫〟にはなりたくない。
(でもこんな時、何を言えば正解なのか分からない……)
彼は騎士道精神で生きて来たし、こちらから動かなくても女が寄って来る状況にあったので、女性を誘うなどということはまるで経験がなかったのである。
クロードは混乱し、そのまま固まってしまった。
「あの、つかぬことをうかがいますが……」
ララが尋ねて来た。
「私、弄ばれてるんでしょうか?」
リエッタは大笑いし、クロードはあんぐりと口を開けた。
「弄んでなんかいませんっ。だけど、その……」
「いいぞ、騎士様!」
「あなたと一緒に……」
「ヒューヒュー!」
外野が合いの手を入れて来てうるさい。
「……いい思い出を作りたいと」
クロードが何とかそう言い切ると、ララは怪訝な顔になった。
「え……?なぜですか?」
「!」
ララの純粋な疑問に、クロードは追い詰められた。
(なぜ、だと?)
脈なしにもほどがある。
(確かに、思い出を作りたい……なんて言われても、わけがわからないよな)
経験値がなさすぎる。
(仲良くなりたいから……?違うな。えーっと)
こういう時は、もっと本質的な言葉をかけるべきだ。
(好き……)
思わぬ言葉が自分の中に出て来た。
が、クロードは案外うろたえなかった。
好き。偽らざる感情だった。
ララが得難い女性だということが、時間を経るごとに分かって来る。
しかしそんなことは婚約破棄した手前、言えない。
彼はこの記憶を維持したまま、七日前に戻りたいと本気で思った。
しかしそんなことは、現実では出来ないのだ。クロードは外聞をかなぐり捨て、腹を決めた。
「もっと、ララさんと話がしたいんです」
ララはララで、クロードの本音がまるで捕らえられずにいた。
すると、見兼ねたリエッタがララにこそっと囁く。
「だーかーら、誘われてるよ、ララ」
ララは目を剥いた。
「そんなわけ……だって婚約破棄されたし、結婚だってまだしたくないのよ、この人」
「気が変わったのかもよ?」
「そんなにころっと変わるものかしら……」
「あの」
クロードは意を決した。
「もし、ララさんが嫌じゃなければ……婚約を継続していただけないでしょうか」
ララとリエッタは顔を見合わせている。
「え?何で?」
「だから、気が変わったんじゃない?」
「こんな大切なこと、気分で変えるような人じゃないと思ってたんだけど……」
クロードは泣きそうになった。が、ここで言わなければ二度と伝えられないかもしれない、と必死になった。彼は初めて、女性を本気で口説き始めた。
「最初は、一刻も早く婚約破棄しようとここへ馳せ参じました。けれどララさんを実際にこの目で見て、話したら、その……簡単に言うと、気が変わりました。こんなに素敵な女性はなかなかいない、と思って……」
空気を読んで、リエッタが草原を駆け抜けて遠ざかる。
二人は草原に立ち尽くした。
ララは困惑の表情でうつむいている。
クロードは緊張の面持ちで彼女の言葉を待っていたが、
「……ごめんなさい」
返って来た言葉は、クロードにとって残酷なものだった。
「私、やっぱりこの土地を放り出して王都に住む気にはなれないの」
クロードは息を呑む。
人生で初めて、異性に胸を切り刻まれた瞬間だった。
「……そうですか……そうですよね」
全てが終ってしまった。
(冷静に考えたら……こんな短時間に気分を変えるような気分屋の男など、ララさんみたいな聡明な女性が選ぶわけないんだよな)
絶望はした。だが──
「そうおっしゃると思ってました」
クロードは少女に負担をかけぬよう、笑顔で話を切り上げた。
「ララさんは、とてもしっかりして賢い女性だから……ちゃんと将来を考えて、話してくれたんですよね」
ララはうつむいている。
「負担になるようなことを言って、すみませんでした」
男爵の称号を買った少女。
そこら辺の女とは、訳が違った。
どうでもいい人にはしつこく言い寄られて、本当に好きになった人には、好きになって貰えないのだ。クロードは自らの運命を呪った。
とにかく今は、しつこくしてララにこれ以上嫌われたくなかった。
「そろそろ、おいとま……」
クロードがそう言った、その時だった。
「そうだ。リンゴ、食べて行きますか?」
ララもまた、にっこりと笑ってそう言った。
「えっ……リンゴ、ですか?」
「はい。是非」
ララは再び、遠くの湿地を指し示す。
「ちょっと遠いですけど……行ってみませんか」
クロードはララの心を計りかねたが、もう少し一緒に居たいのでついて行くことにした。